教育オピニオン
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こなごなになったボールペン
早稲田大学文学学術院教授森山 卓郎
2012/6/4 掲載

 あるお母様から相談を受けている。そのご子息A君のクラスで、以前からいろいろな物がなくなるなど、かなり陰湿ないじめ事象が続いていた。暴力的なこともあったという。ただ、担任の先生はしっかりとは動かれてこなかったとのこと。

 先日の朝、加害側の子がA君の筆箱を別の被害側の子に思いきり投げつけるという事件があった。ボールペンが粉々になった。ついに、A君はほかの子の思いも受けて、職員室に、大声でどなりこんでいったという。A君のしっかりした思いに、心から声援を送りたい。加害側の子の心の闇も心配である。それにしても、これまで先生はどう動かれてきたのだろう、そして、これからどう動かれていくのだろうか。

 教育の場はコミュニケーションの場でもある。やられている側の痛みや悲しみを加害側の子にどう気づかせるのか、やられている子の傷ついた心にどう寄り添うのか。それぞれの親にいかに連絡し、どんな協力をしてもらうのか・・・。やはり「言葉」は重要だ。

 教師は、ちょっとした言葉のニュアンスにも敏感でなければならない。例えば、「〜てしまう」のような言葉の有無で表現は大きく変わってくる。「〜(だ)ね・・・」のような終助詞が共感の気持ちをしっかりと表すということもある。「本当」という相づちでもイントネーションによって疑いや共感といった全く違ったニュアンスの言葉になるので注意が必要だ。ニュアンスのレベルで誤解されると、誤解そのものに気づかないこともあって、修復は難しい。
 保護者への話だって、いきなり話を切り出すのか「実は」と間を置くかで、第一印象は変わる。話の流れも相手の反応を見ながら調整していかなければならない。伝え方だけではない。

 「いたずら」と「いじめ」の違いをわからせるためには、教師自身もそれぞれの言葉の意味についてしっかり考えておかなければならないはずだ。
 状況の中で、「言葉」が「思い」を変える。そして、「思い」が「人」を変えていく。そうした様々なやりとりの基盤にある「言葉」は、教育を成り立たせている最も根本的な要素の一つだ。

 こなごなになったボールペン。あの晩、お母さんと一緒に文具屋さんに買いにいったボールペン。お母さんが一緒に選んでくれて、お金を払って買ってくれたボールペン。いつも勉強で使っていたボールペン。世界で一本しかない「このボールペン」。あろうことか人に向かって投げつけられ、もうこなごなになったボールペン。・・・A君は、しっかり語った。ボールペンも、声なき声で語っている。加害側の子だってこの事件から大切なことを悟っていかなければならない。
――さあ、次は、先生が口を開く番だ。

森山 卓郎もりやま たくろう

京都市生まれ。早稲田大学文学学術院教授。京都教育大学名誉教授。学術博士。国語科教科書編集委員(光村図書)。著書に、『国語教育の新常識−これだけは教えたい国語力−』(編著)、『国語授業の新常識 読むこと』シリーズ(編著)、『「言葉」から考える読解力−理論&かんたんワーク−』などがある。

コメントの一覧
1件あります。
    • 1
    • 大正
    • 2012/7/15 9:09:52
    「教育の場はコミュニケーションの場。」その通り。A君は,ほかの子の思いも受け,加害側の子ではなく,職員室に…?(違和感。)
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