教育オピニオン
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放射線教育と理科教育
今こそ試される理科の力
立命館大学産業社会学部子ども社会専攻教授山下 芳樹
2012/10/4 掲載

1 30年ぶりに放射線教育が復活した

 平成23年度から、中学校理科では最後の単元「科学技術と人間」で「放射線」を扱うことになった。30年ぶりに放射線に関する記述が復活したことになる。
 扱うべき項目としては、科学技術の発展やエネルギーとの関わりとして以下の5点をあげている。すなわち、

  1. 原子力発電ではウランなどの核燃料からエネルギーを取り出せること
  2. 核燃料は放射線を出していること
  3. 放射線は自然界にも存在すること
  4. 放射線は透過性、電離作用を持っていること
  5. 放射線は医療や製造業などで利用されていること

 このように、社会で放射線がどう活用されているかという、いわば放射線のプラスの面を中心に構成されている。
 しかし問題は、放射線が新学習指導要領に盛り込まれることが「福島原発事故以前から決まっていた」という事実であり、事故以降、放射線についての状況は一変した。○○問題と放射線というより広い視野からの、いわば清濁両面からのアプローチが求められるようになった。人々の関心はマイナス面にも及ぶ。
 対応策として、文部科学省から、小・中・高校生用、そして教師用マニュアルと4種類の放射線に関する副読本が出された。事故後に作られたこれら副読本には、当然ながら人体への影響がクローズアップされている。しかし一方、教科書には放射線の活用に焦点が当てられているわけであり、両者の扱いに齟齬が生じた。

2 理科として、どう扱えばよいのか

 「中学3年生の限られた単元だけで教えられるのか」「福島原発事故にどこまで触れるべきか」、さらには「人体への影響についてうまく教えきれない」と結果的には教育現場は混乱した。これは、放射線教育元年と銘打って先進的な実践を行っている福島県の中学校とは好対照である。下記は、放射線をどう教えればよいかという、いわば対症療法的な扱いから「リスク教育」というより広い視点へ、中学校理科を俯瞰する形での放射線教育の試みである。

中学1年の理科(身近に感じる放射線:放射線とは何か)

(単元4)大地の変化(地震や津波)での位置づけ
@VTRの視聴「拡大する放射能汚染」
A演示実験(簡易霧箱による放射線の観測) 
B校庭での放射線量の測定、測定値の考察

中学2年の理科(科学的に捉える:原子とは何か。放射能と放射性物質)

(単元1)化学変化と原子・分子での位置づけ
@モデル作成(水素、ヘリウム、炭素原子の原子、および同位体モデル)
A校舎外の放射線量の測定
B市内の測定値についての考察

中学3年の理科(活用とリスク:放射線の活用とリスク)

(単元6)科学技術と人間での位置づけ 
@VTRの視聴「原子力発電所の仕組み」
A放射線を利用した製品
B県レベルでの測定と考察

(福島県郡山市立明健中学校の事例)

3 リスク社会における理科教育の視点へ

 不安や困惑が生まれる状況(リスク社会)にこそ、理科や科学を学ぶことの本質がある。理科を通じて育てたいのは、「目的意識を持って実験や観察を行うこと」によって、「自ら分析し、解釈して得た結果をもとに正しく判断して行動できる」力や態度であり、決して放射線についての物知りではない。「原発を継続するのか、新しいエネルギーを模索するのか」という選択を迫られたとき、嫌いだからとか、わからないからではなく、(科学的)根拠に基づいた『根拠(判断理由)』を持ち、賛成か反対かを明確に述べることが重要だ。リスクとベネフィット、マイナス面とプラス面を熟知した上で議論し、判断できる力をつけることが大切であり、そのための鍛錬の場として学校理科は威力を発揮する。

4 未来に生きるための理科教育

 先進的な放射線教育を行なっている英国の例を紹介したい。それは、21世紀を生きぬくための科学“GCSEサイエンス”という小学5・6年、中学1・2年を対象としたものである。そこには「科学は万人のため」という考えがあり、市民として生きぬく上で欠かせない内容として、例えば、物理分野では「宇宙の中での地球(The Earth in the Universe)」、「放射と命(Radiation and life)」、そして「放射性物質(Radioactive materials)」の3つを取り上げている。
 放射性物質で学ぶのは、「この世にはまったく安全な物質などはなく、必ずそれぞれにリスクとベネフィットがある」ということであり、「科学は絶対ではなく、ひとつの情報にすぎない」と伝えたうえで、「あなたはどう考えるか」と問いかける。放射線についても、「様々な問題や側面があるにもかかわらず,電力の多くを原子力に依存している」という情報を受け取ったうえで、「原発に賛成か反対か」と議論する。そこには、科学技術行政に関わり、賛成か反対かを決めるのは国民だからこそ、科学の知識を学び、科学的根拠を持って議論に参加する力を育てようという理科教育としての基本的な考えがある。
 放射線についての『知識』は何時、どう教えればよいのかという、いわば付け焼き刃的処方に終始していたのでは、今回の教訓はいずれ色あせてしまう。福島の事例を活かすためにも、学校理科は「リスク社会における理科」としての役割をも担うべきではないか。

 21世紀を生きぬくための科学“GCSEサイエンス”の具体的な内容、またその特色、さらには「日本の理科教育にどう活かすか」については別の機会に紹介したい。

山下 芳樹やました よしき

大阪市立大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。滋賀県立膳所高等学校教諭、弘前大学教育学部、広島大学大学院教育学研究科教授を経て、現在立命館大学産業社会学部子ども社会専攻教授。その間、テネシー州立大学理工学部招聘教授等を歴任。京大親子理科実験教室や立命館小学校楽しい理科教室では、子どもたちの喜々とした姿に喜びを感じつつ、未来の科学者と戯れる毎日。
なお、目下の課題は「リスク社会における理科の学び」や、それを推進させるための教員養成としている。
著書に『実験で実践する魅力ある理科教育』(オーム社)、『理科は理科系のための科目ですか』(森北出版)、『高校物理“検定外”教科書』(宝島社)や『文化として学ぶ物理科学』(丸善)等がある。

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