世界一わかりやすい道徳の授業づくり講座 対話でつくる道徳の学び
いよいよスタート目前の「特別の教科 道徳」。身構えなくても大丈夫。考え、議論する道徳にはもやもや・ワクワクがたくさん!対話的な子どもを育てる道徳の授業づくりを始めましょう。
世界一わかりやすい道徳の授業づくり講座(2)
ワクワクが学びを加速させる
もやもやワクワクの道徳授業づくり その2
立命館大学大学院准教授荒木 寿友
2017/7/25 掲載

 前回はマインドセット(心の持ち方)のお話から、もやもやとしたときにこそ成長が促されること、そしてもやもやとしたときの子どもたちの心理的な不安定さを私達教師がフォローアップしていくことの大切さについてまとめました。
 今回は授業におけるもう一つの大切な要素、「ワクワク」について学んでいきましょう。

勉強にワクワクは不要?

 最近みなさんは、何かにワクワクしたことってありますか? 大好きな人に会っているとき? ドラマや読み始めた小説の続きが気になってやめられなくなったとき? 新しく企画を立ち上げているとき? 旅行に出かけるとき? 新しいことを始めるとき? 子どもだったら遊んでいるときかもしれないですね。いろいろなワクワク感があると思います。
 上記のようにワクワクを捉えた場合、そこには二つの意味が隠されています。その一つは感情的に「楽しい〜!」と感じる情意的な側面、もう一つが「もっと知りたい!」「何だろう?」と知的な関心や好奇心を抱く側面です。どちらも人間にとっては一歩前に進むための大きな原動力になっているものですね。
 ところが教育の世界では、ワクワクすることはこれまで避けられていた気もしないではありません。「勉強」という言葉をみてもわかるように、もともと気乗りしないことを無理にやること、つまり「苦行」という美徳が教育の世界にはあるのではないでしょうか?(ちなみに関西では商売人さんが「勉強させてもらいます!」と言いますが、これはそろばんを持って算数の勉強をするのではなく、「(乗り気じゃないけど無理して)値引きします」という意味です。)勉強なんてものは遊びと違ってそもそも楽しくないもの、苦しみながら努力して身につけていくもの、楽しい遊び・苦しい勉強、そういうマインドが根本に流れているかもしれません。断片化された知識をひたすら暗記すること、将来役に立つかもしれないからとりあえず今頑張りなさい―これを正当化するために「学びは元来苦しいもの」という前提に立っていたのでしょう。つまり、学びにおけるワクワク感は勉強とは関係のない遊びにつながるものとして、暗黙のうちにタブー視されてしまっているのです。しかし、もはや断片化された知識を覚えることには大して意味のない時代になっていますし、そのような教育観からの脱却が図られようとしています。

さまざまなところで語られるワクワク

 先に見たように、ワクワク感には二つの種類があります。これを学びに当てはめると、「楽しい〜!」という学びの着火剤になるような情意的要素、そして、学びをより深いところにもたらしてくれる知的な興味関心に基づいたワクワク感であるといえます。
 たとえば波多野誼余夫さんらは、なんと40年以上前に「知的好奇心」の重要性を説いて、知的好奇心を引き出す授業モデルを提示していました。ほぼ同時期に、板倉聖宣さんは理科教育の分野で仮説実験授業を発案し、「楽しい授業」を提唱していました。(仮説実験授業は、ある事象に対する子どもたちの仮説を徹底した討論によってブラッシュアップさせ、最終的に実験をすることで確かめていく手法です。)
 最近では、上田信行さんが「プレイフル」という言葉で学びにおける楽しさを表しています。「ワクワクドキドキする心の状態」を意味するプレイフルという概念を用いて、学びは本来楽しいものであり、真剣に楽しむことで新しいことにチャレンジし、創造性が溢れてくると説きます。彼はこう言います。「楽しいことの中に学びが溢れている」と。

* * *

 海外に目を向けてみるとどうでしょう? アメリカの心理学者・チクセントミハイはフロー理論を提唱しています。フローとは、自分自身のスキル(技能)とチャレンジ(挑戦)のバランスが取れた最適な状態で活動しているとき、私たちは物事に没頭し、最高のパフォーマンスが得られ、その瞬間はあたかも水が流れていく(flow)ように感じていると表現します(スポーツの世界では「ゾーンに入る」という言い方をするときもあります)。まさにこのフロー状態が楽しさに満ち溢れている状態なのです。
 また教育工学の分野では、1980年代から授業における学習意欲の喚起に焦点を当てたARCS(アークス)モデルがケラーによって提唱されています。学習者の注意 (Attention:いわゆる導入部の工夫)を向けさせ、学びにおける関連性 (Relevance:生活とどんなつながりがあるのか、こういう意味があるのか!)を明確にし、学習者の自信 (Confidence:やればできるんだ!)や満足感 (Satisfaction:挑戦してみてよかったな)を満たしていくというこのモデルは、授業の様々な場面で学習者の興味関心を引き出すポイントを示しています。

目指せ ワクワクの二段構え!

 以上から言えることは、ワクワクは単に感情における「楽しい〜!」だけを意味するわけでは決してないということです。これは学びの導入部における着火剤のようなもので、いわば「マッチ」のようなものです。それだけではすぐに消えてしまいます。波多野誼余夫さんやチクセントミハイらの主張からもわかるように、子どもたちの「楽しい気持ち」に火がついたら、それを消さないための「知的ワクワク感」を引き出して真剣に楽しんでいく必要があります。いわばワクワクの二段構えで授業をつくっていくということですね。

なるほど…! ワクワクが何度も押し寄せるように、ということですね。ん? 知的なワクワク感って具体的にはどんなことをさすのでしょうか? それに、これを引き出すにはどうすればいいのでしょう?

 実はそこには、前回取り上げた「もやもや」が必要になってきます(お! つながった!)。もやもやって、ああでもないこうでもないと考えを巡らせることでした。より具体的に道徳の授業づくりに当てはめて考えてみると、次のようになると思います。

・子どもたちの持っている前提や当たり前を切り崩すこと(例:それって本当なの?)
・様々な視点から道徳的価値について考える機会を与えること(例:その考え方ってどんな場合でも当てはまる?)
・子どもたちの心の奥底にあるかもしれない邪(よこしま)な意見をあえて教師が言ってみること(例:主人公は騙し続ければよかったんじゃないの?)
・問いのレベルが子どもたちの発達段階に見合っていること(スキルとチャレンジの一致)
・(可能であれば)表現を伴う創造的な問いであること(例:みんなが幸せになるための○○を考えてみよう)
・自分の考えを表現する場(機会)があること

 授業の導入部において、「楽しい」気持ちに火をつけて、子どもたちがちょっと背伸びをすれば解決できる最適な「もやもや発問」(大阪の小学校の先生が命名!)を準備することが、知的なワクワクにつながります。このように、ワクワクこそが、学びを導き、深めていくにあたって、いちばん大切な「モチベーション」になるのです。まさに「学びに向かう力」そのものですね。
 読者の先生方の授業が子どもたちをフローにさせる、本講がその一助になればなぁと切に願います。そして何よりも、学びを仕掛ける先生方が道徳の授業づくりにワクワクしてほしいなと思います。そのワクワク感は必ず子どもたちに伝わります!!

第2講のまとめ

  • 2種類のワクワク。その一つが学びの着火剤となるようなワクワク。もう一つが、「もっと知りたい」「なぜ?どうして?」を引き出す知的なワクワク。
  • 道徳を学ぶことを「真剣に楽しむ」ことが最も大切。それは子どもたちだけでなく、教師にもいえること。

【参考文献】
板倉聖宣『たのしい授業の思想』仮説社、1988年
上田信行『プレイフル・シンキング』宣伝会議、2009年
鈴木克明監修『インストラクショナルデザインの道具箱101』北大路書房、2016年
波多野誼余夫、稲垣佳世子『知的好奇心』中公新書、1973年
チクセントミハイ『フロー体験入門―楽しみと創造の心理学』世界思想社、2010年

荒木 寿友あらき かずとも

1972年宮崎県生まれ,兵庫県育ち。2002年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。専門は道徳教育、教育方法、ワークショップ、カリキュラム開発。現在,立命館大学大学院教職研究科准教授。NPO法人EN Lab.代表理事。セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン,アドバイザー。NPO法人cobon理事。国内外、大人子どもを問わず、さまざまなワークショップを展開する。
単著に『学校における対話とコミュニティの形成』(三省堂、2013年)、共著に『モラルの心理学』(北大路書房、2015年)、『考える道徳を創る「私たちの道徳」教材別ワークシート集』(明治図書、2015年)、『やさしく学ぶ道徳教育』(ミネルヴァ書房、2016年)、『戦後日本教育方法論史 下』(ミネルヴァ書房、2017年)など。

(構成:林)
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