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国語科教育が言葉の教育になる日は来るのか (第12回)
「言語文化」という概念の虚妄性について
書誌
国語教育
2006年3月号
著者
渋谷 孝
ジャンル
国語
本文抜粋
一 「言語文化」とは何か 「言語文化」という言葉(概念)がある。それは垣内松三が『形象論序説』(一九三八、昭和一三年)で述べ、その後西尾実が『国語教育学の構想』(一九五一、昭和二六年)で述べたので、一種の「不可侵」の意味を帯びてしまった。そしてこの語の意味が分からないなどと言うのは、はばかられる状…
対象
小学校
/
中学校
種別
連載・常設
仕様
全5ページ (
50ポイント
)
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