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授業を参観して気付くことがあります。
それは、授業が終わったときに、子どもが不満そうな顔をしている、ということです。ほんのちょっとの表情の変化ですが、子どもの表情をよく見ていると分かります。
では、どんな授業の後、子どもが不満そうな顔をするのでしょうか。
それは、「教師の教える行為が抜けたとき」です。
「教える」が抜けると、何が良くて何が悪かったのかが、子どもに分かりません。次に同じような活動をしたときに、どういう方向で頑張ればよいのかも分かりません。
何も言われないことが、子どもにとっては不満なわけです。
では、『教える行為』が抜けやすいのはどんなときでしょうか。
「教える」を先にもってきた場合、「教える行為」が抜けることはありません。
「教えて → 助言する」が、指導の基本なのですから、この順序で子どもを指導していれば、「教える行為」が抜けることはまずなくなります。
「教える行為」が抜けやすいのは、「教える」を後にもってきた場合です。
例えば授業で、「子どもの活動を先にさせる」場合があります。
「今までの知識を使って、問題を解く活動を先に行う場合」や、「調べ学習をさせておいて、調べ学習の内容をもとに討論させる場合」などです。
子どもの活動を、教師の教授行為よりも先にもってくるとき。
このようなとき、教師はつい「教える」のを忘れがちです。
実は、若手教師ほど「教える」のを忘れています。いや、「教える行為」をするのだという意識すらできていないように見えます。
何か活動させたら、その後に「教える行為」を入れるべきなのです。
「教える行為」には、様々な形があります。
助言をするのが基本。
評価・評定を与えるのでもよいでしょう。
高度なものになると、次のような「教える行為」もあります。
@子どもが考えつかなかった心理的な盲点に気付かせる。
A新しい事実を提示する。
B子どもが思いつかないような質の高い意見を出す。
子どもに活動させるだけさせておいて、それで終わりでは、子どもを伸ばすことはできません。支援や補助と称して自然発生的に子どもが伸びるのを待つのではなくて、教師が積極的に教えればよいのです。
「教える」が抜ける典型的な例とは?
例えば、調べ学習をさせたとします。
子どもが一人ひとり、何らかのテーマで調べます。
そして、班で情報を共有させます。
班で情報共有させたら、今度は、クラス全体で情報共有をします。
さて、ここです。
情報共有ができたのだから、これで教師が満足してしまうのです。
ここで教師が満足してしまうのが、若手によくあるミスなのです。
なぜなら、ここまでの指導で教師の「教える行為」がどこにもないからです。
これでは、授業としては不十分です。
そうではなくて、子どもに活動させた後で、「助言」、「評価・評定」、「総括」などを入れていくのです。
例えば、「よく調べましたね。先生びっくりしました。ところで、こんな方向から調べてみてもおもしろいですよ。」と評価と助言をします。
または、「この班が調べてきたことは、こんな意味がありました。あの班とはまったく反対の意見でした。おもしろいなと思いました。次の調べ学習では、相手への反論を準備するといいかもしれませんね。」と総括・助言をします。
こういった一言があるかどうかで、子どもの伸びが変わってきます。
そして、授業への満足度が変わってくるのです。
活動後の子どもたちは、教師の言葉を待っているのです。
何がよくて、何が足りなくて、どうすればよいのかを知りたがっているのです。
教師は、子どもの考え以上の内容が言えなくてはなりません。
力ある教師は、「子どもの心理的に盲点となっている情報」や、「子どもが探せなかった新しい情報」を提示できます。
教師が子どもたちを上回る意見や考え、結論を出すから、子どもにとって大きな学びになるのです。子どもたちは、目の色を変えてメモをすることでしょう。
ここまでで、はたと気が付くことがあります。それは、本をたくさん読み、常に学び続けている教師でないと、その指導言は、貧弱なものになるということです。
指導言が貧弱だと、活動させっぱなしで終わっているのと同じことです。
それは教え導く教師ではなく、単なる補助役の人に過ぎません。
授業後に、子どもの表情を見てみましょう。
活動させっぱなしで、「教える」が抜けていた場合、子どもたちは不満そうな顔をしているはずです。子どもの表情から、自分の指導を振り返りたいものです。