はじめに
2015年に選挙権年齢が18歳へと引き下げられてから、今年で10年を迎えました。18歳選挙権の実現は、教育現場にとって主権者教育を「特別」なものから「不可欠」なものへと転換させる契機となるはずでした。しかし、この10年間を振り返ると、「主権者教育は現場に根付いた」と自信を持って言える教員は、まだ少ないのではないでしょうか。
節目となる今年、私たちが取り組むべきことは、実践の羅列や成果報告ではありません。いま私たちに求められているのは、なぜ主権者教育が「イベント」の域を出ないのかを検証し、教育現場の実態を直視したうえで、次の10年をどう切り拓くかを問うことです。
1.なぜ主権者教育は根付かないのか
この10年で、模擬選挙や出前授業といった実践は確かに広がりました。しかし、そうした取り組みが恒常的に行われている学校は限られています。多くは「一過性のイベント」で終わってしまい、生徒の態度や思考を変容させる「日常的かつ継続的な学び」へとつながっていません。例えるなら、一時的な刺激を与える「エナジードリンク」のような効果はあっても、体質をじっくりと改善していく「漢方薬」のような持続的な効果に乏しいのが現状です。
学校現場に主権者教育が根付かない背景には、複合的な要因があります。
第一に、政治的中立性への過剰な意識が、現場の教員の思考と行動を萎縮させています。教育基本法第14条では政治的教養の尊重を掲げるとともに、特定の政党を支持/反対するための政治教育を禁止しています。しかし、学校ではその本来の意義を超え、「生の政治」を扱うこと自体をタブー視する傾向があります。
第二に、主権者教育は特定の教科に留まらず、学校教育全体を通じて行われるべきにもかかわらず、その汎用的な教材や授業モデルが十分に共有されていません。その結果、実践が個々の教員の力量と熱意に依存し、学校間で大きな格差が生じています。
第三に、学校の多忙化があります。新しい実践を生み出すための教材研究や、授業後の生徒の反応を分析し指導を改善していくための時間を確保する余裕が、学校現場には欠けています。
これらの要因が重なり合い、主権者教育は多くの教員にとって「重要だと理解しつつも、手が回らず、失敗のリスクも高いもの」と位置づけられてしまっています。
2.教師は何に萎縮し、どこに課題を感じているのか
現場の教員は、主権者教育の実践において二重のプレッシャーを抱えています。
第一のプレッシャーは、「政治的偏向」と見なされることへの不安です。保護者や地域からの批判を恐れ、議論のテーマを極端に抽象化したり、教科書に載っている制度の解説に終始したりするケースは少なくありません。結果として、生徒の意見を深掘りする問いかけすら躊躇してしまいます。
第二のプレッシャーは、「正解のない学び」を扱うことへの不安です。主権者教育は、結論のない課題について教員が生徒と共に考え、合意形成のプロセスを学ぶことが核心です。しかし、当の教員自身が、大学の教員養成課程で政治を語り、議論をファシリテートする体系的な訓練を受けてきた機会が乏しいのが現実です。そのため、「生徒から鋭い問いを投げかけられたときに、自分が答えきれないのではないか」「どこまでが指導の範疇なのか、明確な線引きができない」という内面的な不安が、挑戦的な実践を阻んでいます。
これらの不安の結果、生徒たちが自らの意見を語り合い、他者との対話を通じて、よりよい社会を構想する場が十分に設けられず、主権者教育は単なる知識伝達に留まってしまうという課題に直面しています。
3.学校現場にひらける可能性とは、どのようなものか
それでも学校現場は、主権者教育の実践において最も身近で大きな可能性を秘めた場所だと言えます。鍵は、生徒にとって切実な「自分事」を議論の俎上に載せることです。
例えば、生徒の校則改正をめぐる議論は、まさに民主主義の実践です。制服の自由化、スマートフォンの使用ルール、登校時間の変更など、生徒自身にとって切実なテーマについて、データを集め、賛否両論をぶつけ合い、教員や保護者を含めた学校コミュニティーと合意形成を図るプロセスは、「政治とは自分たちに関わるルールをつくることだ」という実感を生徒に与えることができます。
また、単なる投票体験に留まらない「模擬選挙の深化」も有効です。公約の実現可能性や候補者の背景にある価値観を比較検討する過程を丁寧に組み込むことで、生徒は情報を批判的に分析し、判断する力を磨くことができます。さらに、地域課題に取り組むプロジェクト学習や、NPO・市民団体との連携を深めることで、生徒は教室で学んだことを社会で試す機会を得て、教室の外に主権者としての役割を見出すことが可能になります。
4.次の10年に向けて、私たちは何をすべきか
これからの10年に必要なのは、主権者教育を「一過性のイベント」から「日常的かつ継続的な学び」へと転換させることです。そのためには、現場の精神論に依存するのではなく、制度的・文化的な基盤整備が欠かせません。
まず、教員に対する体系的な支援が求められます。政治的中立性を担保しつつ議論を深めるための指導指針や、さまざまな地域・学校環境で応用できる実践的な教材モデルを全国的に共有し、教員研修を義務化・体系化することが必要です。さらに、教員養成課程のカリキュラムを改善し、議論のファシリテーションや多様な意見への対応といった実践スキルを学生時代から習得させるべきです。
また、主権者教育の射程を「投票行動の促進」に限定せず、広く「シティズンシップ教育」として教科横断的な枠組みで展開していく必要があります。例えば、一部の自治体で試みられている「市民科」のように、社会の課題解決や市民としての役割を学ぶ時間を、特定の教科に依存しない形で確保することも検討に値するでしょう。
同時に、学校文化そのものを変えていく視点も不可欠です。政治を「触れてはいけない話題」として避けるのではなく、むしろ「安心して語り、失敗してもよいテーマ」として位置づけます。授業だけでなく、生徒会活動やホームルーム、部活動や行事など、学校の日常の営みすべてを民主主義を学ぶ場へと開いていくことで、生徒は社会と関わる態度や力を自然と身につけていくはずです。
おわりに
18歳選挙権の実現から10年が経ちました。主権者教育は、投票率を上げるための手段ではなく、子どもや若者が「社会は自分たちのものだ」と実感し、自らの判断軸を育み、持続的に社会とつながる態度と力を育む営みです。
私たちは次の10年を、じっくりと効き目を発揮する「漢方薬」のような主権者教育を実践する期間にしなければなりません。教室を「政治を避ける場」から「政治を安心して語れる場」へと変えること―。その挑戦を通じて、子どもと若者が主権者として民主主義社会を担っていく未来を築くことが、いま私たちに託された使命です。














