QA解説 「特別の教科 道徳」の授業づくり
教科化時代が来た! 新しい道徳授業の創り方を解説します。
QA解説 「特別の教科 道徳」の授業づくり(21)
内容項目をどのようにとらえるか
筑波大学附属小学校教諭加藤 宣行
2017/2/17 掲載

A先生

 各自が「ふさわしい方法を選択しながら工夫して実践できるようにする」ために、テーマ発問型という「学習プロセス」があることはわかりました。そこで、テーマ発問型の具体的な展開について教えてください。

加藤先生からのアドバイス

 「テーマ発問型」というネーミングは「場面発問型」と比較した上での、両者の特徴を捉えた便宜的なものですが、かなり市民権を得てきたようですし、便利なので私も使わせていただいています。
 テーマ発問型の一つのスタイルは、本時の内容項目・価値に関するテーマを掲げ、それに向かって教材を読み解き、解明していくというものでしょう。「本当の友情とはなんぞや」という命題に向かって考え、議論する哲学のようなものです。そう考えると、テーマ発問型の肝は、いかに崇高な命題・テーマを設定するかのように思われがちですが、実はそうではありません。
 テーマは一般的なものの場合もあれば、限定的な場合もあります。どちらでもいいのです。肝心なのは掲げたテーマをもとに、子どもたちがそのテーマをどれだけ自分たちの言葉に「翻訳・修正」できるかということです。基本的な流れを挙げてみましょう。

解説

@テーマを掲げる
 「友達だからできることは何か」
A予想する
 ・協力して活動できる
 ・信頼し合える
B教材を読んで考える
 ・あれ? 友達だけど本当のことを言っていないぞ
Cテーマを修正する
 ・友達だからこそ、本当のことを言えないということがあるのでは?
 ・「友達だからできないことがある」ということかな
D修正したテーマに基づいて話し合う
 ・「なんでも言い合えるのが友達ではないのですか?」などと必要と思われる問い返しをして、子どもたちの思考を刺激し、視野を広げさせる。
E話し合いの結果、わかったことをまとめる

 このように、授業中に修正されていくテーマを「子どもの問い」と呼んでいます。これは、子ども自身の問題意識の具現化であり、すなわち「問題解決的な学習」そのものです。それに向かって進める話し合いを支えるのが「問い返し」です。また、子どもたちだけの話し合いでは、堂々巡りに陥ったり、広がりや深まりに欠けるものになったりしがちです。だからこそ、指導者が適切な刺激を与えて、子どもたちの思考を広げてやる必要があります。これが「多面的・多角的」な観点です。
 そのような話し合いは、子どもたち自身の「わかっているつもり」を覆す要素が多分に入っているため、既存の与えられた知識だけでは処理しきれずに「え?どういうことだろう」と深く考え始めます。考えれば考えるほど、友達の意見を聞きたくなったり、新たな発見があったりします。そのように、「自ら見つけ出した(つもりになった)真理」は、言いたくなります。聞いてほしくなります。聞いてもらって意見を言ってほしくなります。これが議論です。議論というのは、勝敗を決するために行うような、自分の意見の正当性を主張し合うような、「口喧嘩」ではありません。
 このように、テーマ発問型を極めれば、現在キーワードとなっている要素は、声高に唱えなくとも、自ずと、必然的に網羅されてくるのです。

  • テーマは教師から与えたものでも、子どもたちから出されたものでも構いません。それを授業中に「進化」させていくことがポイントです。
  • 必要な問い返し(指摘・確認・多様な思考を促すつっこみ)を行いましょう。これがないと、思考や議論が深まりません。
  • 授業の後半にフィードバック(本時の学びは何だったのか、子どもたちの発言の意味づけ)を行いましょう。テーマ発問型は「帰納的学習スタイル」が基本です。その場合、見つけ出した結論は必ず意味づけする必要があります。

加藤 宣行かとう のぶゆき

東京生まれ。
神奈川県津久井地区公立小学校教諭を経て、現在、筑波大学附属小学校(道徳部)教諭。
筑波大学・淑徳大学講師。

(構成:茅野)
特集 「特別の教科 道徳」
コメントの一覧
1件あります。
    • 1
    • 神奈川工科大学 山本 聡
    • 2017/3/26 1:19:09
    以前よりも法律が細かく規定され、厳格化されているにもかかわらず、ネット上の掲示板やSNSでは毎日のごとく誹謗中傷が書き込まれ、無法者の画像をアップし晒す現象が絶えない。土下座をさせたり、非礼な対応の償いとして多額のお詫び品を要求し、勝ち誇ったように画像をアップすることで自らも断罪されている。学校現場では、教員の指導のやり方が保護者の価値観と齟齬するとして校長や教育委員会に申し立てをし、メディアに訴える。こうした社会の反応は、法律という最低限守るべきルールへの抵触が原因で起きているわけではなく、むしろ空間の中での雰囲気、マナーや道徳の問題として、批判者自身の尺度で申し立をしているに過ぎない。先端の情報ツールを使い、個人的な迷惑を根拠に、生々しいサンクションを与える社会では、道徳が後退しているのか、規範意識が低下しているのか、心情が先行しすぎているのか、後退しているのか判断しかねるのです。
    「道徳科の内容」に目を移して22項目を一つづつその関係性と意義、社会の中での真の意味を再構成してみることが重要だと考えます。
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