教育オピニオン
日本の教育界にあらゆる角度から斬り込む!様々な立場の執筆者による読み応えのある記事をお届けします。
教員養成政策と「21世紀型学力」
帝京大学大学院教職研究科教授三石 初雄
2016/3/1 掲載
  • 教育オピニオン
  • 教職課程・教員研修

 21世紀になり、教員養成・教師教育にかかわっての様々な機関からの提言、答申、報告、調査結果が頻繁に出てきており、これと並行あるいは先行・後追いする形で、次期学習指導要領にかかわっての審議、「論点整理」も出てきている。
 直近の「これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について」という中央教育審議会答申(2015.12.21)では、「大学における教員養成」の原則、教育関連学部以外でも教員養成するという「開放制」の原則は維持するが、その法的根拠となる教育職員免許法の枠組みを変えようと提言している。それは、戦後70年の教員養成体系とカリキュラムの改革の可能性をも暗示している。

 戦後、日本の教員養成体系は、世界でもまれな「大学・高等教育機関での教員養成」という理念と法整備で充実・抜本的改革に踏み切った。「大学での教員養成」を実施していたのが世界で米国16州程度(佐藤学『専門家として教師を育てる』2015、岩波書店)であった当時の英断であった。
 しかし、1990年前後からは学部卒レベルでの教員養成から、修士修了レベルでの教師養成へと移行しつつあるのが、東アジア地域を含めての1つの動きでもある(日本学術会議「これからの教師の科学的教養と教員養成の在り方について」2007.6)。そこでは戦後の「開放制」と「免許状主義」による教員養成制度が、「教科専門の科学的教養においても教職専門の教養においても充分な教育を保障してはこなかった問題」が指摘されており、その克服は喫緊の課題であり、改革の必要性は言うまでもない。
 しかし、ある首相が所信表明演説で「Education,education,education」と唱えたことが話題となって久しいが、そのような教育活動への「着目」が「手段化した教育になっていないか」という吟味はその都度必要であろう。2015年に実施されるPISAに対して、世界の学校教育にあまりにも強く影響を与え過ぎているのではないかとして、ノーム・チョムスキー氏ら1600人余は「教育の伝統や文化が持つ多様性を、偏った尺度で測定している」「計測できる狭い面だけを強調して、道徳的、市民的、芸術的発達は測定していない」とOECD/PISA担当のシュライヒャー氏に公開質問状(2014.5)を出したという動きもある。
 1990年前後に始まる世界・東アジア・日本の中の学校教育改革とそれを下支え・推進する教師の教育への要請は、ナレッジ・ベースからコンピテンシー・ベースの教育が強調されている今、根源から問い直すことが求められてきているのではないだろうか。

 ところで、このコンピテンシー・ベースの教育にかかわって「21世紀型能力」「21世紀型スキル」「21世紀型学力」など、重点の異なる能力モデルが提出されてきていることに留意する必要がある。そこではナレッジ・ベースとの関係と当事者性との関係が問われてきている。
 国立教育政策研究所でいう「21世紀型能力」も、ATC21S(Assessment and Teaching of 21st Century Skills)プロジェクトでいう「21世紀型スキル」も、3層構造を想定している。「21世紀型能力」でいう「基礎力」「思考力」「実践力」という3層構造は、ATC21Sでの3つのコアスキル(@学習とイノベーションスキル、A情報、メディア、テクノロジースキル、B生活とキャリアスキル)に類似しているが、ナレッジ・ベースとの関係では相違を見せている。「21世紀型能力」でいう「基礎力」に相当すると思われるATC21Sでの「学習とイノベーションスキル」には、「効果的に理由付けする、問題を解決する、協働(協調)する、他者と創造的に活動する、イノベーションを実施する」などが想定されており、全体が汎用的なスキルの性格をもつものとされているからである。
 また、OECD/DeSeCo、PISAが挙げるキー・コンピテンシーの3カテゴリー(枠組み)では、「道具的活用力」(カテゴリー1=言語・記号・情報・技術)を相互作用的に用いる、自律的活動力(カテゴリー2=キャリア設計・権利や利害の表明)、異質な集団での交流力(カテゴリー3=人間関係・協働・問題解決力)を掲げている。しかも、この枠組みを基に取り組んだ「OECD東北スクール」の試みでは、3.11東北大震災を受けた当事者からの「グローバル力」(地域への深い理解と世界への展開)を発信している。そこには、海外進出・競争を想定する「グローバル化」観の影は薄い。そこでは、何をこそ学び、何をこそ共有財産にしていくかを問うている(福島大学『東日本大震災からの教育復興プロジェクト OECD東北スクール 報告書2011-2014』)。

 このような多層で多様なナレッジ・ベースとコンピテンシー・ベースの能力を、どう具体化できる能力を身に付け、創出する教職専門家集団を創り出すかが課題となっている。教科書を時間内に終わらせるプロではなく、子ども・青年のこだわりに潜む本質的課題を協働で問い続け、学習者自らが「永続的な理解」を構成していくような学びの場を創り出すことができる、探究的・研究的なリサーチャーとしての教師が求められていると言えよう。
 アニメ『おもひでぽろぽろ』のタエ子が分数の割り算でこだわっていた「なぜひっくり返してかけるのか」や、「万物は本当に引き合うのか」といった問いにそれなりに説明できるためには、教師の高度な科学的教養が不可欠である。それらの知見、実践が豊富に蓄積された教育系大学・学部が新しい学習科学、教育科学、諸学問・芸術の研究成果を手がかりに、それらをいかに自立的に再整理するかが求められている。
 教職科目での「教科に関わる科目」の枠組みや内容を議論する際に、それらのことを十二分に配慮する必要がある。高等教育機関での教員養成という本質的理想はそこにあるのであり、“実践的指導力”“即戦力”で問われている本質をこそ議論されるべきであろう。

三石 初雄みついし はつお

 法政大学附属第一中・高等学校非常勤講師(理科・物理)、福島大学教育学部助手(附属教育実践研究指導センター助手)、東京学芸大学教員養成カリキュラム開発研究センター教授などを経て、現職。
〈主な著作[共編著]〉
・三石初雄・川手圭一編『高度実践型の教員養成へ』東京学芸大学出版会、2010
・教育目標・評価学会編『「評価の時代」を読み解く』日本標準、2010
・岩田康之・三石初雄編『現代の教育改革と教師』東京学芸大学出版会、2011
ほか

コメントの受付は終了しました。