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いつものクラスでSST 第8回
互いの意見を積み重ねていけるクラスづくり
星槎大学准教授阿部 利彦ほか
2015/1/20 掲載
  • いつものクラスでSST
  • 特別支援教育

互いに認め合えるクラスづくりのためには、相手の話を「聞くこと」そして「聞いているよ、と相手に示すこと」が大切だと前回学びました。
でも授業では、ただ相手の意見を聞き、理解するだけではなく、その上で自分自身の考えも発信することが求められます。単に「◯◯ちゃんと同じです」と言うだけでは、授業は深まりません。相手と同じ考え、違う考えを、どう積み重ねていったらよいのでしょうか?

友達の意見を聞く、というのは大事ですよね。前回は「あなたの話を聞いているよ」と相手に示す、ということについて考えました。今回は、相手の意見につけ足す、というあたりから考えてみたいんですが。いい意見の積み重ね、どう思われますか?

うわあ、難しいお話です。相手の意見につけ足す、そして意見をよりよいものにしていくって、すごく難しい。学級では、まず「話形」を教えますよね。そして黒板に貼ったりする。
「〇〇さんに似ていて」とか「〇〇さんと少し違って」という言葉を発表の前につけさせる。そして、どう違うかなど理由や根拠も言っていく。そういう学習をしていると、とりあえず形としてはつけ足しできるんですけど…。

「話形」ですね。これには賛否両論、いろいろなご意見を聞きます。私は、形を示してあげることが必要な子も多いと思っています。とくに発達が気になる子の場合は。でも、その形にうまくはめられないこともあるでしょうし。

確かに。例えば、おたのしみ会で何をしますか?というくらいの話題なら、「似ていて」「違って」は機能するのですが、国語の読解などの発表では、「似ていて」と発表の最初についていても、実は似てないんですよ。それどころか、話題がそれてしまう場合もある。なかなかいい意見の積み重ねにならない。
本当に似ている、違う、とわかるためには、相当聞かないとわからないです。

「似てる」「違う」とわかることって、簡単なようで奥が深いんですよね。

「意見は同じだけど、考え方は違う」ということは、算数ではわかりますね。でもそれは、かなりの視覚支援を必要とします。
(図1)↑算数だと、こんな風に考え方が違うといえるが…

なるほど、算数だと考え方を視覚化し、比較しやすい。

実は、やっかいなのが、「同じです」という意見です。「いいです」とか、「はい」とか、そういう言い方のときもありますね。でも、全く同じということはありえないです。なのに「△△さんと同じです」と言ってしまう。

考えることをあきらめた子が「同じです」で終わらせようとすることがありますよね。 

「似ているけれど、同じではないんだ」「自分の意見を言うんだ」の大切さを実感するために、こんな事をしました。学級全員で、同じ空を見るのです。

えっ、空?

何でもいいので、思ったこと、感じたこと、気がついた事を言っていきます。A:「水色だと思いました。」その時に次の人が「Aさんと同じです」を言いかけた時に「AさんとBさんは、ちがう人だから、全く同じって事はないよ。少しでもいいから、つけたして自分の言葉で言ってごらん。」と指示するのです。

なるほど、それで?

すると「Aさんに似ていて水色だけど、雲の白が混じっていると思いました。」と言うかもしれない。そこで、「友達の意見をよく聞いていた」ことと「自分の考えを言えた」ということをほめていきます。そうすると、同じ空のはずなのに、「雲の白がところどころ切れている」など、どんどん違いも見えてきます。
こういう体験をさせると、「同じです」の安易さが子どもにも体験的にわかって、「つけ足す」よさがわかっていくんじゃないかと思います。

「つけ足す」よさ、たくさん体験させてあげたいですよね。クラスレクみたいなもので、つけ足す、話題をキープする、といったことを楽しくできるものはないですか?

私がよくするゲームがありますよ。それは、1平方センチメートルくらいの積木をたくさん用意しておいて、4人ぐらいで話をするのです。「昨日のテレビでクイズ番組を見ました」(1個積木を置く)→「へえ、なんというクイズ番組ですか?」(積木を重ねる)→「クイズミリオネアという番組です。私はこの番組が好きなんです。」積木→「私は妖怪ウオッチみた」、ここまできて、クイズの話題から外れてしまったので、重ねていた積木を倒して、また、初めから話題を積み上げます。ドキドキしながら、一つの話題を共有したり、一つの話題を続けたりする楽しみがあります。

なるほど、ドキドキ、楽しく、を取り入れることは大事です。このゲームはお家でもできそうですね。
ところで、授業の場合、相手の意見につけ足しているようであっても、自分の意見の方がいいんだぞ、と示しているような子っていますよね。

「そうじゃなくて!」っていう子もいますからね。それと、授業って参加しているようでお客さんのようになってしまう時間があると思うのです。だから、自分の意見を本気で持たないといけない場を作るのも大切だと思うんです。

そんなお客さんになりやすいのは「静かに困っている子」ですから、ぜひそういう場を設定してほしいです。

例えば理科で、「銀色の色紙は電流を通す」がわかってから、「金色の折り紙は電流を通すか?通さないか?」ということを考えさせる。自分の意見をノートに書かせてから、全体の場で理由も含めて発表させる。何人か発表してから、名前磁石を黒板の「通す」「通さない」のどちらかに貼る。そして尚も、何人かに意見を言わせてから、ファイナルアンサーで、自分は「通すと思うか?、通さないと思うか?」、名前磁石を貼り直させる。もちろん意見が変わってもいい。意思表明をさせるのです。
(図2)

どちらかを選べばいい、というのは参加しやすいし、意思表明もしやすい方法ですね。

自分が主役の立場に立つような場を作ることで、「話し合うって大切」ということがわかり、「よく聞いて考えたからわかったなあ」という実感が出ますね。そういう実感があると、本当のいい意見の積み重ねができるんだと思います。

意見交換の場面って、押しつけになってしまう子、教えてやっている感の強い子ってどうしてもいると思うのです。教えてもらう子の側はさすがに「何だよ、その教え方!」とは言えませんよね。ですから子ども同士では改善されないと思うのですが、どういう対応がいいのでしょうね?

教えてもらう子が、教え方がいやですねたり怒ってしまったりすることもありますものね。

教わりたくて教わっているわけではない。本当は自分で解決したいのだけれど、それができないから仕方なく教えてもらう側になっているのですよね。でも教える側の子には「教えてやってる」感が出てしまう。

なかなか子どもに伝わりにくい部分があるのですが、「伸びる人は素直に話が聞ける人ですよ。担任の先生だけでなく、人の教えは素直にきける方がいいね」と学級全体に話をする必要があると思います。教えてもらう方も、「教えてくれる人は、関わりを持とうとしてくれている」ことに気づいてもらって、それに感謝ができるといいなと思うのですが。

うーん。なかなか難しいですねぇ。たとえば、教えてもらう側の子の気持ちも考慮した教えてあげ方、みたいなものはあるのでしょうか?
(…次回に続く)

阿部 利彦あべ としひこ

星槎大学准教授。
授業のユニバーサルデザイン研究会湘南支部顧問。発達障害のある子の魅力やサポート法についての講演・教員研修で全国各地を飛び回り、その取り組みはマスメディアでもたびたび取り上げられる。「見方を変えればうまくいく!特別支援教育リフレーミング」(中央法規)など著書多数。特別支援教育士SV。

尾ア 朱おさき あや

通常学級で、特別支援教育を進めたいと考えている宝塚市の教員。クラスで学ぶSSTパッケージ(すみれトランク)の開発と実践がある。関西UDに属している。宝塚市巡回相談員。特別支援教育士。

(構成:佐藤)

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