生徒用学習端末として、iPadのようなタブレット端末が大きな可能性をもっていることに多くの方は共感し、あまり異論はないだろう。しかし例えば、生徒用デジタル教科書の具体化への議論などを拝見していると、「ちょっと待った」と言いたくなることが少なくない。
例えば、「デジタルなのだから、入力した解答が正しいか間違っているか判定した方がいい」という意見。確かにもっともである。そして、自学自習の道具として使うなら、そういう使い方は基本になるかもしれない。しかし、それが授業の中での基本的な使い方ということになると、ちょっと疑問になる。学級にみんなが集まっていることのよさが生きる授業でありたい。
また、机の上にパソコンしか載らないような景色の授業にも違和感を覚えていた。例えば、数学の授業の中で“数学らしい”活動を行う上で紙は不可欠で、ちょっとした計算やフリーハンドでのスケッチは数学的活動のための生命線と言っていい。互いにそれをのぞき込んで議論をすることも必要だ。そういう数学的活動のじゃまをしないことが、ICT利用を息長く続けていくためには不可欠だと思ってきた。過去のビデオを探してみたら、1992年の大学での私の授業の映像に、下のようなものがあった(さすがに若い!)。
この当時はこれが最先端だったし、コンピュータ利用としては何の疑問ももたなかった。しかし、機器ばかりでノートを開くスペースすらない中で数学を考えろというのは、当時のような「珍しい機械としてのパソコンを使う」という非日常的環境では学生も不満を感じなかったとしても、こういう環境が日常的に続くとなると、「かんべんしてほしい」というのが本音になるだろう。
私にとってiPadは、「数学的活動をじゃましないICT機器」としての可能性を実現してくれそうな存在である。解答入力・採点マシンとは違った可能性を形にし、一味違った授業実践を実現してみよう、といろいろな先生方と取り組んでみたのが、GC/html5というソフト開発と、それを使った実践である。
GC/html5というのは、数学的な意味で図形を作図し、変形などができるソフトである。20年以上前から開発・利用しているソフトを、iPadでも使えるように移植してみた。
これを使った授業では、 四人一組で1台を使うのが基本だ。4つの机をつなげた中央にiPadをおいて、図形を動かして調べる。すると多くの場合、下のように、生徒の頭が集まっていく。
その方が見えやすいから当然といえば当然なのだが、この距離感は、気付きやアイデアそして疑問などを話し合うのに適切な雰囲気を生み出してくれる。マウスと違って指で動かせるから、このように共同作業も行える。
シートを載せれば、このようにペンで直接書き込んでしまうこともできる。
そしてもう1つ重要なことは、議論が進んでいって証明などをしたくなったとき、ノートの上で作業をするじゃまをしないことだ。下の写真を見てほしい。中央にiPadがあるものの、生徒の気持ちはそれぞれノートの上に行ってしまっていて、iPadはさびしく放置されている。
必要なときには使うけれど、不要になったら学習のじゃまをしない。こういう当たり前のことが、例えば、コンピュータ室では実現できなかった。それを実現できるようになったことが、私にはとてもうれしいし、それを実現させてくれたiPadに感謝している。
先日、愛西市立佐屋中学校の後藤義広先生の実践(読売新聞)を取材された新聞記者の方とお話をする中で、記者の方が、「これって、とってもプリミティブな使い方ですけど、いわば、 寄せなべの魅力みたいなものですね」と評してくれた。
さすがに記者、言い得て妙だなと納得した。
そう、一人鍋もいいかもしれないけど、やっぱり鍋はみんなでつつくに限る。そういう鍋的な使い方も、iPadの使い方として定着してほしい。
それを考えれば、この記事のようなipadの使い方がちょうどいいのでしょうね。
1人一台あったら、机の上にノートを広げるスペースが、、、