教育オピニオン
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LINEで閉じる友だちの世界
〜ネットで狭くなった人間関係〜
筑波大学人文社会系教授土井 隆義
2014/3/1 掲載

LINEの大ヒット

 近年、若者のネット依存が大きな社会問題となっています。昨年8月、厚生労働省の研究班は、ネットへの依存度が高いと思われる中高生が全国に約52万人いるという推計値を発表しました。たしかにケータイやスマホを一時も手から離さない中高生たちの姿が、昨今は街角でもしばしば見かけられるようになりました。ネットへの接続機能を有したこれらモバイル機器の普及によって、私たちはいつどこに居ても簡単にネットにつながることができようになっています。
 とりわけ今日の若者たちにとって、これらのモバイル機器は人間関係をマネージメントしていくために必須のツールとなっています。一時期、その役目を担っていたのはケータイ・メールでしたが、ここ数年はスマホ所有率の伸びが凄まじく、すでに高校生の9割近くが所有しているという統計もあります。ケータイからスマホへとモバイル機器の主流が移るにつれて、ネットへの接続時間も爆発的に伸びてきました。
 現在、そのスマホ用のアプリのなかでもっとも普及しているのが、LINEというコミュニケーション・ツールです。このアプリは、広くはSNSと呼ばれるジャンルに属するものですが、いまやSNSを利用する高校生の半数以上がLINEを使っています。このアプリを使えば、多数の仲間と同時につながることができ、メッセージの送受信操作をいちいち行なう手間もありません。共通の掲示板をみんなで同時に眺めているようなものです。
 しかし、このLINEは、mixiや、facebook、twitterといった従来のSNSとは違って、見知らぬ人との出会いを増やすための道具ではありません。むしろ逆に、見知った人との間で、そのつながりをさらに濃密なものにするための道具です。LINEでつながる相手は、あらかじめモバイル端末の電話帳に登録されている人たちだからです。このアプリのおかげで、身近な相手たちと24時間オンラインで同時接続しつづけることが可能になっているのです。

KSというマナー違反

 他のSNSやメールなどとは違って、このLINEには「既読」という便利な表示機能があります。通常、ネットを介したメッセージのやりとりでは、受信者がいつメッセージを読んだのか分かりません。しかしLINEでは、受信者がメッセージに目を通せば、それが即座に画面に表示され、LINEでつながっている全員に分かる仕組みになっています。
 受信者が返事を出さなくても、お互いのメッセージが読まれたかどうか、リアルタイムで確認できるのですから、これは大変に便利な機能です。しかし、この便利な機能が、若者たちの間では逆にお互いの不安を煽ることにもなっています。自分のメッセージを読んでいるはずなのに、相手からすぐに返事がこないと、自分の発言が無視されたのではないかと不安になってしまうからです。
 この不安は、メッセージの送信者だけでなく、それを受信する側も共有しあっています。そのため、「既読」の表示があることで読んだことが分かるのだから、すぐに返事を出さなくてもよいだろうとは思えず、むしろ逆に、メッセージを読んだことが分かるのだから、すぐに返事を出さないと相手に悪いと感じてしまいます。一方、メッセージの送信者もそのことを分かっていますから、相手から返事がないと不安になるだけでは収まらず、「どうしてレスくれないの?」と相手を非難することにもなっていきます。
 若者たちの間では、これを「KS(既読スルー)」と呼んで、許しがたいマナー違反とみなす傾向が強まっています。ある調査では、大学生の8割が「既読があることで相手に返信しないといけないと思う」と答えています。お互いの息遣いをつねに確認しあえる便利な装置が、お互いの不安をつねに煽りあう装置へと転じ、さらにお互いの関係をつねに縛りあう装置へと転じているのです。

身近な関係への依存

 ここからうかがい知れるように、今日の若者たちがネットでつながっている相手の大半は、じつは学校のクラスメイトや部活の仲間など、日常の生活を共にしている人たちです。私たちは、若者たちの間にネット依存が広がっていると聞くと、素性も知らない見知らぬ相手との関係に耽溺しているかのような錯覚におちいりがちです。しかし、そういったバーチャルな関係への依存は、皆無ではないにせよ、あまり一般的なものではありません。
 たしかにネットは、多種多様な人びとが時間と空間の制約を超えてつながりあうことを可能にした開放的なシステムです。しかし、それは同時に、身近な仲間どうしが時空間の制約を超えてつながりつづけることも容易にしました。そして今日の若者たちの間では、むしろ後者の使われ方のほうが増えています。見知らぬ相手と新たに出会うための手段としてではなく、むしろ見知った相手との関係をさらに濃密にする手段として、より駆使される傾向が強まっているのです。
 ネットは人間関係を希薄化させるという意見もありますが、その批判は少なくとも今日の若者たちには当てはまりません。むしろ昨今のネット環境は、彼らの人間関係をさらに濃密なものにしています。そもそも、いまや学校のクラスや部活の連絡網ですらネットを利用する時代です。日常の人間関係を円滑に営むために、やむなくネットにアクセスしている若者たちも数多く存在しています。彼らは、日常の人間関係から外されないためにこそ、ネットに接続しつづけているのです。
 したがって、ネット依存と呼ばれる現象も、彼らからモバイル機器を取り上げれば解決するような問題ではありません。そんなことをしたら、彼らの人間関係を破壊してしまうだけです。さらに孤立へと追い込んでしまうだけです。むしろ問題の根は、その身近で狭い人間関係にしか自分の拠り所が見出せないと感じている点にこそあります。なぜなら、彼らの間では人間関係の分断化がかつて以上に進行しているからです。仲の良い相手だけと付き合い、それ以外の関係を切ってしまおうとする傾向を強めているからです。

分断化する人間関係

 ある高校3年の男子は、新聞のインタビュー記事でこう語っています。「友だちとは上手に付き合いたい。共感するならシェアするけど、気が合わないなら付き合わなければいい。ケンカはしたくない」彼らは、あらかじめ無用なトラブルを避けるために、クラス内を棲み分ける傾向を強めています。だから、その狭い関係から外されると、もう生きていく場所がないと感じてしまうのです。
 このように人間関係の分断化が進んでいくなかで、しばらく前に話題となったスクールカーストですら、いまは成立しえなくなっています。クラス内にカーストが成立するためには、お互いに外集団を意識し、そこで優劣の判断が行なわれなければなりません。ところが昨今は、その比較さえ困難なほど、お互いの棲み分けが進んでいるのです。同じクラスメイトであっても、所属集団が異なれば交流の機会はほとんどなく、意識の対象にすら上らなくなっているのです。
 このような狭小化した世界での付き合いを維持するためにこそ、ネットが駆使されています。だから、モバイル機器を一時も手から離すことができず、お互いの息遣いを24時間つねに確認しあわなければならなくなっているのです。その姿が、私たち大人には、アルコールやタバコなどへの依存と同じように、あたかもモバイル機器というモノへの依存と映るのです。しかしその内実は、じつは人間関係への依存です。それも、ごく身近で閉じられた狭小な人間関係への依存です。
 だとしたら、若者たちのネット依存への対策として必要なことは、彼らからモバイル機器を取り上げることによって、その関係を断ち切ってしまうことではないはずです。むしろそのモバイル機器を駆使することで、彼らの人間関係を外部へと広げていくことのはずです。今日、ネットがさまざまなトラブルを生んでいるのは事実です。しかし、その使用をたんに禁止するだけでは問題は解決しません。むしろその有効な使い方を教えていく必要があります。ネットによって狭小化し、濃密になってしまった人間関係だからこそ、逆にそのネットを活用することで、閉じられた関係を外部へと開き、その重さから彼らを解放していく工夫が必要なのです。

土井 隆義どい たかよし

1960年、山口県生まれ。大阪大学大学院博士後期課程中退。
現在、筑波大学人文社会系教授。
社会学専攻(社会病理学・逸脱行動論・犯罪社会学)。
今日の若者たちが抱えている生きづらさの内実と、その社会的な背景について、青少年犯罪などの病理現象を糸口に、人間関係論の観点から考察を進めている。
著書
『少年犯罪<減少>のパラドクス』(岩波書店)
『人間失格?』(日本図書センター)
『キャラ化する/される子どもたち』(岩波ブックレット)
『友だち地獄』(ちくま新書)
『「個性」を煽られる子どもたち』(岩波ブックレット)
『〈非行少年〉の消滅』(信山社出版)など。

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