- 学級経営ガイドブック
- 学級経営
1 はじめに
12月。冬休み前の最終登校日。終業式(2学期制の学校は集会)で全校が体育館に集まると、どこか落ち着かない雰囲気を感じます。校長先生のお話で、「クリスマスやお正月、楽しいことがたくさんありますね。新しい年に元気に会いましょう。」と、年末年始の楽しみなことに話題が及ぶと、全校が笑顔でザワつきます。生活指導主任の先生から、生活習慣や交通事故について注意喚起がなされますが、どこまで子供たちの心に届いているのでしょうか。何事もなく無事に冬休みを迎えられればよいのですが……。
最後の一日が間もなく終わろうとしています。あとは下校するだけ。教室で帰りのあいさつを済ませると、子供たちは学期末でたくさんの荷物を持って玄関を飛び出していきます。そんな子供たちを見送って職員室で一息ついていると、警察から一本の電話が鳴ります。「そちらの学校の児童が、お店の商品を無断で……。」終業式で感じた嫌な胸騒ぎは、現実になってしまいました。未然に防ぐことはできなかったのでしょうか?
上記のエピソードは、私の勝手な作り話ですが、似たような経験はないでしょうか。そして、この記事を読んでくださっているみなさんは、このような悲しい結末を迎えないために、何か取り組まれていることがあるでしょうか。それとも「子供の責任。子供が悪い。」と思われるでしょうか。
2 どこで、何を見ているか?
1月。新しい年を迎え、学校に子供たちのにぎやかな声が戻ってきました。始業式で全校が集まると、12月の終業式同様、やはり落ち着きません。久しぶりの再会を喜んでか、おしゃべりの声がなかなか静まりません。司会の先生から少し強い口調で指導が入ります。ようやく、始業式が始まりました。
ここでストップ。みなさんは、体育館のどこにいますか?
A 体育館の前方
B 体育館脇
C 体育館の後方
D 始業式は職員の位置が決まっているので、指定の場所
選択肢を与えておいて申し上げにくいのですが、どれが正解ということもありません。ただし、「なぜ、そこにいるのか」という明確な意図をもつ必要はあると思います。先ほどの始業式で感じた落ち着きのなさは、子供たちの何を見取ったのでしょう。まさか、自学級の脇にぼんやりと立ち、「あぁ年が明けたな。今日から始まるなぁ。」と少し憂鬱に感じながら、耳に入ってくる子供たちの騒がしさで判断したわけではないですよね。
例えば、体育館の前方に立ち、子供たち一人一人の表情や動きを具体的に観察します。すると、「○○さんは、いつもよりおしゃべりが多いな。少し上の空かな。」ということが見えてきます。体育館の後方に立ち、体の揺れや頭の動きなど、子供たちの様子を細かく見ます。すると、面と向かった時には見せない様子が表れることがあるかもしれません。そして、気になった“あの子”に対して、休み時間や給食の時などに日常会話におり交ぜて話をするのです。
T:なんだかうれしそうだねぇ。楽しみなことがあるの?
C:うん! クリスマスプレゼントも貰えるし、お正月は家族で旅行に行くんだ!
T:へぇ、羨ましいなぁ。それじゃあ、今日一日が超スーパーウルトラ大事ってことだ。
C:ん!? どうして?
T:「終わりよければ全てよし」って言葉があってね。途中、つらいことや悲しいこと、大変なことがあっても、最後がハッピーで終われると、全部よかったなと思えるってことなんだよ。逆のことを想像するとイメージしやすいよ。想像してみて。帰りに交通事故にあったら、その後のクリスマスプレゼントや家族旅行はどうなる?
C:旅行に行けないかもしれない。
T:そうだよね。じゃあ、この後、友だちと大ゲンカして、解決しないまま下校したらどう?(「あなたは、そんなことにはならないけれど。」とフォローしつつ)
C:プレゼント貰っても、なんかうれしくない。
T:そうそう。つまり、あなたが楽しみにしているクリスマスプレゼントや家族旅行が本当に楽しいものになるかどうかは、今日が大事なんだよ。今日という終わりの一日が“よし”で終われるかどうかにかかっているんだ。
お説教にしないことがポイントです。起こり得る未来を予想させ、子供たちの浮かれ気分にストップをかけます。もし、このように教師が一人一人を丁寧に見取り、危険を察知して予め声がけをしていたら、冒頭の作り話で起きた残念な結果も防げたかもしれません。
3 森を見て木を見ず
“You cannot see the wood for the trees.”という欧米のことわざを聞いたことがあります。訳すと「木を見て森を見ず」ということです。物事の一部分に気を取られて、全体を見失うことです。教育の世界では、これとは全く逆の「森を見て木を見ず」ということを、様々な場面で見かけないでしょうか。「学級全体を見て、なんとなく騒がしい。」「乱暴な言葉が飛び交い、トラブルが頻発するから、荒れたクラスだ。」これらは一見、正しいように思えます。確かに正しいのかもしれません。しかし、学級の中には、真剣な表情で教師の話を聴こうとしている子がいるはずです。友だち思いで気の優しい、トラブルに心を痛めている子がいるはずです。教師は、学級集団全体を見ると同時に、一人一人の個を十分に見ていく必要があります。学級経営・学級づくりに近い言葉として、集団づくりが挙げられますが、集団をつくる際には、全体を見ること以上に、個を見ることに意識を注ぐ必要があるのではないでしょうか。
年度末のグランドフィナーレへ向けて、カウントダウンが始まっています。学級の子供たち一人一人を丁寧に見たいものです。