著者インタビュー
新刊書籍の内容や発刊にまつわる面白エピソード、授業に取り入れるポイントなどを、著者に直撃インタビューします。
道徳授業の疑問や悩み、根本から解決します
山形県公立小学校校長佐藤 幸司
2020/12/7 掲載
 今回は佐藤幸司先生に、新刊『WHYでわかる! HOWでできる! 道徳の授業Q&A』について伺いました。

佐藤 幸司さとう こうじ

山形市生まれ。1986年より教職。山形県公立小学校校長。教育研究団体「道徳のチカラ」代表。温かみを感じる素材でつくる「ほのぼの道徳授業」を提唱し、独自の主眼による100を超えるオリジナル道徳授業を生み出している。

―道徳授業の「基本型」には、どんな意図があるのでしょうか。

 「基本型」というのは、文部省(当時)が示した授業の流れ(指導過程)の一例です。各段階については、大まかに次のように理解しておくとよいでしょう。
@導入
 各教科での「課題をつかむ場面」に当たります。「価値への方向付け」は、すなわち学習課題の把握なのです。

A展開
 〈前段〉登場人物の気持ちを考えることは、実際の生活場面でのシミュレーション学習の効果が期待できます。例えば、学校生活の中で、相手の気持ちを察して思いやりのある行動をとるという場面で役立つはずです。
 〈後段〉道徳の学習では、他人ごとではない「自分ごと」として考えられるようにしなければなりません。そのために、これまでの自分を振り返る活動を重視します。

B終末
 学習のまとめをして、道徳的な価値をしっかりと心に留めます。教師の説話が多用されたのは、担任の話を聞き、よい雰囲気で授業を閉じる効果があったと思われます。
 大切なのは、「基本型」のかたちではなく、その意図を理解することです。

―よくあるお悩みで、本書でも取り上げられていますが、どうすれば子供たちが本音で話し合う道徳授業ができるのでしょうか。

 まず、授業者であるあなた自身は、本音で道徳授業を行っているでしょうか。例えば、次のようなことを感じたことはないですか。
@この教材、ちょっとうそっぽいよね。
A登場人物の気持ちを聞いても、同じような反応しか返ってこないのにな。
B自分を見つめるとか教師の説話とか、なくてもいいんじゃない?
 いかがですか。「そう感じたことがある」というのであれば、授業づくりそのものを考え直してみるべきです。
 授業をつくる際、大切な3つの要素があります。「教材」「発問・指示」「指導過程」です。上の例でいえば、@が教材、Aが発問・指示、Bが指導過程に当たります。子供たちの発言に本音が感じられないときは、この中のどれか1つを変えることから始めてみましょう。
 一番のおすすめは、魅力ある教材の開発に目を向けてみることです。最初から、1時間全部を開発教材で通さなくてもよいのです。教科書教材にプラスする形で、類似(同じ内容項目)の教材を探してみましょう。
 身近な出来事や今を生きている人から、子供たちに学ばせたいことはありませんか。
 このような視点に立つと、ノンフィクション教材の有効性に気づきます。そして、できれば、今の時期に合った旬のネタを使って教材をつくりたいものです。何気ない日常の出来事を教材にすると、子供たちは自然な自分の感情(本音)で話し始めます。

―いわゆる「展開後段」がワンパターン化してしまうという悩みも多いようです。これを抜け出すよい方法を教えてください。

 「展開後段」は、「自己を見つめる場面」といわれます。これは、大切な学習活動ですが、この場面での発問が「今までに、○○したことはありますか?」というワンパターンになってしまったら、授業は形骸化してしまいます。また、内容によっては、自己反省を迫られる「懺悔の道徳」になってしまうこともありました。
 「展開後段」では、子供たちに道徳の本(副読本)を一斉に机の中にしまわせるということも、よく行われていました。自分自身のこれまでの行動について考えるのだから、教材は不要(むしろ邪魔)という考え方です。けれども、教材があると、自分を見つめることができないのでしょうか。そんなことはありません。「展開後段では、教材から離れて考えるべきだ」という考えから脱してみましょう。
 道徳授業で大切にすべきは、子供が自分の経験を語ることです。教材をもとにした話し合いの中で、自分の経験を語ります。そして、また教材へと戻ります。その繰り返し中で、登場人物の考えや生き方に共感したり、批判的なものの見方を学んだりしていきます。無理に教材から離れる必要はありません。むしろ、教材とどう結びつけるのかが大事です。経験を語ることで、自分と教材がしっかりと結びついていきます。それが、「自分ごと」として教材に向き合うことなのです。

―最後に、読者の先生方にメッセージをお願いします。

 教師が楽しければ、子供も楽しい。
 これは、非常に単純な―けれども、かなり信憑性のある―私の持論です。まずは、先生自身が道徳授業を楽しんでください。
 道徳が特別の教科になり、教科書が無償化されました。教科書が「主たる教材」であるのは、道徳科に限ったことではありません。各教科でも、これまで当然のこととして、教科書を主教材としながら教師の創意工夫を生かした授業実践が行われてきました。道徳科でも、同じです。教科書を基本としながらも、それだけに縛られることなく(ましてや、教師用指導書を鵜呑みにすることなく)、魅力ある授業を子供たちと一緒に楽しみながら実践してほしいと思います。
 道徳授業を1時間実施したからといって、子供が急に変わることはありません。むしろ、「せっかく道徳で勉強したのに…」とがっかりさせられることのほうが多いかもしれません。けれども、道徳授業を毎時間実施していくと、少しずつだけれども着実に、子供たちが変容していくのがわかります。学級の雰囲気が温かくなってくるのです。雰囲気は、目には見えません。けれども、確かにそこ(教室)にあります。それを感じることができるのは、教室という同じ空間で、道徳授業という同じときを子供たちと一緒に過ごしている担任の先生だけなのです。
 道徳授業づくりを支えるのは、教師の思いです。こんな子供に育てたい。こんな学級をつくりたい。その思いを道徳授業の中でぜひ具現化してください。

(構成:矢口)

コメントの受付は終了しました。