生成AIを使っている先生は、少しずつ増えてきました。「授業のアイデアを考えて」「この文章を読みやすくして」「こんな発問はどう?」。私自身も、これまで生成AIを便利な「相談相手」として使ってきました。
ところが最近、私の生成AIの使い方が少し変わってきています。
AIに「答えてもらう」のではなく、仕事そのものを任せるようになってきたのです。
生成AIが「答える」だけではなくなった
私が現在よく使っている生成AIの1つに「Claude(クロード)」があります。
以前の生成AIとのやり取りでは、「発問を考えて」と頼んで回答を受け取り、次に「ワークシートをつくって」と頼み、さらに「スライドの構成も考えて」と頼む、といった使い方が中心でした。
つまり、AIがどれだけ便利になっても、仕事を1つずつ切り分け、次に何をするかを考え、成果物へと仕上げていくのは人間でした。
ところが、ClaudeのCoworkなどを使うようになって、この感覚が変わりました。
例えば、私は授業準備で、作成済みの単元計画や学習指導要領・解説の該当箇所などを渡し、単元全体で必要になる資料をまとめて作成するよう依頼しています。
すると、1つの指示をもとに、
- 各時間の指導案
- 児童用ワークシート
- 授業用スライド
- 板書計画
- 評価ルーブリック
といった複数の成果物を、それぞれ編集できるファイルとして作成できます。
これまで「AIを使う」といえば、チャット欄に返ってきた文章をコピーして、WordやPowerPointへ貼り付け、そこから自分で加工するイメージが強かったと思います。
今は、「回答をもらう」ところから、「成果物を受け取る」ところまでAIに任せることができるようになってきました。
大事なのは、プロンプトより「仕事の渡し方」
実際に使っていて感じるのは、難しいプロンプトを覚えること以上に、「仕事をどう渡すか」が重要だということです。
私が意識しているのは、大きく3つです。
- 何を材料として渡すのか
- どんな条件を守ってほしいのか
- 何を成果物として受け取りたいのか
例えば、単元の資料一式をつくるなら、単に「この単元の教材をつくって」とは頼みません。
単元計画や学習指導要領・解説、学級の実態などを材料として渡します。そして、「単元の目標と各時間の活動を対応させる」「評価規準が確認できるようにする」「すべて編集可能な形式で作成する」といった条件を伝えます。そのうえで、指導案、ワークシート、スライド、板書計画、評価資料など、最終的に必要なものをまとめて示します。
AIに仕事を任せるというと、「丸投げ」のように聞こえるかもしれません。しかし、実際には逆です。
AIにきちんと仕事を任せようとすると、教師自身が「この仕事の目的は何か」「何が必要なのか」「どこまでできれば完成なのか」を、これまで以上にはっきりさせる必要があります。
「任せる」は、責任まで渡すことではない
もう1つ、私が大切にしていることがあります。
それは、AIに仕事を任せても、判断まで任せないことです。
AIは、資料を整理したり、複数の案を出したり、文章やファイルのたたき台をつくったりすることが得意です。
一方、その授業が目の前の子どもたちに合っているのか、この発問で本当に考えが動くのか、評価の方法は妥当なのかを決めるのは教師です。
私は、AIとの仕事を「任せる」「判断する」「確認する」「任せない」に分けて考えています。
例えば授業資料であれば、第一稿の作成や複数資料への展開はAIに任せられます。しかし、どの案を採用するかは教師が判断します。教材の内容や数値、出典などは確認します。そして、子どもの評価や個別の支援、安全に関わる判断などはAIには任せません。
また、児童生徒の個人情報などを生成AIへ入力しないことや、勤務する自治体・学校のルールを確認することも大前提です。
AIに任せるほど、教師がする仕事が見えてくる
生成AIに仕事を任せるようになって、私は「教師の仕事がAIに奪われる」という感覚よりも、むしろ逆のことを感じています。
AIに任せられる仕事が増えるほど、「これは自分がやるべき仕事だ」と思うものが、はっきりしてきたからです。
白紙の指導案を一から書き始めることと、目の前の子どもの様子を見て「今日は予定していた発問を変えよう」と判断することは、同じ「授業準備」でもまったく違います。
資料のたたき台をつくることはAIに任せられるかもしれません。でも、子どもの表情や言葉から授業を変えることは、教室にいる教師にしかできません。
これまでは「生成AIに何を聞けばいいか」を考えることが、AI活用の中心でした。
これからは、
「AIに何を聞くか」から、「AIにどんな仕事を、どこまで任せるか」へ。
生成AIは、教師の「相談相手」から「仕事相手」へと変わり始めています。
だからこそ、AIにできることを増やすだけではなく、教師がすること、教師にしかできないことも同時に考えていきたいと思います。

