教育オピニオン
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一人学習と共同学習の指導で、対話的な学びを実現する
宇都宮大学教育学部教授溜池 善裕
2017/9/1 掲載

1.授業の目的と対話的な学び

 授業の目的は、子ども一人ひとりにおいて、自律的な学習(以下、一人学習)ができるようにすることである。また、この目的を、子どもたちの集団による学習(共同学習)にまで視野を広げると、一人ひとりが自律的な学習をしつつ、子どもたちが自律的に学習できるようにすること、つまり、子どもたちだけで授業をすること、対話的な学びの話合いができる集団をつくることが、授業の目的であるということに気づく。したがって対話的な学びには、一人学習と同時に共同学習の指導が必要になるのである。

2.対話的とは具体的に「何を」学習指導することなのか

(1)個を育てる
 一人学習の指導は、学習がほんものとなることを目指す。ほんものになるとは、寝ても覚めてもその学習が頭から離れず、生活即学習、学習即生活となることである。そこには、学習していることに学校外でも取り組める、環境づくりが必要である。環境づくりとは、@一人学習に取り組める単元・A取り組むしくみ・B発表する場を設定することである。
 @は、社会科に限らず、自分なりに取り組める学習である。Aは、一人学習したことを作文(日記・ノート)として書き、作文を書くことでほんものの学習にするしくみである。日記は毎日書き、ノートを含めて教師がコメントし、そのコメントを通して一人学習を支えたり方向付けたりする。ノートは、テーマ・めあて・一人学習・ふりかえり、という項目を立てて書くようにすると、学校外でも一人学習をする子どもが出てくる。Bは、朝の会や授業時に発表の時間をとることであるが、その予約をする小黒板を設置するなど、発表しやすい工夫が必要である。
(2)集団を育てる
 第二の指導は、共同学習において、@友達のどんな考えも受け止める・A自分の考えに固執しない・B友達に学びながら自分の考えを発展させようとする・C友達やみんなのために自分の学習を位置付け発展させようとする学習指導である。これは、上記(1)Bにおけるおたずねのような小さな共同学習から始めて、それを社会科の共同学習「子どもがする授業」につなげる指導である。簡単な内容の日記や一人学習についてのおたずねの楽しさがわかると、子どもたちはそれをどの教科の共同学習でもやろうとする。
 その際、教師は板書に徹し、子どもたちが板書を参照しながら相互指名で話を進めるなど、目指す共同学習を具体的に子どもたちに提示し、共同学習の具体像に合わせ明確な意図をもって教師が出ることが必要である。例えば、話を上手につなげたところで止めてほめたり、共同学習の最後に、まだ足りないものを考えさせたり、問題点を指摘したりするなどである。
 また、共同学習での指導と言っても、(2)の@Aは一人学習がひとりよがりの学習を抜け出すこと、BCは一人学習が多面的で多角的な視点を獲得することを目指すものであり、共同学習が質の高い一人学習につながる視点が重要である。

3.学習指導の手がかりとしての「書く」

 上記の学習指導には、個々の子どもたちに加え、集団がどう育っているかという手がかりが必要である。そのために生かされるのが、上記2(1)の作文である。作文を手がかりに、一人ひとりの思考の状態と、集団のつながりをとらえるのである。
(1)個々の子どもをとらえる
 子どもが観念的思考を抜け出し、@具体的思考となることをもって自律的な学習は始まる。子どもが事実をもとに具体的に考えると、事実のぶつかりから疑問が生まれ、それを解決しようとしてさらに事実を調べるという学習の循環が生まれるからである。具体的思考をうながす一人学習や、それが起こりうる社会科の単元設定がそこには必要である。そのうえで、子どもの思考は、A矛盾を足場とする思考・B構造的把握へと進んでいく。
 1年生のAさんの作文、「トマトは、赤かったけれど、かわがかたかったです。なぜかというと、日光があたりすぎたんだと思います。あじは、あまくてみずみずしかったです」を例にとろう。この作文は具体的事実にもとづくことから、Aさんはすでに@の段階にあることがわかる。また、「赤かったけれど、かわがかたかった」からは、「赤い=熟している=柔らかい・固い=熟していない=赤くない」という思考が「赤い=熟しているけれど皮は固い」事実によってゆさぶられていることが了解される。赤字のような見方は、あるもの(赤い)をそうでない(赤くない)矛盾の関係にあるものを手がかりにとらえる思考であることから、AさんはAの段階にあると判断される。Bの段階では、複数の矛盾を足場とする思考が、その子なりの結びつき(構造)をもつため、一つの作文に複数の「けれど」「けど」「でも」が書かれ、簡単には割り切らない粘り強さの感じられる作文となる。
 思考の段階は、あらゆる一人学習にあらわれるので、そうなるよう社会科以外でも指導し、具体的思考以降を社会科の一人学習に生かすのである。
(2)集団の動きをとらえる
 子どもたちが、質の高い共同学習、「子どもがする授業」に向かい始めると、作文に友達の名前が書かれるようになり、その数は次第に増えていく。作文に登場する友達の名前が、上記2(2)BCが子ども自らによってなされていることを教師に教えてくれるのである。友達が調べたことを真似したり、友達が調べた場所に行ったり、友達どうしで連れだって聞き取りに行ったりなどを手がかりに集団の動きをとらえ、共同学習を設定するタイミングをはかるのである。集団の動きを知るには、子どもたちが実際に動いてつながっているかどうかを知る手がかりと、そうなるように学習を組むことが必要である。

4.あらわれる対話的な学び

 一人学習と共同学習の指導で教室にあらわれるのは、子どもたちの発言のつながりがつくる学習局面が複数連続した、響き合いのある対話的な学び「子どもがする授業」である。この学習がその後も子どもたちを支えることは、明治図書の『子どもがする授業』(1972)『板書する子どもたち』(1974)『ひとりを見なおす国語の授業』(1975)『仲間を支える子ども』(1977)『静かに話す子ら』(1975)に書かれている。

(※2以降のことは、奈良女子大学附属小の薄田太一先生のしごと実践から教えられたことです。詳細は実際の子どもたちの学習の様子をご覧になって確かめられることをおすすめします。)

溜池 善裕ためいけ よしひろ

1960年 福岡県北九州市生まれ。千葉大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科修士課程修了。筑波大学大学院博士課程教育学研究科単位取得退学。
1991年 筑波大学文部技官(1993年 助手)。
1993年 秋田大学助教授。
2000年 宇都宮大学助教授。2005年より現職(社会科教育)。
学習研究連盟(委員長)、GOKEN(奈良女子大学附属小・富山市立堀川小合同研究会主宰)を中心に、重松鷹泰の教授理論と実践を研究。学習指導研究会(宇都宮大学)・上都賀学習指導研究会(日光市)で「子どもがする授業」を授業研究。『考える子ども』(社会科の初志をつらぬく会)に「問題解決学習からしみじみとする授業へ」を連載。子どもの事実をもとにした教授理論の構築を目指す。
<主要著書>
『新版 社会科教育事典』(ぎょうせい、2012)
『社会科教育実践ハンドブック』(明治図書、2011)他

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