フル・インクルーシブ教育の学校&授業づくり
インクルーシブ教育の最先端の研究を担う,東京大学大学院教育学研究科と大阪市立大空小学校の取り組みを紹介。
フル・インクルーシブ教育の学校&授業づくり(11)
学校文化から見えてくるもの
東京大学大学院教育学研究科助教二羽 泰子
2019/4/20 掲載
  • フル・インクルーシブ教育
  • 特別支援教育
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 インクル−ジョン(包摂)を可能にする学校文化とは、どのようなものなのでしょうか。それは、何か到達すべき目標のようなものとして存在するのではなく、どの学校にも可能なプロセスのなかに息づいているものだということを、二羽泰子先生が語ってくださいます。

 学校文化と聞いて、皆さんはどのようなものを思い浮かべるでしょうか。学校の先生たちの様子、教室の風景、クラスメートとの思い出、給食の思い出…、人それぞれだとは思いますが、おそらく学校に行ったことがある誰しもが自らの「学校文化」のイメージを思い浮かべられるのではないでしょうか。
 私はフィールド調査を中心に研究をしているため、小・中・高や国内外を問わず、様々な学校現場を訪れる機会があります。その中で新鮮な驚きを感じたことが2度ありました。

インクルーシブな学校文化との出会い

 フィールド調査を始めたばかりの頃は、まじめでおとなしい生徒が多い学校や、元気で活発な生徒が多い学校や、欧米の学校や、アジア・アフリカの学校など、まったく違う数々の学校にも、「学校的」な空気があるということが新鮮でした。しかしながら、調査を続けるうちに、様々な特徴的な学校がある中でも、だいたい学校文化の想定範囲がわかってきていました。少なくともそう思っていたのですが、その想定を大きく覆す空気を、一歩学校に踏み入れた瞬間に感じたことがありました。
 もちろん、その学校にも学校的な空気がまったくないわけではありません。そうではなくて、学校の空気が躍動しているとでもいうのでしょうか。それまで私の知っている学校は、学校それぞれに独特の空気や独自の雰囲気がありましたが、その学校にはどのような固有の文化があるのかを、生徒や先生の雰囲気や取り組みなどから容易に説明できていました。
 しかし、インクルーシブな学校文化というのは、こういう子どもがいるとか、こんな雰囲気の先生がいるとか、こんな授業をやっているとか、そういうことがうまく説明できないのです。様々な人がおり、様々な対応をしながら、様々な事件が起こり、相談している人もいれば意見のぶつかり合いも起こる。ただ一つ確実なのは、そういう学校ではたとえ教室に入れない子がいても、その子のことが置き去りにはなっていないということでした。

世界共通?のインクルーシブな学校文化

 2度目に驚いたのは、スウェーデンの中学校を訪れたときでした。スウェーデンと日本は、国の文化はもちろんですが、教育政策も、カリキュラムも、生徒の背景も、まったく異なります。そのため、「学校」という共通の空気はあったとしても、それ以上の共通点は見いだせないものと思い込んでいました。
 ところが私の訪れたその中学校にも、なんと、躍動する空気があったのです。その中学校は、移民や貧困や複雑な家庭事情の子が多く教えにくいので、数年前まで先生たちも多くの子に諦めを感じ、生徒たちもそれを受けてますます意欲を失い、信頼関係のまったくない学校になってしまっていたそうです。そのままではいけないと奮起した先生たちは、役割分担をして責任を押しつけ合うのではなく、関係者全員で生徒全員を見て行こうと決めたのだといいます。
 その結果はすぐに表れて、数年後には他の学校から見学者が来るようになったそうです。世界中に共通の「学校」としての空気があるのと同様に、「インクルーシブな学校文化」の空気も、世界中で共通なのかもしれません。

動き続け、模索し続ける文化

 インクルーシブという言葉は、基本的にすべての人たちが何らかの形でつながっている/参加している状態をつくり出そうとするプロセスを意味するという解釈が、UNESCOや世界中で翻訳され使用されているイギリスのIndex for Inclusion(Tony, Booth et al. 2000-2016)などで採用されています。それは皆さんそれぞれがもつであろう「いい学校」の文化というよりも、私が見た躍動する空気の学校のように、一見つかみ所のない文化だと私は感じています。
 いいと言われる学校はたくさんあるのですが、問題は、私たちがもっている「いい学校」のイメージはおそらくばらばらだということです。ある人は子どもは元気で活発な方がいいと考えるでしょうし、ある人は真面目でおとなしい子どもを育てる学校の方が将来有望だと思うかもしれません。
 そうなると、ある学校は元気な子にとってはいい学校でも、おとなしい子にとっては非常にいづらい学校になるかもしれませんし、別の学校はその逆かもしれません。しかし、インクルーシブな学校というのは、そうした大人のいい学校イメージを押しつけてしまうものではなく、常に動きながら、その時に在学する多様な子どもをつなげていく学校を模索し続けるような文化がある学校なのではないかと思うのです。

まとめ

  • インクルーシブな学校文化が、常に子どもをつなげるために挑戦し続ける学校文化であるとすれば、どの学校だからできる・できないということはないはずです。どこの学校でも子どもをつなげるために模索し続けているならインクルーシブな学校文化ですし、それをやめたなら決してインクルーシブとはいえません。学校文化は生きており、常に変わっていくものだと思います。今この瞬間にも、インクルーシブな学校文化へと変わろうとする学校があるかもしれないのです。

二羽 泰子ふたば やすこ

サポート校教員や国際協力の仕事を経て、現在東京大学大学院教育学研究科助教。専門は教育社会学。

(構成:赤木)
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