教育オピニオン
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声を共有する教室
佛教大学准教授/京都教育大学附属京都小学校達富 洋二
2011/8/30 掲載

1.ひとつのエピソード

 三年生の作文の教室。わたしは廊下側の女の子が書いている「冷蔵庫の片付け方」という題の作文を読んでいた。そんな静かな教室で「先生」と、小さな声がしたので顔を上げた。「オウムの飼い方」の作文を書いている男の子が手をあげている。

「どうしましたか」
「オウムがバードフードを食べるんやけど 食べ終わったって書いたら全部 食べてしもたみたいやろ ちゃうねん 全部ちゃうねん。食べ終わったけど終わってんと まだ残ってんねん どう書いたらええんやろ」
「食べなくなったら はどう?」
「ああ そうか もう食べへんようになったらかあ もういらんようになって食べへんようになったらかあ」

 わたしは窓際のいちばん前に座っている子どもに呼ばれ、そちらへ移った。
 休み時間。職員室で書き上がったばかりの作文を読んでいた。どの子どものものも気になる。急いで読みたい気持ちをおさえてゆっくりと読む。一人で黙々と書いていた子どもの作文ははじめて読むことになる。なるほどとうなずかされる。何度かやりとりをした子どものものはその過程が目に浮かぶ。
 オウムの作文が出てきた。「バードフードはからだけをのこすので、インコが、もうそれい上食べなくなったら、かるくふいてあげましょう。」と書いてある。
 「もう、それい上食べなくなったら」とある。「食べへんようになったら」か「もういらんようになって食べへんようになったら」と書いているとばかり思っていた。
 「食べなくなったら」はわたしの真似ではない。「それい上」ということばが付いている。おまけに「もう」まで付いている。いや、付いているのではない。どうしても「もう、それい上」と表現しなければならなかったのだろう。どうしてもこのことばでなければならなかったのだろう。

2.声が響き合う教室

 誰もが臆することなく自分の言葉で語る教室。唇をはなれた言葉を受け止めてくれる人がいる教室。声が幾重にも重なり、響き合う教室。
 教室をそのような空間として育てていくためには教師は何よりも「子どもの声を聞く力」をもたなければならない。子どもの声の聞き手として教師は安心できる存在でありたい。

3.声を共有する教室

 教師にとって「子どもの声を聞く」というあたりまえの行為は思いの外むずかしい。目を見ながら聞く、うなずきながら聞く、共感的に聞くことはもちろんであるが、子どもの整っていない発話を聞くには、「それなりの聞き方をする」ということを意識しなければならない。子どもの発話に見られる微妙なイントネーションの特徴やプロミネンス、普通ではない語順や省略。指示やいいさし、文末表現。この発話はどのような心の態度で発せられているのかを聞き、声を共有する教室を目指しながら、きょうも教室で子どもの声に浸っている。

達富 洋二たつとみ ようじ

京都市生。佛教大学教育学部准教授。同教職支援センター長。京都教育大学附属京都小学校国語科講師。京都府「『ことばの力』育成プロジェクト」スーパーバイザー。「紫野国語教室の会」主宰。

コメントの一覧
31件あります。
    • 1
    • 名無しさん
    • 2011/8/31 3:10:34
    暖かな教室の様子が目に浮かぶようです
    • 2
    • 戸田和樹
    • 2011/8/31 13:41:11
     授業も講演もされ、さらにこうした柔らかな文章もお書きになる。そうした大学の先生は数少ないと思えます。一層飛躍されることを、かつての同僚として期待しています。
     子どもの声を聞く。それはその通りだと思いながら、ことばを相手にしている私であるのに、最近はその「ことば」をあまりあてにしていません。ことばというものは、表象を切り取る時に操作されて現れてくるものですから。私などは、「声」「ことば」といわず、「こころ」と使いたいとさえ思っています。「こどものこころを聞く」その一つの手だてとしての「ことば」のように思えてなりません。コミュニケーションの上で登場していることばと文学として登場していることばは、その働きそのものが違っているのかも知れません。拝読して、ふとそんなことを考えました。
    • 3
    • 瀧川香織
    • 2011/8/31 15:43:04
    大人同士でさえもうまく共有できていないことがあります。話している内容をくみ取って相手が返してくれても、そういう意味で言ったのではないのにと思うことが時々あります。担任していたクラスの様子を思い浮かべ、子どもの声を聞き、共有できていただろうかとふり返ります。
    • 4
    • たつとみファン
    • 2011/8/31 19:32:04
    児童のことばを聞く力の大切さがエピソードを通してよく分かりました。
    ことばに耳を傾けるのとは違い、意識的に児童の「ことば、声」聞かないとこちらも気付かないことがあるのではと思いました。
    大学の教授という立場でありながら、小学校現場にもよく出向かれている姿勢には感服いたします。
    • 5
    • みっちー
    • 2011/8/31 20:05:55
    この記事を読ませていただいて、改めて「子どもの声を聞く」という大切さをかみしめました。「子どもの声を聞く」という当たり前の行為をちゃんとできるよう、努力し続けないといけないと思いました。意識しながら、子どもと接していきたいと思います。
    • 6
    • たつマニア
    • 2011/8/31 21:38:14
    教室の声とは,子どもたちの「こころ」なんですね。こころが響き合う時間を大切にする教師でいたいと思います。教師の聞く力は,意識して育てないとならないものですね。子どもの声を聞くことが,私たちの仕事の第一歩だと感じました。
    • 7
    • 夏みかん
    • 2011/8/31 21:42:03
    この記事を読まさせていただき、「声を共有する」というのはとても奥が深いと感じました。ただ単に子どもの言うことに耳を傾けるだけでなく、子どもが伝えたかったことを理解し、その理解を示すというのはとても難しいと思いました。明日からの教育実習で、色々と自分にいっぱいいっぱいの中、少しでも子どもの声を聞けるように意識したいです。
    • 8
    • Mami
    • 2011/8/31 23:51:35
    明日から2学期がはじまります。
    1学期を振り返り、子どもたちの声に真摯に耳を傾けていられただろうかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
    せっかく先生に種をまいていただいた「子どもの声を聞く」ということ。研究のためだけの耳で終わるのではなく、何気ない日常を子どもたちと過ごすなかで、もっともっと磨いていかなければと感じました。
    この思いをしっかりと胸に抱いて、明日からまた、がんばります。
    • 9
    • てぶくろ子
    • 2011/9/1 10:50:19
    教室内での、会話のようなご指導や子ども達の作文を早く、しかしゆっくりと読みたいという気持ちがすごく伝わります。子どもの意図や工夫にきちんと気付けるような、そんな先生に私もなりたいと強く感じました。
    • 10
    • GIG・GENNA
    • 2011/9/1 14:24:53
    「もう、それい上」。文章の中ではほんの一部なのかもしれません。だから、さっと読んでしまうかもしれません。しかしながら、子どもが自分の考え、思いを表現しようとして子どもの内から出てきたことばです。その子どもの内から出てきた一つ一つのことばから、一つ一つの思いを受け取っていくこと、そのためにも子どもの声に耳を傾けることがいかに大切かということをこのエピソードを読んで感じました。
    「子どもの声を聞く」ことばにすれば簡単ですが、実践するのは本当に難しいことです。
    子どもの声には、子どもの思いが込められています。その子どもの声を受け取るのは、こちら側の度量でしかないと思います。そのためにも私自身の「聞く」という力を磨いていかなければならないなと強く感じました。
    • 11
    • 瀧川賢治
    • 2011/9/1 22:27:38
    「子どもの声を聞く」。本当に難しいことだと思います。そんな「子どもの声を聞く。」という教師の力はどのようにしてつけていけばよいのでしょうか。それが、達富先生の仰っている子どもの発話の中にある様々な表現を聞き分けることができる、そして、それらを聞こうとする姿勢が「子どもの声を聞ける教師」になるポイントであると確信しております。少しずつそんな教師に近づけるように心がけていきたいと思います。
    • 12
    • 梅林ヒロ子
    • 2011/9/1 23:02:10
    久しぶりに、達富先生の授業を聴いているような感じがしてきました。
    すーっと頭と心に入ってくる、その”オウム”の子の顔まで出てきそうな、そんな感じです。
    ひとりの子どもが、自分の思いを伝えるために言葉を考え、選び、使って表現する。そこにある成長や喜びに立ち会える教師。この仕事のすてきなところだと思います。日々の中でこういう場面を見逃さずにいることが、育てるということなんだなぁと、今、なんだか新鮮な気持ちになれました。
    • 13
    • 緑色の夏みかん
    • 2011/9/2 10:37:14
    言葉と受け止める人がいる教室には、声が響きあうことがわかりました。
    〜はどう?というたずね方だったから、児童も考えて自分の表現をみつけだしたのだと感じました。

    私は、達富先生のように子どもたちの声を拾う器はそう大きくないです。けれども、広げる努力と聞く姿勢をもって実習に挑みたいです。
    • 14
    • [削除]
    • 2011/9/2 11:05:47
    • 15
    • 坂田えみ
    • 2011/9/2 11:17:30
    達富先生のコラムやみなさんのコメントを拝読して、きくという行為の奥深さを改めて感じています。教師である限りは「きくこと」について学び続け、努力し続けていきたいと思っています。先生がおっしゃる「イントネーション、語順、文末表現」など、その他さまざまな着眼点を持って、日々過ごしていきたいです。
    • 16
    • hayashi
    • 2011/9/2 11:24:14
    「教師の聞く心(力)が子どもの聞く心(力)を育てる」と思っています。達富先生の「声を共有する教室を目指して子どもの声に浸っておられる」姿は、まさにそんな子どもたちが育つ言語環境をつくっておられるのだと感じます.子どもの言葉が子どものどんな心や背景から発せられているのかを考えながら聞き、声の響き合う教室づくりをしていきたいと思います。
    • 17
    • 野球小僧
    • 2011/9/2 16:29:12
    「心の態度」という言葉がすてきです。一番うれしいのは子どもの「心の態度」を見つけた時です。
    パ・リーグ広報部長だった伊東一雄さんの野球解説が大好きでした。今になってやっとその理由がわかりました。野球や野球選手に対するあこがれです。子どものような「心の態度」があったのです。
    明日から学校で,また子どもたちの「心の態度」をさがすことにします。「それなりの聞き方」ができるでしょうか…。
    • 18
    • てぶくろ
    • 2011/9/3 19:48:44
    この記事を読ませていただき、「きく」ことの大切さを改めて感じました。今後、ボランティアなど子どもと関わる中で、意識し接していきたいです。子どもが言い直さなくていいような。「え?」と聞き返すことのないような。一度で聞き汲み取ってあげられるような。そんな先生になりたいです。学生卒業までのもう少しの時間、たくさんのことを感じ、考え、学んでいきたいと思います。
    • 19
    • フジタ
    • 2011/9/4 0:56:42
    男の子の机の横で,身をかがめ,同じ目線で,じっくりそして真剣なまなざしで,話を聞いておられる先生の姿が目に浮かびます。
    コメントを書くことに,すごく時間がかかってしまいました。それは,この文章を読み,考えることが多くあったこと,それを短い言葉で表現することの難しさを感じたからです。もしかすると,子ども達も学校で同じような気持ちになっているのかなあと感じました。
     さて,「声を共有する教室」では,「聞く」ことに視点をあて,聞くことの大切さは勿論のこと,「それなりの聞き方」を科学的に捉えることの大切さをも伝えられているように思います。そこで見えてくる子どもの心の態度を感じるとることが,教師の力量であり,教師に求められていることではないでしょうか。
    やはり,日々,勉強と実践の繰り返しだなと強く感じました。
    • 20
    • 幸絵
    • 2011/9/4 18:08:40
    「子どもの声を聞く」ことの難しさを改めて考えさせられました。普段の生活を振り返ってみると、「子どもの声を聞きたい」と思う気持ちはあるものの、しっかりと聞けているのかという疑問がわいてきました。人数の多さ、仕事量の多さを理由に、片手間に子どもの声を聞いてしまっている自分や、たくさんある子どもの声の中から自分が欲している声にだけ耳を傾けてしまっている自分がいることに気が付きました。改めて、子どもの声を聞くことについてしっかり取り組んでみたいと思いました。
    • 21
    • てぶくろっ子
    • 2011/9/4 18:37:54
    「子どもの声を聞く」当たり前のことですが、実習中の授業を振り返ると全然できていませんでした。まだまだ未熟で子どもの声を聞くよりも授業を成立させることに意識していたため、子どもの発言を自分が期待する発言とでしか比較することができなかったんだと思います。
    教壇に立った時に、子どもたちが安心して発言できる教室、声を共有する教室を作っていけるように、これから先生のもとで「教師の聞く力」を高めていきたいと思います。
    • 22
    • 穴あきてぶくろ
    • 2011/9/5 2:38:10
    達富先生と児童との間に強い信頼関係があるからこそ、先生に聞いてみよう、自分で考えてみようとする児童の姿があるのだと思いました。児童が何か学習に向かって頑張ろうとするとき、その学習自体への興味ももちろんですが、その担任教師との信頼関係も大きく関わっているものだと私は感じました。学習に意欲的に向かう児童の声が溢れる教室を目指し、その声を聞き取り上手く授業に汲み取れるような、そんな教師になりたいです。まだスタート地点にも立てていません。コツコツ頑張ります。
    • 23
    • ニシムラ
    • 2011/9/5 18:56:42
    子どもの話に耳を傾け、子どもの思いをゆがめないで聞かねばならないが、ともすると子どもの思いとはかけ離れた考えをしてしまいがちです。的確にアドバイスされ、さらに児童が自分の言葉で書いている、いや、書けるように育てておられる先生の指導のすばらしさと教育への愛を感じました。
    • 24
    • 完熟みかん
    • 2011/9/5 22:43:16
    いつも思うのですが、達富先生と子どもたちのやりとりはとてもあたたかいですね。記事だけではなく、また機会があればお話をうかがいたいです。
    • 25
    • よく手が動く子
    • 2011/9/5 22:46:44
    先生のコラムを時間をかけてゆっくりとじっくりと読ませていただきました。

    子どもの声を聞くことで、子どもの心からの思いを受け止めることにつながる。
    先生はぼくの気持ちを受け止めてくれている。
    それが安心につながり、
    先生が一人ひとりの思いを受け止めている姿を見ることで
    自然と子どもたちも人を受け止められるようになっていく
    安心できるクラスになっていく。
    わたしはこのような感想を持ちました。
    「安心できるクラスにしよう!」
    そんなことばだけでは、安心できるクラスなどできませんよね。

    ―教師にとって「子どもの声を聞く」というあたりまえの行為は思いの外むずかしい
    確かに。日々どうすればいいのだろう、という悩みがあります。しかし、悩むということは次を目指しているということ。悩んで出していく答えが子どもたちのためになるようにと、「声を聞く」ことを意識しながら、明日からまたがんばりたいです。
    • 26
    • 2011/9/6 13:17:18
    「言葉⇔言葉」は「心⇔心」。言葉のやり取りは、心のやり取り。
    つまり「言葉=心」⇔「言葉=心」で、「言葉⇔心」。
    言葉のやり取りは、言葉と心のやり取りです。
    たくさんの子どもがいる教室(学校)では難しいことかもしれませんが、できないとあきらめてはならないことですね。
    • 27
    • miu
    • 2011/9/11 11:23:00
    声が響き合う教室、教師と子どもだけではなく、子ども同士の間にある安心感と信頼感。
    先生が一人の子と顔を合わせ、向き合い、受けとめ、聞いているという姿を他の子どもが見る。その姿を見た子が自分の意見を言っても大丈夫、言いたいという気持ちになる。みんなで賢くなっていく。先生は、焦ることなく、こどもの声を素直に聞くという原点を確かめることが出来ました。ありがとうございました。
    • 28
    • summer orange
    • 2011/9/12 21:57:38
    子どもの声を聞くというのはただ単に言葉を返していればいい訳ではないのですね。まだまだ現場に入ったことのない私です。その難しさすらも感じたことが少ないです。いろいろな出会い、経験を通して私もいつかこどもの声を聞くことができる教師になっていたいと思います。
    • 29
    • 達富授業にはまった学生
    • 2011/9/16 21:17:41
    こんばんは。先生の文章を拝見したり、聞いたりしているといつも耳を傾けて聞くことのい大切さを実感させられます。私は今、インストラクターをして子供たちと関わっています。一週間のうち一時間しか、その子供に会わないということで、しなければいけない練習メニューをこなすことに精一杯な部分がたくさんあり、子供たちの話の全部に耳を傾けることはなかなか難しいです。ですが、聞くことが子供たちと繋がることになるのだと思いました。子供にもっと近づけるように努めていきたいです。
    • 30
    • 昼寝好きのてぶくろ
    • 2011/9/29 1:48:43
    子どものことばが必然のものであると受け止めておられる姿勢がすべての出発点なのだと思いました。決して簡単なことではないと思いますが、子どものことばからその子の心を感じられるよう、しっかりと耳を澄ませる教師になりたいです。
    • 31
    • 冨士 松諒
    • 2011/10/1 21:45:26
    先生の文章何度も読み返しました。
    何度も読んでいるうちに大学時代に達富先生から教わったこと、先生の言葉が詰まったファイルを自然と片っ端から読んでいる自分がいました。
    先生のことばを聞くと大学生に戻ります。達富ゼミが無性に恋しいです。
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