著者インタビュー
新刊書籍の内容や発刊にまつわる面白エピソード、授業に取り入れるポイントなどを、著者に直撃インタビューします。
ことばの定義から資質・能力と見方・考え方の本質に迫る!
信州大学教育学部教授藤森 裕治
2018/6/27 掲載
 今回は藤森裕治先生に、新刊『学力観を問い直す 国語科の資質・能力と見方・考え方』について伺いました。

藤森 裕治ふじもり ゆうじ

信州大学教育学部教授。筑波大学卒業、上越教育大学大学院修士課程修了。博士(教育学、2008年、筑波大学)。東京都立高等学校教諭を経て、現職。著書に、『授業づくりの知恵60』(明治図書出版、2015年)、『対話的コミュニケーションの指導』(明治図書出版、1995年)、『死と豊穣の民俗文化』(吉川弘文館、2000年)、『バタフライ・マップ法』(東洋館出版社、2007年)、『国語科授業研究の深層』(東洋館出版社、2009年)、『すぐれた論理は美しい』(東洋館出版社、2013年)等。中央教育審議会教育課程部会国語ワーキンググループ委員。

―最初に、本書のねらいを教えてください。

 一口で言えば、これからの時代に求められている学力観とは何か、生徒や学生でもわかるような文章で具体的に説明することです。
 平成29年から30年にかけて、新しい学習指導要領が告示されました。今回の改訂で示された学力観は、これまでのものとはかなり違います。違うというか、より本質的で原理的な検討にもとづくものとなっています。私も、わずかながら新しい教育課程の方針や内容の策定にかかわる機会をいただき、新しい学力観の理念に大いに共感し、期待する気持ちがふくらみました。けれども、それと同時に、この学力観を学校現場の先生方が理解するのは容易ではないという思いもわいたのです。わけても、すべての教科で示された見方・考え方を国語科としてどう捉えるのかは、難問でした。そんな折りに本書を執筆する機会をいただいたのです。

―国語科における三つの学力を、先生は本書で“ドライブ”に喩えてくださっています。詳しくはもちろん本書を読んでいただけたら…と思いますが、少しだけ、ご紹介いただけますか。

 ある日、交差点で信号待ちをしているときにこう閃いたのです。
 「知識って、頭のガソリンじゃないか? じゃあ、技能はライセンス?」
 ガソリンもライセンスも、車の運転という活動には欠くことのできない要素です。これを「知識及び技能」になぞらえたら、他の要素は何に喩えられるでしょう。ドライブつまり車の運転を言語活動だとすれば、「思考力,判断力,表現力等」とは、一つとして同じ状況にない道路環境の中を、安全に適切に効果的に走行するための自信と技術です。車の運転には、移動と運搬と観光と見せびらかしと、だいたい四つの目的がありますね。同じように、言語活動にも、話すこと・聞くこと、書くこと、読むことの三大領域があります。こうしてドライブという行為を国語科における三つの学力に当てはめていくと、それぞれの意味と取り扱い方がはっきりとイメージできるのです。

―恥ずかしながら、「見方・考え方」って、なんとなくはわかるのですけれど、いまひとつ自信を持って説明ができなくて…。お願いです! 国語科における「見方・考え方」って、ズバリなんですか?

 国語科の学習対象である「ことば」には、道具としての「ことば」活動としての「ことば」、そして作品としての「ことば」と、三つの次元があります。国語科における「見方・考え方」とは、これら三つの次元における「ことば」の性質やはたらきについての基本的で原理的な捉え方と扱い方のことを言います。本書ではこれを、「家を建てる」ことに喩えて説明しています。例えば道具としての「ことば」は、大工さんが使うノミやカンナそのものです。活動としての「ことば」は、建築現場で使われるノミやカンナの在り方、そして作品としての「ことば」は優れた建築物から見出されるノミやカンナの技や美しさに対応します。

―本書の内容とは少し離れるかもしれませんが、新学習指導要領が告示され、小中学校ではすでに先行実施がはじまっています。先生は国語科の授業はどのように変わるとお考えですか。

 はじめに教材ありきの固定観念を脱して、子供の成長を幼少期から大人になるまでの長い言語生活の視座から見直し、ことばと発達の関係を見通した授業になっていく、いかねばならないと思います。評価も根本的に変わらねばなりません。上手に話すことができたかとか、既定の字数で適切に書けたかとか、きちんと読み取って要約することができたかとか、そういった結果の診断で評点するのが評価だという考え方は、新しい学力観と対立します。うまくできなくとも、いや、できないときこそ、何が自分にはわかっていて、何がまだ自分にはできないのか子供たちが把握すること。これが授業の目標となり、評価の観点になります。なってほしいものです。

―最後に、全国の読者の先生方へ向け、メッセージをお願いします。

 私は、コンプライアンスという用語が大嫌いです。要求や命令に従うこと、きちんと期待された結果を出すことを、上司が部下に命ずるときに用いられる用語です。もとより、社会的に認められない行為は禁じねばなりませんが、コンプライアンスを振りかざしてメンバーを萎縮させる組織に未来はありません。人間は、失敗と省察を重ねながら成長し、他者と協働して生きていく存在です。国語科の資質・能力は、そういう真実を実感しながら育てていくものでありたいと願っています。そのためには、先生方が知的好奇心にみなぎった子供に戻って、失敗を怖れず、さまざまな学びに挑戦する人になってください。

(構成:林)

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