著者インタビュー
新刊書籍の内容や発刊にまつわる面白エピソード、授業に取り入れるポイントなどを、著者に直撃インタビューします。
近づいては見えません。遠くから見ると色々なものが見えます
上越教育大学教職大学院教授西川 純
2015/1/9 掲載

西川 純にしかわ じゅん

1959年東京生まれ。筑波大学生物学類卒業、同大学院(理科教育学)修了。博士(学校教育学)。臨床教科教育学会会長。上越教育大学教職大学院教授。『学び合い』(二重括弧の学び合い)を提唱。『クラスと学校が幸せになる『学び合い』入門』『気になる子への言葉がけ入門』『子どもが夢中になる課題づくり入門』『簡単で確実に伸びる学力向上テクニック入門』『子どもによる子どものためのICT活用入門』(明治図書)など著書・編著書多数。

―本書は「会話形式でわかる『学び合い』テクニック」の第3弾として、テーマは「見取り」です。まず、本書のねらいと読み方について、教えて下さい。

 『学び合い』のテクニックは多面的で重層的です。今回は見取りです。『学び合い』は教師が何もしていないと誤解されています。しかし、もの凄く色々なことをしています。そしてぼーっとしているようで、いや、ぼーっとしているからこそ見えるものがあることを分かっていただければと思います。

―本書の第2章では、「教師はなぜ見取れないのか」として、「言葉がわからない」「状況が違う」「見ているところが違う」など、教師が子どもがどのレベルで分からないかを見取ることについて触れられています。「なぜ間違えてしまったか」「なぜわからなかったか」を理解するにはどういった視点が大切でしょうか?

 分かるわけ無い、と思うことです。
 水が気体であるとき、その一つ一つの運動を記述し予測することは現代科学でも不可能です。それは液体状態の水分子でも同様です。しかし、集団としての液体の挙動は予測できます。だからコップで水が飲めるのです。そして、水が固体になるとき、さらに正確に予測できます。
 教育における見取りにも様々なレベルがあります。見取りには子ども一人一人の見取りというミクロな見取りがあります。さらに、個々人が緩い関係を持った集団の見取りがあります。そして、個々人が強い関係を持った集団の見取りがあります。既刊書に多くあるのは個々人の見取りだと思います。いわゆる「○○タイプ」に分類する見取りです。
 しかし、それは可能性の高い一つの見取りであって、必ずしも正確ではありません。より精度を高めるためには集団としてみること、そして集団の凝縮力を高めることなのです。
 こう考えてみるとき、個人レベルの見取りの限界の危うさが分かると思います。

―本書の第3章では、「集団の見取り」として、遊んでいる子の見つけ方、共同作業や異学年活動でうまくいっているかの見取り方などについても述べられています。見取った後のアプローチも、重要なポイントですが、グループで浮いてしまう子、手のかかる子へのアプローチで、大切なことは何でしょうか?

 そのような子に対してどのようにアプローチしたら良いかは、「会話形式でわかる『学び合い』テクニック」の第2弾の『気になる子への言葉がけ入門』に書きました。詳細はそれを読んでいただきたいと思いますが、簡単に言えば、そのような子に教師がアプローチをしても効果が無いのです。だから、そのような子にアプローチするのでは無く、教師のアプローチが有効な子を中心とした集団づくりが有効です。

―先生は本書の中で、「見取り」のポイントとアプローチに加えて、「見取り」は一つの可能性の手がかりに過ぎないという限界を知る必要がある、とも述べられています。本書でも詳しく述べられていますが、この点について教えて下さい。

 例えばです。ある子ども同士がケンカをしたとします。ケンカの当事者の子どもが見れば、おおよその原因と経過が分かります。多くの場合、その見取りのもとに指導に入ります。しかし、それで間違うことがあります。仮にあっていたとしても、そのように見られていると思ったら素直に聞けなくなる子もいます。分かっていても、分からないかもしれない、と思う方が良いのです。

―最後に、読者の先生方へメッセージをお願い致します。

 『学び合い』は一見、誤解される姿も多いです。しかし、その根幹は、ごくごく当たり前のことを大事にしているのです。ただ、みんなが知っていて、みんなが大事にしていること、それをもう一歩進めると、今とは違うことが見えます。それを知っていただきたい。

(構成:及川)

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