新学長は天下り? 山形大学長に前文科省次官
27日の新聞各紙の報道によると、山形大学の新学長に前文部科学省事務次官の結城章夫氏が選出されたとのこと。結城氏は6日に文科省を辞職し、立候補に必要な「所信」提出の締め切りギリギリに立候補していた。
学長の選考は、まず教職員投票で上位3人に絞った後、学内外の委員で構成する選考会議の投票という2段階で行われた。教職員投票では結城氏は2位だったものの、翌日行われた選考会議で1位となり逆転で学長と決まったそうで、教職員投票で1位になった候補者などから「天下り」との批判の声があがっている。
退職した高級官僚が関連する民間企業などで高い職に就く、いわゆる「天下り」に関しては、政府の有識者懇談会で再就職斡旋を一元管理する「官民人材交流センター」の制度設計などが検討されているが、23日に同懇談会が開いた天下りに関する公開ヒアリングに、出席を要請された次官OBが欠席したことなども話題になったばかり。
結局、同懇談会の再要請で25日に開かれた会議には4人のOBが出席したものの、23日の欠席については、天下りの一元化と言われる同センターの制度への官僚側の反発の表れともみられている。
政府の調査で、事務次官OBの4人に1人が斡旋による天下りをしていた事実が判明したと6日の産経新聞記事などで報じられたが、今後も制度の設計に向けた議論は続きそうだ。
- 山形大学長に前文科次官=「天下り」と学内から批判も(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date2&k=2007072600989 - 元文部科学次官・結城氏、山形大学長に 他候補は反発も(朝日新聞)
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200707260416.html - 山形大新学長に結城前文科次官、他候補は抗議(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20070727ur03.htm - 山形大:学長選 新学長に結城氏 投票では2番目…選考会議が逆転選出(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20070727ddm012040172000c.html - 山形大学長に前文科次官を選出 「天下り」批判も(産経新聞)
http://www.sankei.co.jp/kyouiku/gakko/070726/gkk070726003.htm
この記事は、『きょういくじん会議』の記事を移転して掲載しているため、文中に『きょういくじん会議』への掲載を前提とした表現が含まれている場合があります。あらかじめご了承ください。
高級官僚に限らず、自分の専門分野の成果をまとめて博士号をもらってから教員、副学長、学長になる方はかなりの人数であり、特に問題はない。有名な野口ゆきお氏(超勉強法の著者)は、財務省出身で、エール大学の博士号を取得して、東京大学や早稲田で教鞭をとっている。省庁の各種審議会(文部科学省に限らず)では「行政担当者(トップは事務次官)」と「学識経験者(大学や民間の研究所の研究者)」が一緒に仕事をし、意欲的な行政経験者が学識経験者の指導の下、学位をとる場合もある。一種のステイタスとして学界へのあこがれもある。これが、健全な関係といえよう。しかし、文部科学省の高級官僚が、理事(事務担当者)の枠組みを超えて、教育行政といった専門分野で博士号をとって、副学長や学長に昇格になるということになれば、歓迎すべきで問題はない。国家I種試験に合格し文部科学省に入れば、理事を超えて、副学長や学長になれるといった感覚が一般化すれば、大学院博士課程とか博士号、つまり自分の専門分野を極めるという根本の問題を文部科学省自体が理解していないことになる。
また、大学生が修士課程や博士課程にいかなくても、文部科学省の役人になれば学長になれるといったことを考えるだろから、大学は崩壊へと向かう。外国で専門家として理解されるには、学位つまり博士号である。文部科学省の役人も他の省庁、財務省はほぼ100%の役人が外国の大学院に留学するか国内の大学から博士号をもらう役人も少なくない。もちろんその後大学で活躍して国内で著名人となり、米国の大学等の客員研究者としてまたは国際会議等で国内外を行き来している。なぜ、このような感覚が文部科学省の役人に全く欠如しているのか理解できない。正々堂々と、大学行政に関して博士号(またはそれに近い著作物)を提出して、副学長や学長になるべきである。山形大学では、医学部関係(学内の3分の1)と事務担当者を除くほとんどの教員が猛反発をしたようである。マスコミに報道されている他候補者の1本化が前日になってしまったのが原因で、依頼文書を見る前に投票した教員、期日日前に投票した教員もいることから若干1本化がはかれなかった。また、学長選考会議(14名)にメンバーの民間議員(7名)は学長(医学部出身)が指名すること、さらに候補者の推薦人(第1選考前の推薦者)が多数(学部長)が学長選考委員会の学内メンバーであることなど不正行為(行政処分の取り消しの裁判が必要)ともなりかねない選考方法であったという。したがって、学内関係者によれば、学内の選考の問題と天下り(官僚としての職務後であり、教育行政の著書や博士号がない)の2面性があるということらしい。国立大学法人の長の就任を求める伊吹大臣が、前文部次官の就任を認めることは、「学識=文部科学省の高級官僚を務めること」ということをであり、大学設置基準の学長就任の学識についての批判へとつながる。大学の発展を願う文部科学省の見識を疑う。みんなで、見識のある山形大学の教員、大学および民間研究者、そして内閣府の教育再生会議(文部科学省よりも権限がある)が救うべきである。
(提言その1)
高級官僚に限らず、自分の専門分野の成果をまとめて博士号をもらってから教員、副学長、学長になる方はかなりの人数であり、特に問題はない。有名な野口ゆきお氏(超勉強法の著者)は、財務省出身で、エール大学の博士号を取得して、東京大学や早稲田で教鞭をとっている。省庁の各種審議会(文部科学省に限らず)では「行政担当者(トップは事務次官)」と「学識経験者(大学や民間の研究所の研究者)」が一緒に仕事をし、意欲的な行政経験者が学識経験者の指導の下、学位をとる場合もある。一種のステイタスとして学界へのあこがれもある。これが、健全な関係といえよう。しかし、文部科学省の高級官僚が、理事(事務担当者)の枠組みを超えて、教育行政といった専門分野で博士号をとっらずに、副学長や学長になるということになれば、大問題である。国家I種試験に合格し文部科学省に入れば、理事を超えて、副学長や学長になれるといった感覚が一般化すれば、大学院博士課程とか博士号、つまり自分の専門分野を極めるという根本の問題を文部科学省自体が理解していないことになる。記者の質問によれば、マネージメントに長けているとの発言を行っているが、環境に詳しい高級官僚でも、なにも著作物がないまたは博士号がない状態で、公共政策大学院の研究科長としてとるだろうか?きわめておかしいと学識経験者は疑問に思うであろう。医学部を除く山形大学の教員はほとんどが小山氏に入れ、意向調査の票数でも勝っているのだから、むしろ被害者である。
問題なのは、公益法人に名前を貸しているような、天下り諸組織をささえている大学人だろうと思います。純粋な研究者がそんなことをするはずはなく、今の日本の大学にどのくらいの割合で純粋な研究者がいるのでしょうか、私はひじょうに疑問に思っております。
学長は、マネージメントに秀でていて、純粋な研究者が研究に専念できるような環境を作るのが一番の仕事ですね。それができれば、いいのです。
これは、将棋などでもいろんなかたがあり、さまざまな名人が本を書いています。私たちはこの本を読んで将棋の勉強をして強くなるわけです。今回の場合も、大学人が気にしているのは、この本(教育行政に関する自分なりのマニュアル=博士論文または著作物)がないということなのです。まあ、なくともいいんじゃないの。いいことすれば。となると、国家公務員試験を受けて文部科学省の役人になれば、学長や副学長になれるということになれば、科学に興味を持っていた人の一部が、「研究を行うより学長になりたいから文部科学省にはいりました」というジョークみたいなことが現実になる。名貸しのような特殊な例ではなくで、大学とはなにかといった視点で考えてほしいと思います。
官僚に対する不信感が増大し、7割近い人が「信頼できない」と考えていることが、世論調査機関の社団法人「中央調査社」がまとめた日本の各種機関などに対する信頼感調査で21日、分かった。自衛隊や医療機関などは高い評価を維持した。
2000年に始まった調査は今回が4回目。7月6−16日、全国の20歳以上の4000人を対象に実施し、1344人から面接で回答を得た。5段階で信頼感を評価してもらい、平均値を算出した。
最も低かったのが官僚の2.0で、次が国会議員の2.1。「信頼できない」として「1」や「2」と評価した人は、官僚で前回調査(04年)より5ポイント上昇して68%に上った。国会議員も前回並みの62%だった。
一方、評価が高かったのは自衛隊と医療機関の3.2で、裁判官の3.1が続いた。ほかは銀行、警察が3.0、教師が2.9、大企業が2.8、マスコミ・報道機関2.6だった。
時事通信 2007年8月21日 17:32
詳しくは
http://shafukukaizen.seesaa.net/
職種にもよるイメージです。
小職も天下りを見てきましたが、現場の感覚では「何もしなくていいし、しゃべって欲しくない」でした。
個人の性格にもよりますが、人間には「制度を使って他人を動かす」のが好きな人と、自他の境界を意識する人がいます。
前者のような人が天下りすると最悪ですし、公務員になって欲しくないですね。