著者インタビュー
新刊書籍の内容や発刊にまつわる面白エピソード、授業に取り入れるポイントなどを、著者に直撃インタビューします。
言葉と学びの根源を探る
頓所 本一
2018/3/29 掲載
今回は頓所 本一先生に、新刊『学びの共同体の実践 学びの光源 学び合いで育む自己形成』について伺いました。
頓所 本一とんどころ もとかず

1962年長野県生れ。大学卒業後、長野県公立中学校に勤務。
信州大学教育学部附属松本中学校を経て、学び合いの授業づくり・学校づくりを推進する。
現在、平等と質の向上を中核においた木島平村立木島平中学校に勤務。
信州学びの会会員。学びの共同体スーパーバイザー。東京大学教育学部非常勤講師。

―先生のご専門は国語ですね?日々、生徒の前に立つときに先生はどんなことを心掛けて授業をされているのでしょうか。

 コトバが言葉になるとき… 
 目の前にいる、その子の心のなかにはどんなコトバが宿っているのだろう…そんなことをいつも思い巡らしながら私は授業に臨んでいるように思います。その宿りながらもまだ形となっていないコトバが、テキストのどの叙述と出会い対話し、その子が明日を生きる言葉の根へと醸成されるのか。テキストの世界に誘(いざな)われ、仲間と言葉の差異を互いに突き詰め、その子が自分の世界を拓いていこうとする、そんな言葉と学びの文脈を子どもとともに味わいたい。国語の授業は、言葉の意味と関係の編み直しにおいて、自己形成の光源が輝き始めるように思います。
 

―そんな先生が、本書をご執筆になろうと思われたきっかけは何ですか?

 三つの喪失感を抱えた子どもにこそ教師のまなざしを置きたい。
 『学びから逃走する子どもたち』(佐藤学著 岩波書店)が出版されて18年・・・。そして、今や〈学び〉というよりも、〈育ち〉の根幹を成す「自己形成から逃走する子どもたち」の時代に突入しているのではないでしょうか。そう思えるほど、学びの意味が見えにくくなった。そう思えるほど、他者とつながる意味に必要感が見い出せなくなった。そう思えるほど、自己の育ちの意味が実感しにくくなった。
 そのような、学びの意味の喪失、他者との関係の喪失、自己形成の喪失という三つの喪失感を懐に抱え必死に葛藤しながら、目の前の子どもは心の空洞に灯りを取り戻そうと、今という時代を生きているように思います。このようにみていくと、三つの喪失感をもった子どもに、ある共通した特徴が見えてきます。それは、〈真面目で努力家で反省する子ども〉なのです。(本文より)
 だからこそ、「外」からの教育ではなく、子どもの「内」なる光源に教師のまなざしを置きたい。本書はその一点をめがけています。

―どんな先生に本書を手にとっていただきたいですか?

(1)国語科の先生方へ

 「第三章 自己形成とことば」では、仲間と言葉を突き詰めていくことで、自己を形成していく授業展開を紹介しています。中学生が書いた自作の詩や作文、実際の授業の具体の姿をエピソードとして紹介しています。

(2)学び合いの授業をめざされている先生方へ

 「学びの共同体」代表でもある佐藤学先生(学習院大学教授)が執筆された文章をテキストにした「学びは旅である」という中学三年生の授業記録。また、小国喜弘先生(東京大学大学院教授)と中学二年生が学びについて考え合った「学びは真似び」という授業記録などを紹介しました。

(3)淀川茂重「研究学級」などの信州教育に関心のある方へ〜淀川茂重・牛山榮世・佐藤学のまなざし〜

 「教育は外からでなく内からである」という信念を貫き、大正時代、長野県師範附属小学校 「研究学級」において子どもの事実に教師のまなざしを置いた淀川茂重。
 また、牛山榮世は淀川茂重の実践を核に昭和の生活・総合学習において、子どもと対象とのかかわりを突き詰めた教師でした。  
 そして、佐藤学(学習院大学教授)は、牛山と親交を深め合い、すべての子どもの学びを保障する平等性と学びの質の向上を中核とした「学びの共同体」のネットワークを信州の地へも位置づけ、日本全国、さらには世界各国の学校を訪問し、21世紀型教育のビジョンを提唱した教師です。
 子どもの尊厳にぶれることなく、確固たる教師の骨格を置いた三人の教師のありように触れていきます。

C教師を目指す学生の皆さんへ

 これからの教師は、教える教師から「学ぶ」教師へ。話す教師から「聴く」教師へ。伝える教師から「つなぐ」教師へと転回しなければなりません。教師主導の授業から、子どもを真ん中に置いた授業への転回です。その過渡期のなかで、「生きる」(谷川俊太郎)をテキストに選び、中学三年生とともに三週間、子どもを真ん中に置いた学び合いの授業づくりに挑戦し続けた東京大学の実習生Sさんの姿から学びます。

※本書は、東京大学教育学部集中講義「国語科教育法W」のテキストでもあります。

D中学生をもつ保護者の皆さんへ

 「真面目・努力・反省」する子どもから、「夢中・工夫・もがく」子どもへの転回です。
 今、子どもたちは「真面目・努力・反省」という数値化・優劣・古い道徳観のなかで呼吸困難に陥っています。弱者への排斥行為や自らメルトダウンする子どもの現状から見てもそのことは明らかでしょう。
 しかし、これからは「夢中・工夫・もがく」子どもをめざしたいと考えます。〈わたし〉の世界観を拡げるために夢中になる自分へ。仲間と試行錯誤しながら工夫する自分へ。そして、簡単に諦めずもがく自分へと、内なる学びの光源を輝かせ大空に羽ばたいていく子ども像です。
 また、その子の根底に輝いているのは、〈あなた〉に気づく感受の光と、〈わたし〉を問い直す省察の光、そして〈みんな〉で乗り越え新たなものを編み直そうとする真正の光という三つの自己形成の光源であると思うのです。そのようなまなざしをもってお子さんの自己形成に寄り添っていただければ、21世紀を生きる子どもたちの未来は輝かしいものになると思っています。

―本書の中で、特に、読んでいただきたい部分(章)はどこでしょうか。

 第4章「自己形成と学びの授業」です。
 この章では、「学びとは?」という問いを子どもが真綿の心で、どのように紡いでいったのかをテーマに、子どもとともに創り上げた三つの授業実践を紹介しています。
 そこに、どんな自己形成のありようや、友だちとの絆がみえたのか。子どもの学びの事実から読み解くことで、学びの意味と関係を編み直していきたいと私は考えました。
 その際、テキストとしたのは牛山榮世著「学ぶということ」、佐藤学著「質の高い学びの創造」です。その両書を選んだ理由は、学んでいる子ども自身が、その言葉と出会い、〈わたし〉の学びの意味と関係を実感した文章だからです。
 また、小国喜弘さん(東京大学大学院教授)には実際に授業に参画していただき、子どもとの対話を通して、学びの意味を突き詰めた授業記録を掲載しました。

―本書に興味を持たれた先生に、メッセージとエールをお願いいたします。

 「学びの光源」の「光」は、「light」ではなく「hope」に近いと思っています。
 すでに、すべての人の心の内に灯っている希望の光なのだと感じます。ただ、その希望の光のありかを〈わたし〉に気づかせ実感させてくれるのは、〈あなた〉という他者のまなざしなのだと思います。光とまなざしは、車の両輪のように、片方だけでは灯りません。
 また、「光」の語源は、「火」と「人」が合わさり、四方に広がり輝くさまを表していると言われます。まさしく、〈わたし〉の火は、〈あなた〉という人のまなざしによって光となっていくのでしょう。
〈あなた〉のまなざしが、〈わたし〉の光源を突き詰め、
〈わたし〉の光源が、〈あなた〉のまなざしを突き詰めていく。
読者の皆様とともに、子どもの内にある学びの光源を灯し合うことができたらこのうえない悦びです。

(構成:佐藤)
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