世界一わかりやすい道徳の授業づくり講座 対話でつくる道徳の学び
いよいよスタート目前の「特別の教科 道徳」。身構えなくても大丈夫。考え、議論する道徳にはもやもや・ワクワクがたくさん!対話的な子どもを育てる道徳の授業づくりを始めましょう。
世界一わかりやすい道徳の授業づくり講座(1)
もやもやワクワクの道徳授業づくり
悩むことが成長の第一歩
立命館大学大学院准教授荒木 寿友
2017/6/25 掲載

みなさんこんにちは! 本講座は、道徳の授業づくりを「世界一わかりやすく」解説するものです。教科化目前、でも何をやったらいいのか分からない…そんな先生のためのゼミですよ。それでは、開講〜!!

授業づくりに欠かせない「もやもや」

 私が代表をしているNPO法人EN Lab.(エンラボ)では、子どもたちを対象とした「もくもく大作戦」というワークショップを自然豊かな京都市雲ヶ畑地域で2013年から実施しています。実はこの「もくもく」には、雲ヶ畑の「雲」という意味以外に、「もやもやわくわく」という意味が込められています。もやもやした不安定な状態と、ワクワクする状態を同時に経験したときに、人はより成長していくという確信を持ってワークショップを組み立てているのですが、これはワークショップだけでなく、あらゆる教育にも、もちろん道徳教育にも当てはまります。
 では一体、授業づくりにおいて「もやもや」と「わくわく」ってどういう意味を持つのでしょうか。今回は「もやもや」に焦点を当てて考えてみましょう。

 * * *

 一般的に、もやもやしている状態って気持ち悪いですよね。もやもやとは、今の自分の状態では解決できない、あるいはうまくいかない、壁にあたっている状況を指します。拙著『ゼロから学べる道徳科授業づくり』では、認知における「不均衡」という言葉で表現しましたが、このもやもやとした不均衡な状態がいつまでも続くことって不快なので、私たちはなんとかしてこの状況から脱しようとします。まさにこの不均衡から安定した均衡状態に変化することが「発達」、あるいは「成長」といえます。
 ということは、もやもやした状態は、私達が何かについて「考えている」ことを意味しますし、人が成長していくためには欠かせない、必要不可欠な要素なんですよね。
 でも、もやもやするということは、言葉を変えれば、物事がうまくいかないこと、つまり「失敗する」ということにも関係してきます。あれ! 「失敗」と聞くと、なんだか否定的な感じがしますよね。私たちは物事をうまく運んでいきたいし、できれば失敗なんてしたくないと考えています。子どもたちはなおさらかもしれません。成長していくためには、もやもやや失敗は必要なのに、でもそのような状況は避けたいという矛盾が潜んでいます。この状況を私たちはどう捉えればいいのでしょう?

失敗は自己投資!?

 アメリカの心理学者ドゥエックさんは、マインドセット(心の持ち方)の研究から、固定的知能観(自分の能力は固定的だ)と、成長的知能観(努力をすれば能力は伸ばせる)という2つの知能観を示しました。固定的知能観で物事を捉える人は、自分の能力に見合ったことしかしなくなりますし、他人の目をとても気にするので、できなかったらどうしよう、失敗したら笑われるかもしれないという考えに陥ってしまいます。となると、結果的に新しいことにチャレンジすることが減ってきます。(実は「だるい・めんどくさい・無理」という言葉の背後には、固定的知能感が見え隠れしているんです!)
 一方、成長的知能観の人は、自分の能力をどうすれば伸ばしていけるかということに着目しますので、結果としてできたかどうかよりも、どうすればできるのかという、やってみるプロセスに価値を見出します。となると、チャレンジすることが増えてきますよね。目標に向かってやり続けることを、アメリカの心理学者ダックワースさんはGRIT(やり抜く力)と表現しましたが、まさに成長的知能観の持ち主は、やり抜く力を持ち合わせているといえるでしょう。
 つまり、マインドセットの考え方に基づけば、「失敗=過ち」と捉えてしまうのが固定的知能観で、「失敗=自己投資」と捉えるのが成長的知能観であるといえます。新学習指導要領で描かれた三つの資質・能力のうちの一つ「学びに向かう力・人間性等」は、成長的知能観ややり抜く力などを意味していると私は考えています。

 また、失敗を大いに学びに活かしていこうというアイデアもあります。シンガポールの国立教育研究所のカプールさんは、「生産的失敗」というアイデアを提唱しています。私達が失敗から多くのことを学ぶのであれば、意図的に授業において失敗する場面をつくりだすような授業デザインをすればいいじゃないか、それが生産的失敗に基づいた授業です。
 実は日本でも、斎藤喜博先生が「○○ちゃん式間違い」という指導方法を提唱しました。授業の中での間違いに劣等感を抱かせるのではなくて、すべての児童の成長に活かしつつ、学級集団を結びつきのある集団にしていこうとする試みでした。

えーと、つまり、『失敗はしたっていい、そうやって僕・私はできるようになっていくんだ!』と考える子どもを育てたり、そういう授業を仕組んだりすればいいということですか?

授業は「安心して失敗できる場」であること

 そのとおり! 以上のことからいえることは、もやもやや失敗を子どもたちが経験したまさにその瞬間に、私たち大人がどれだけ丁寧に心理的・感情的なサポートができるかということにかかってきます。「もやもやすること、失敗することが成長には必要だ」と、子どもたちを突き放すことが大事なのではありません。もやもやとした状況を子どもたちが喜んで受け入れられるような、成長的知能観を抱けるような、そんなサポートが必要になります。学校という場が、安心して失敗ができる場でなければなりませんね。

 * * *

 以上のことを、道徳の授業づくりに当てはめて考えてみるとどうなるでしょう。一部改正された道徳の学習指導要領で最も強調されたのが「考え、議論する道徳」であり、多様な価値観があることを認めつつ、道徳としての問題を考え続けることに重点を置いています。「私は人と意見が違っているから、恥ずかしいし黙っておこう」なんて子どもが考えてしまったらもったいないですよね。これこそ、人の目を過剰に気にしてしまっている固定的知能観かもしれません。道徳の授業で「ああかもしれない、こうかもしれない」と子どもたちがもやもやすることを積極的に認めていくことこそ、授業づくりにおいて最も大切な教師の姿勢だと思います。「なんとなく一緒」を前提とした授業ではなく、「違った存在であること」を前提に出発することが最も大切です。
 そのためには、意図的に価値に対する多様な捉え方が発生するような、どうすればいいんだろうと考えを巡らせるような、そんな教材や発問が必要になってくるでしょう。
 もやもやを取り入れる授業づくりとは、他者と違うことが許される安心・安全な場づくりが大切な指標になってきますね。

第1講のまとめ

「考え、議論する道徳」を成功させるためには、もやもやや失敗を受け容れる安心・安全なクラスづくりが欠かせない。

  • もやもやしているのは、頭を使って考えている証拠
  • 成長的知能観ややり抜く力を子どもたちにいかにして育んでいくか

【参考文献】
M.Kapur, “Productive Failure”, Cognition and Instruction, 26:3, 2008
斎藤喜博『授業入門』国土社、2006年
A.ダックワース『やり抜く力』ダイヤモンド社、2016年
C.ドゥエック『「やればできる!」の研究』草思社、2008年

荒木 寿友あらき かずとも

1972年宮崎県生まれ,兵庫県育ち。2002年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。専門は道徳教育、教育方法、ワークショップ、カリキュラム開発。現在,立命館大学大学院教職研究科准教授。NPO法人EN Lab.代表理事。セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン,アドバイザー。NPO法人cobon理事。国内外、大人子どもを問わず、さまざまなワークショップを展開する。
単著に『学校における対話とコミュニティの形成』(三省堂、2013年)、共著に『モラルの心理学』(北大路書房、2015年)、『考える道徳を創る「私たちの道徳」教材別ワークシート集』(明治図書、2015年)、『やさしく学ぶ道徳教育』(ミネルヴァ書房、2016年)、『戦後日本教育方法論史 下』(ミネルヴァ書房、2017年)など。

(構成:林)
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