A先生
各自が「ふさわしい方法を選択しながら工夫して実践できるようにする」ために、テーマ発問型という「学習プロセス」があることはわかりました。そこで、テーマ発問型の具体的な展開について教えてください。
加藤先生からのアドバイス
「テーマ発問型」というネーミングは「場面発問型」と比較した上での、両者の特徴を捉えた便宜的なものですが、かなり市民権を得てきたようですし、便利なので私も使わせていただいています。
テーマ発問型の一つのスタイルは、本時の内容項目・価値に関するテーマを掲げ、それに向かって教材を読み解き、解明していくというものでしょう。「本当の友情とはなんぞや」という命題に向かって考え、議論する哲学のようなものです。そう考えると、テーマ発問型の肝は、いかに崇高な命題・テーマを設定するかのように思われがちですが、実はそうではありません。
テーマは一般的なものの場合もあれば、限定的な場合もあります。どちらでもいいのです。肝心なのは掲げたテーマをもとに、子どもたちがそのテーマをどれだけ自分たちの言葉に「翻訳・修正」できるかということです。基本的な流れを挙げてみましょう。
解説
@テーマを掲げる
「友達だからできることは何か」
A予想する
・協力して活動できる
・信頼し合える
B教材を読んで考える
・あれ? 友達だけど本当のことを言っていないぞ
Cテーマを修正する
・友達だからこそ、本当のことを言えないということがあるのでは?
・「友達だからできないことがある」ということかな
D修正したテーマに基づいて話し合う
・「なんでも言い合えるのが友達ではないのですか?」などと必要と思われる問い返しをして、子どもたちの思考を刺激し、視野を広げさせる。
E話し合いの結果、わかったことをまとめる
このように、授業中に修正されていくテーマを「子どもの問い」と呼んでいます。これは、子ども自身の問題意識の具現化であり、すなわち「問題解決的な学習」そのものです。それに向かって進める話し合いを支えるのが「問い返し」です。また、子どもたちだけの話し合いでは、堂々巡りに陥ったり、広がりや深まりに欠けるものになったりしがちです。だからこそ、指導者が適切な刺激を与えて、子どもたちの思考を広げてやる必要があります。これが「多面的・多角的」な観点です。
そのような話し合いは、子どもたち自身の「わかっているつもり」を覆す要素が多分に入っているため、既存の与えられた知識だけでは処理しきれずに「え?どういうことだろう」と深く考え始めます。考えれば考えるほど、友達の意見を聞きたくなったり、新たな発見があったりします。そのように、「自ら見つけ出した(つもりになった)真理」は、言いたくなります。聞いてほしくなります。聞いてもらって意見を言ってほしくなります。これが議論です。議論というのは、勝敗を決するために行うような、自分の意見の正当性を主張し合うような、「口喧嘩」ではありません。
このように、テーマ発問型を極めれば、現在キーワードとなっている要素は、声高に唱えなくとも、自ずと、必然的に網羅されてくるのです。
- テーマは教師から与えたものでも、子どもたちから出されたものでも構いません。それを授業中に「進化」させていくことがポイントです。
- 必要な問い返し(指摘・確認・多様な思考を促すつっこみ)を行いましょう。これがないと、思考や議論が深まりません。
- 授業の後半にフィードバック(本時の学びは何だったのか、子どもたちの発言の意味づけ)を行いましょう。テーマ発問型は「帰納的学習スタイル」が基本です。その場合、見つけ出した結論は必ず意味づけする必要があります。
- 「特別の教科 道徳」の指導方法・評価等について(報告)(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/111/houkoku/1375479.htm
「道徳科の内容」に目を移して22項目を一つづつその関係性と意義、社会の中での真の意味を再構成してみることが重要だと考えます。