1 南吉作「ごんぎつね」の存在
新美南吉の代表作と言えば、「ごんぎつね」を思いつくだろう。1956年に教科書掲載されて以来、延べ6000万人もの人が読んだことになるという。私も、10数回授業をした。この作品は、いろんな場面で面白い授業ができる。「読解の視点」を指導していく上でも格好の教材である。
しかし、授業するたびに、気になる箇所がいくつか出てくる。
場面1で、魚をにがしているところを兵十に見つかり、ごんはにげる。その後、次の表現がある。
「ごんはほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっと外して、あなの外の草の上にのせておきました。」
(各社教科書所収。雑誌『赤い鳥』に掲載されたものがベースになっている。以下、赤い鳥版と明記する)
「ほっと」できる状況で、「かみくだ」く行為をするのであるから、ごんの残忍さを感じてしまう。それなら、なぜ「草の葉の上にのせてお」くのか。不整合である。「かみくだ」く行為は、他の場でのごんの行動、思考、人物像とも不整合である。そう思い、授業では、「かみくだき」の箇所は、あまり触れずにいた。
手元に、『新編新美南吉代表作集』(半田市教育委員会編集発行)がある。平成6年発行とある。その頃に、南吉記念館で購入したものだ。中に、南吉自筆の「権狐」が掲載されていた。「ノートに書いた草稿」。「鈴木三重吉が添削したものと考えられる」という解説も入っていた。読みにくいこともあり、しっかり見ないままだった。
2 原作の整合性
南吉作(以下、自筆原稿をこのように記す)の「かみくだき」の部分を読んでみた。次のように書かれていた。
「権狐は、ほっとして、鰻を首から離して、洞の入口の、いささぎの葉の上において洞の中にはいりました。
鰻のはらは、秋のぬくたい日光にさらされて、白く光っていました。」
南吉作では、「かみくだ」いていないのである。いささぎの葉(ひさかきの葉…さかきに似ている。さかきの代わりに神仏用に使う地域がある)の上におく。「鰻のはらは、秋のぬくたい(あたたかいの方言)日光にさらされて、白く光っていました。」とある。ごんの心情を反映した情景が描かれていたのである。南吉作の見事な整合性。
南吉作を全部、読んでみることにした。『校定新美南吉全集10巻』(大日本図書)の中に、活字化されたものが所収されていた。資料的な扱いであった。驚くほどの相違点が見つかった。南吉作にある尾張知多地方の方言は、すべて訂正されていた。その他重要と思われる点を紹介する。
@ 場面3の中で、赤い鳥版は、「ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。」とある。この部分、南吉作は、「何か好い事をした様に思えました。」とだけある。赤い鳥版では、「つぐない」という言葉によって、物を届けるごんの行動が最後まで、「つぐない」のように思える。赤い鳥版場面4の最後で、「神様にお礼を言うんじゃ、おれは引き合わないなあ。」となる。「つぐない」が報われないという損得感情が浮上しているように見える。南吉作は、「神様がなくなりゃいいのに」「神様がうらめしくなりました。」とある。兵十への謝罪の心、同情心は、この段階で、求愛の心に変化しているように表現されている。
A 場面3の最後に、南吉作には、重大な一文がある。「そして権狐は、もういたずらをしなくなりました。」である。場面3で、主人公「ごん」の心が劇的に変化しているのである。赤い鳥版では、この大事な一文が削除されているのである。次の場面4、加助と兵十の後をおいかけるごんの足どりの軽さは、「いたずらをしなくなったごん」と整合的である。
B 最後の場面、「兵十はかけよってきました。」の一文は、授業のとき、よく話題に出される。「かけよってきた兵十は何を見ましたか」という発問は定番になっている。子どもたちの多くは、「ごんがどうなったか見に来た」と答える。それに対して、「うちの中を見ると」という言葉を根拠に、「どんないたずらをされたか見に来た」という解釈が生まれる。ここで読解が深化するという訳である。ところがである。南吉作には、次のようある。
「兵十はかけよって来ました。所が兵十は背戸口に、栗の実が、いつもの様に、かためておいてあるのに眼をとめました。」
「うちの中を見る」とは書かれていない。ごんをうったあと、かけよってきた兵十は、かためておいてある栗の実に、「眼をとめた」のである。南吉作の方が、自然であり、整合的である。「うちの中を見る」は、赤い鳥版による添加である。そのために、不自然、不整合が生じる。その箇所をつついて、授業をしていたのである。私もそうであった。
C 「眼をとめた」あとの、南吉作を紹介する。
「『おや――――――― 。』兵十は権狐に眼を落としました。
『権、お前だったのか………。いつも栗をくれたのは――。』
権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなりました。」
ダッシュは、何と7字分ある。驚き、発見、後悔等、複合した兵十の精神状態を南吉はこの7字のダッシュで表現したのである(このダッシュを南吉全集は取り上げていない)。お前だったのかの後の9点リーダーも、そのまま味わいたい。
D そして、赤い鳥版。「ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。」南吉作は、「ごんは、ぐったりなったまま、うれしくなりました。」。
南吉作では、「うれしくなりました」とごんの心情が書いてある。自分の行為を兵十に分かってもらえた。撃たれてしまって、大変に「わりにあわない」状態である。赤い鳥版の「ごん」には不整合となる。だから、「うれしくなりました」を削除したのだろう。しかし、撃たれてもなお、「うれしくなりました」と思った「ごん」の心情こそ、この作品で南吉が描きたかったことなのではないか。
3 南吉生誕100年を前に
もし、宮沢賢治の自筆原稿の童話が後から見つかったら、どう扱われるのだろう。方言はもちろん、一言一句修正せずに公にされるのではないだろうか。
南吉の評価が高まり、16歳に書いた作品までが、さまざまな著作集に収められている。18歳になった南吉の「ごんぎつね」の自筆原稿が存在するのだ。しかも、南吉自身の思考、思想が整合的に盛り込まれている作品になっているのである。南吉がこの作品を『赤い鳥』に投稿したのが10月。翌年の1月号『赤い鳥』に掲載された。12月に刊行された可能性もある。南吉の自筆原稿は、「習作時代の草稿」では決してない。「ごんぎつね」の原作なのである。添削されたものを「赤い鳥版」または、「鈴木三重吉編」として扱うのが妥当ではないか。
実は、多くの研究者が、この自筆原稿について触れてはいる。詳しくは述べないが、概して評価は低い。赤い鳥版を「南吉の習作に職業作家鈴木三重吉が磨きをかけた作品」とまで、言われる方もある。
私は、南吉の原作を知り、何よりも子どもたちにさっそく伝えたいと思った。
2008年度、2009年度の4年生に対して、赤い鳥版と南吉作を対比的に取り上げ授業した。共に、公開研究会で見ていただいた。その授業実践については、南吉自筆原作と共に、『国語科「言語活動の充実」事例』(2010年、明治図書)に所収。
あれから3年あまりたち、来年2013年は、南吉生誕100年となる。ぜひ一人でも多くの方に、新美南吉原作を読んでほしい。今年は、4年生の担当ではないが、機会があれば、再び、南吉作と赤い鳥版を批評的に授業をしたいと考えている。なお、その南吉の原作を現代仮名遣いにするなど、より読みやすくしたテキストを作成した。関心のある方は、ご一報いただければと思う。
本校では、教科書「ごんぎつね」終了後に、4年生全員に南吉原作「権狐」を配布し、両者を対比する学習をします。そこで使用する原作テキスト(現代仮名遣いにしたもの)残部あります。よろしければご連絡ください。
南吉版を読み 眼から鱗 感激しました。「言語活動の充実」で学ばせていただいております。来年、所属している朗読の会の発表会で仲間と読ませていただく予定です。
原作テキストはございますでしょうか?
新美を新見と表記してある(大日本図書)のは単に間違いなのでしょうか。
テキストぜひお願い致します。
問い合わせはどのようにしたらよろしいのでしょうか?
お手数をおかけいたしますがよろしくお願いいたします。
4年前に4年生を担任したとき、ちょうど友達が二人とも4年生担任で
半田市の新見南吉記念館に行ったり、中山とされるところなどを
めぐったことを思い出しました。
このように、南吉版を紹介していただき、
周りに伝えたいなと考えています。
状況描写が本当に素晴らしいなと思っています。
南吉版の存在初めて知りました。
岩下先生ももちろんご指摘されていますが。
「おやーーーーーーー。」の7文字分のダーシ、これがあるのとないのでは兵十の心情を読み取る際に全く異なってきます。兵十がごんをドンッと撃った後には、兵十の様々な心情があるはずです。それを「ダーシ7文字」という言葉にならない表現を用いることによって、ぐっと作品に引き込まれることを南吉版を読むことに体感することができました。「ダーシ7文字」ずいぶんと子どもたちと考え、授業することができるように思います。それほど重要と思いました。
その他、岩下先生がご指摘なさっている箇所のどれも重要と同じく感じさせていただいています。
南吉版を世に出すべきだと思います。赤い鳥版と南吉版を知る必要がごんぎつねと出会う読者(もちろん子どもたちも含めて)は両方を知る必要がある。そう思いました。
現在4年生担当です。ごんぎつねの授業は終わっていますが、修了式までになんとしても授業で取り上げたいと思います。
南吉版の評価の低さを、なんとか挽回して世に広めようとしている岩下先生の熱を感じています。
先生から直接見せていただいた構想原稿と挿絵とっても素敵でした。
出版されて全国で読まれることを期待しています。
今年度は四年生担任。
南吉版で国語の授業の締めをしようと考え中です。
いつも先生から学ばせて頂いています。
ありがとうございます。
南吉版と教科書のごんぎつねを読み比べて、ぜひ授業でしてみたいなと感じました。
出版される日を楽しみにしております。
ありがとうございました。
優しさや、方言、生活の息づいた豊かな世界を表現できるよう取り組みます。
ご指導ありがとうございました。
読みやすいです。絵の美しい色、ごんの瞳の輝き すばらしい絵本をありがとうございました。
ここにあることが判りました。プリント出来ました。岩下先生の授業を思いながらこの(ごんぎつね)を読んでみます。ごんぎつねの絵本は沢山あり、描かれている風景も作家によってさまざまでしたが、もう一つのごんぎつねのことを知り、もう一度読み直す事が出来ます。小学校で読み聞かせをしている仲間にもこの本を見せて、また考えてみようと思います。ありがとうございます。