勇気づけリーダーの学級経営〜これからを生きる資質・能力を育てる教師の役割〜
これからを生きる資質・能力を学級でつけるには?勇気づけリーダーの学級経営
勇気づけリーダーの学級経営(21)
適切な行動の原動力
〜これからを生きる資質・能力を育てる教師の役割〜
上越教育大学教授赤坂 真二
2019/2/15 掲載
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1 担任が注目したこと

 エピソードが続きましたので、ここで、前回のように担任がしたことを整理していきましょう。
 【エピソード1】で、担任が注目していたことは、ツヨシ君が「キレること」ではなく、「落ち着くことができること」そして、「落ち着けば理由をきちんと話せること」です。担任がそれらに注目し、彼に伝えたかったことは、

 あなたは、理由もなく怒る人ではないし、しかも、その怒りを静めることができる人である

ということです。担任は、「怒ること」には関心を向けていないのです。彼の周囲では、怒るというアウトプットがあまりにも激しいのでそこばかりに注目が集まりがちでしたが、そこばかりに注目することは彼を人として認めていないのではないでしょうか。我々も不快なことがあったら怒ります。それは、自然なことです。人は怒るものです。しかも彼は野別幕無しに怒っているのではなく、彼にとっては「怒るに足る」理由があるわけです。
 そして同時に、我々は怒りを鎮め、落ち着く能力ももっています。当然、彼もその能力をもっています。彼を「キレる子」だと言ってしまうことは簡単です。しかし、そうしたわかりやすいレッテルは、同時に「理由もなく怒らないこと」や「その怒りを静めることができること」といった、適切な姿を見えなくしてしまいます。
 だから、担任はどんなに彼が激しく怒っても、「怒ってはいけない」とか「そんなに怒るものではない」とは言いませんでした。むしろ、逆でした。理由を聞いて、「そりゃ、腹が立つよね」と怒りを肯定することが多かったです。感情は否定しないわけです。感情は強いエネルギーです。それをそのままにしておくと、分厚いバリアとなってその先に進めません。だから、感情を認めてしまいます。すると、その後の話がしやすくなることが多かったです。
 みなさんも憤りや悲しみを感じたときに、「あなたが怒るのは無理もない」「泣いて当然だよ」と感情を受け入れてもらうと冷静になりませんか。逆に、そこを否定されると表面上は平静を保っていたとしても、違和感のような思いを引きずってしまいます。担任が注目していたことは、彼の人としての自然な姿ではありますが、担任のそうした構えの根底には、ツヨシ君の

人格への尊敬の念

があります。

2 信頼と尊敬が原動力

 マズローの欲求階層説をご存知の方も多いと思います。人の欲求は、下位の欲求が満たされると図のような階層を為して出現するというあまりにも有名な学説です。最上位の「自己実現の欲求」をマズローは、「自分自身、最高に平穏であろうとするなら、音楽家は音楽をつくり、美術家は絵を描き、詩人は詩を書いていなければいけない。人は、自分がなりうるものにならなければいけない。人は、自分自身の本性に忠実でなければならない。このような欲求を、自己実現の欲求と呼ぶことができるであろう」と説明します*。

「なりたい自分になろうとする」欲求

と言えるかもしれません。

図1

 簡単に言えば、私たちは、生物としての生命維持、身の安全の保障、居場所があること、そして、認められることの諸条件が満たされないと、自分らしくなろうという願いが出てこないということになります。自己実現することを人の幸せと捉えるならば、それらの諸条件が満たされないと、人は幸せになろうとはしないと言い換えることができます。
 人は、悪いとわかっていても犯罪に手を染めてしまうことがあります。それは、そうした諸条件がどこかで満たされない場合、人生の目標が誤ったものにすり替えられてしまい、誤った行動をとってしまうのではないでしょうか。親や教師の熱心な指導にもかかわらず、なかなか教育効果が現れない子がいます。親や教師がよかれと思ってすることがスルーされたり、却って反発を招いて裏目に出てしまったりする場合があります。彼らは、ひょっとしたらどこかでこれらの条件整備がうまくいっていなくて、「よくなろう」という意欲がわいてこないのかもしれません。
 教育現場では、自己実現の欲求の手前の「承認の欲求」がネックになっている子どもたちに出会うことがあります。近年は、貧困家庭や児童虐待、離婚の増加などで、それ以外の欲求の満たしが揺らいでいる子どもたちも少なくはありませんが、押し並べて見れば、それらの諸条件が満たされている子どもたちの方が多数派です。緊急に食事の確保、身体の安全の保護が必要な子どもたちには、そうしたケアをすぐにでもする必要がありますが、それらのケアをしようと思えばできる体制は各自治体にあることはあります。
 その一方で、

手薄になっているのが「承認の欲求」のケア

ではないでしょうか。「承認の欲求」は、「尊厳の欲求」や「自尊心の欲求」とも呼ばれます。これらの欲求は、自己への評価への欲求と、他者からの評価に対する欲求からなります。これらの欲求が満たされるためには、自分や自分のしたことに対して、自分で納得することと、他者から承認されることの2つの側面からの満たしが必要だということです。
 マズローは、この欲求が満たされる重要性を次のように言います*。「自尊心の欲求を充足することは、自信、有用性、強さ、能力、適切さなどの感情や、世の中で役に立ち必要とされるなどの感情をもたらす。しかし逆にこれらの欲求が妨害されると、劣等感、弱さ、無力感などの感情が生じる。これらの感情は、根底的失望か、さもなければ補償的・神経症的傾向を引き起こすことになる。重傷の外傷神経症の研究を見れば、基本的自信がいかに必要であるか、それをもたない人間がいかに無力であるかを容易に理解することができるのである。」
 個人レベルで見ると、その人が自己評価に重きを置くか、他者評価に重きを置くかは様々でしょう。しかし、自己評価と他者評価は相互に関連し合っていることを考えると、教育という立場から見ると、他者評価、つまり他者からの承認ということの意味をもっと大事に考えなくてはならないのではないでしょうか。私たちは、他者評価から完全に自由になることは相当に難しいことです。
 例えば、みなさんが研究授業をしたとしましょう。みなさんのモチベーションが上がるときは、恐らく、自己評価と他者評価がポジティブな方向で一致したときではないでしょうか。双方がネガティブな方向で一致したときには、最もモチベーションが下がるでしょう。一方で、双方が食い違ったときには、どうでしょう。自己がポジティブで他者がネガティブだったら、その自己評価は「意外と、今ひとつだったんだ」とディスカウントされることでしょう。また、自己がネガティブで、他者がポジティブだったら、「それほど、悪くなかったんだ」と少し前向きになれることでしょう。「人の評価は気にしない」と言いきる人でも、他者評価を無視することは至難の業です。
 マズローの言葉からわかるように、承認欲求を満たすことは、共同体感覚の育成にとっても重要です。「自信、有用性、強さ、能力、適切さなどの感情や、世の中で役に立ち必要とされるなどの感情」といったここら辺の記述は、まさに、自己への信頼や貢献感であり、それらは共同体感覚の欠くべからざる構成要素です。

人は、尊敬されないと「よい行い」をしようとしない

のです。

3 「悪い子」の前に立つ

 しかし、学校現場の生徒指導場面では、対象の子どもたちに対して尊敬の念を感じることが難しい場面によく出会います。そもそも、問題行動や気になる行動は、「悪いこと」という前提に立っているので、それらをする子どもたちは、「悪い子」となっているわけです。子どもたちの問題行動や気になる行動を職員で話しているときの空気やメンバーの表情を見てみてください。重い空気の中で、迷惑そうな困った顔をしていませんか。また、自分がその子の担任だったとして、ご自身の感情をモニターしてみてください。その子を支援するというよりも、問題行動や気になる行動をなんとかしたいと、「懲らしめたい」とか「直したい」という感情になっていませんか。
 私たちは、感情が態度や行動に出てしまいがちです。自分では隠していてもなかなか隠しきれないものです。みなさんも、自分のことを嫌っている人と自分に好意をもっている人は、なんとなくその雰囲気でわかるのではありませんか。これらのことは前に述べましたね。しかし、とっても大事なことですので、敢えてもう一度強調しておきます。

子どもたちは、自分を愛してくれる人とそうではない人を見分けるプロ

です。あなたが、彼らの前に立ったときに、自分たちのこと、自分のことをどう思っているかを一瞬にして見極めることでしょう。彼らの眼力を侮らない方がいいと思います。
 もし、あなたが「この子は人に迷惑をかける困った子だ」という思いをもって、その子の前に立ったのならばその子は、あなたに心を閉ざすことでしょう。また、あなたが「この子は今抱えている問題を解決する力のある子だ」という思いをもってその子の前に立ったのならば、その子は、あなたを問題解決のパートナーに選んでくれるかもしれません。その子の前に立つ以前から、既に教育は始まっているのです。 
 私たちが、子どもたちへの尊敬の念を欠いた時、私たちの教育力は失われるのです。
 

図2

 みなさんの周囲には、みなさんに敬意を欠くというか、ちょっと人を小馬鹿にした態度をとる人はいませんでしょうか。そこまでいかなくても、自分を好きではないだろうなと思う人はいませんか。その人が、あなたに何かを言ったとき、それがもし、あなたを認めるようなことを言ったとしたらどうでしょう。少々違和感がありながらも、まんざらではないかもしれませんね。しかし、その人が「ああいうときは、こうした方がいいよ」などと言ったとしたら、それを素直に忠告や助言として受け入れることができるでしょうか。恐らく難しいのではないでしょうか。むしろ、反発すら感じ、余計に関係性が悪くなってしまうのではありませんか。
 私たちが子どもたちに伝えることは、耳当たりのいいことばかりではありません。耳の痛いことを言わねばならないこともあります。私たちが、彼らに影響力をもつためには、まず、信頼を獲得しなくてはならないのです。その前提として、

まず、子どもたちに尊敬の念をもつことが必要

なのです。
 【エピソード1】は、ツヨシ君との出会いの日です。その日に、担任がツヨシ君を尊敬していることを敢えて言葉にして伝える(「3年生の時から見ていて思っていたんだけどさ、ツヨシ君はさ、理由もなく怒る人じゃないよね」の部分)必然性があったかどうかはわかりません。ただ、ツヨシ君は、どんなに暴れても、落ち着けばちゃんと理由は話してくれました。子どもたちは自分の過失があると思っているとなかなか口を開こうとしないことがあります。しかし、ツヨシ君は、担任から感情的に責められることはないとわかっていたのでしょうか、事情を正直に話してくれました。だから、事後の整理はしやすかったと言えると思います。

*A.H.マズロー、小口忠彦訳『改訂新版 人間性の心理学 モチベーションとパーソナリティ』産業能率大学出版部、1987

赤坂 真二あかさか しんじ

1965年新潟県生まれ。上越教育大学教職大学院教授。学校心理士。「現場の教師を勇気づけたい」と願い、研究会の助言や講演を実施して全国行脚。19年間の小学校勤務では、アドラー心理学的アプローチの学級経営に取り組み、子どものやる気と自信を高める学級づくりについて実証的な研究を進めてきた。2008年4月から、より多くの子どもたちがやる気と元気を持てるようにと、情熱と意欲あふれる教員を育てるために現職に就任する。
主な著書に、『アドラー心理学で変わる学級経営 勇気づけのクラスづくり』『資質・能力を育てる問題解決型学級経営』『最高の学級づくり パーフェクトガイド』『スペシャリスト直伝! 主体性とやる気を引き出す学級づくりの極意』『クラスがまとまる! 協働力を高める活動づくり』『教室がアクティブになる学級システム』『アクティブ・ラーニングで学び合う授業づくり』『スペシャリスト直伝!成功する自治的集団を育てる学級づくりの極意』『学級を最高のチームにする!365日の集団づくり』『信頼感で子どもとつながる学級づくり 協働を引き出す教師のリーダーシップ』『やる気を引き出す全員参加の授業づくり 協働を生む教師のリーダーシップ 』『集団をつくるルールと指導 失敗しない定着のための心得』『気になる子を伸ばす指導 成功する教師の考え方とワザ』『思春期の子どもとつながる学級集団づくり』『いじめに強いクラスづくり 予防と治療マニュアル』『スペシャリスト直伝!学級を最高のチームにする極意』『一人残らず笑顔にする学級開き 小学校〜中学校の完全シナリオ』『最高のチームを育てる学級目標 作成マニュアル&活用アイデア』『クラス会議入門』(以上、明治図書)などがある。

(構成:及川)

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