きょういくじん会議
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運動会でしか見たことがないアノ競技
kyoikujin #93
2007/9/27 掲載

 まだまだ残暑が厳しく、秋を実感できるような気候ではありませんが、スポーツの秋! ということで各地の学校では運動会シーズンの真っ最中ですね。先日は運動会の場所取り合戦についてきょういくじん会議でも取り上げましたが、今回はその運動会の花形競技…でも運動会以外では見たことがない! なーんて競技について、いくつかご紹介しましょう。

綱引きはオリンピック種目だった!

 もともと「綱を引く」という行為は、古代より世界各地でさまざまな意味合いの儀式として行われていました。豊作、豊漁、天候占い、おまじない…。その綱引きがスポーツとして最も古く行われたのは、なんと紀元前2500年もの昔! エジプトのサッカラ古墳で発見された壁には、現在もその様子が彫り残されています。
 15〜16世紀にはスポーツとしてのルールが注目されるようになり、ヨーロッパで次第に盛り上がりを見せた綱引き。そしてパリオリンピック(1900年)では始めて陸上競技として行われました。しかし拡大化したオリンピックの縮小化運動により、アントワープオリンピック(1920年)を最後に姿を消すことになってしまったとか。
 それから約90年。2002年に国際綱引連盟が国際オリンピック委員会に正式加盟したことから、綱引きが再びオリンピック競技になる可能性がでてきました。2年ごとに行われている世界選手権では日本代表チームが好成績を残しているとのことなので、オリンピックに綱引きが復活すれば日本の金メダルも夢じゃないかもしれません!

パン食い競争はあんぱんを使うのが伝統的?

 パン食い競争の起源については諸説あるようですが、ヤマザキ「パンの街角」によれば、札幌農学校(北海道大学の前身)で明治29年(1896年)に行われた運動会、「遊戯会」での食菓競争が始まりではないかということです。
 しかし運動会としてはそれよりも前の明治7年(1874年)、築地にあった海軍兵学寮で「競闘遊戯会」なるものが行われており、ここであんぱんの失敗作をゆずり受けてパン食い競争が行われたという説もあります。
 ここで「なぜあんぱん…?」と不思議に思った方もいらっしゃると思いますが、実は築地のすぐお隣の銀座には、言わずと知れたあんぱん発祥の店木村屋総本店があるのです! 元祖あんぱんが誕生したのはなんと、競闘遊戯会が行われたのと同じ明治7年。もしかしたら本当に上記のようなエピソードがあったのかもしれませんね。

騎馬戦と棒倒しに込められた政治思想

 では騎馬戦と棒倒しはどのように生まれたのかというと、こちらも誕生したのは明治時代。自由民権運動が全国的に湧き上がっていた頃です。しかし壮士と呼ばれる自由民権運動のメンバーたちは、政府に言論を弾圧され、自分たちの意見を主張する場を奪われていました。そこで目をつけたのが演説でもデモでもない、運動会だったのです。
 この運動会は壮士運動会と呼ばれ、新しい二つの種目が誕生します。その名も政権争奪騎馬戦圧政棒倒し! なんだか物騒な名前ですが、前者は誰が政治のリーダーになるかを競う姿をゲームにしたもの、後者は当時の政府を倒す意味をこめて棒を倒すというものでした。これが現在の騎馬戦と棒倒しの原型になったそうです。全ては、競技にまぎれて彼らの思想を国民に伝える手段だったんですね。

 このように、運動会以外ではなかなかお目にかかれないようなマイナーな競技にも、大変おもしろい歴史がありエピソードがあるんですね。
 他にも運動会と言えば、玉入れや障害物競走、フォークダンスなどなどありますが、これらにもちょっと変わった面白いルーツがあるかもしれませんよ。興味がある方は、秋の夜長のヒマ潰し程度にでも調べてみてはいかがでしょうか★

この記事は、『きょういくじん会議』の記事を移転して掲載しているため、文中に『きょういくじん会議』への掲載を前提とした表現が含まれている場合があります。あらかじめご了承ください。
コメントの一覧
7件あります。
    • 1
    • 白夜行
    • 2007/9/28 3:13:32
    1さんの書かれた「棒倒し」についてちょっと疑問に思い
    書かせて頂きました。
    「棒倒し」は日本の文献では少なくとも明治18年頃には
    海軍兵学校の授業・学科として存在していました。
    そして、棒倒しは海軍兵学校だけでなく戦後の防衛大学校でも
    運動会(防大では「開校祭」と呼ばれる文化祭に行われる)で行われる最大の
    イベント・お祭り(優勝した大隊は翌年まで看板が掲げられ外泊回数が増える・お菓子がもらえるなどの特権が与えられ、参加学生はあらゆる訓練を自発的に行います)です。
    旧日本海軍兵学校で行われていた「棒倒し」をはじめ訓練や授業は、
    米国・英国のダルトンプランというアナポリス(米国の海軍士官学校)思想が原型で、それを採用したものです。
    旧薩摩藩の「陣取り合戦」の集団格闘と似たもので、米国アナポリスの
    「棒倒し」に似ているので、すんなり旧日本海軍が訓練で取り入れたものです。
    従って、自由民権運動が盛んになった時期以前に、既に「棒倒し」は
    体育競技として日本に存在しています。
    但し、一般の学校で取り入れられた時期については、小職は知りませんので、書き込みにあるような理由が付けられたかどうかも知りません。
    (少なくとも、明治10年代に海軍兵学校が、自由民権思想を取り入れようと「棒倒し」を取り入れた訳ではない事だけは確かでしょう。)
    明治時代の海軍兵学校の訓練・科目・授業内容は、朝雲新聞社や原書房などで文献が掲載されています。
    (小職は当時の現物を直接目で見た訳ではないです。)
    ちなみに、戦後の防衛大学校で行われる「棒倒し」は1チーム総勢100人程選ばれ、個人の特性に応じて「棒もち」「防御」「遊撃」「キラー」「特攻」「スクラム」・・・等の班に振り分けられ、集団対抗の格闘技(相手の棒を
    倒すと勝ち)です。前述のように優勝すれば特権がつくし、この時ばかりは上下級生問わず殴り合っていいので、大学の内部だけでなく遠い所から見学に来るお客も多いです(開校祭の目玉)。
    そういう競技なので、小職は全く政治思想は感じた事ありません。
    (勇ましい人が安直に「こりゃ、体力や気力を充実させるのにいいや」と感じて取り入れたなか、後の自由民権運動でも取り入れたのでは
    ないでしょうか?)
    • 2
    • 白夜行/追加
    • 2007/9/28 7:37:42
    ちなみに旧士官学校や戦後の防衛大や現在の自衛隊では、中で行われる大きな競技会に優勝するか否か、あるいは厳しい大会の選手になるか否かでその後の「威張れる」環境が変わります。
    この気持ちが強過ぎて、大学対抗の(陸上やスポーツの)大会には「メリットが無いから休日を減らしてまでやる気が出ない」という風土が強いです。
    ちなみに防大の最大の競技会(優勝したり選手になると威張れる・外泊回数が増える)は、2年時のカッター(救命艇)競技、3年時の断郊競技(完全武装で走る)、そして全学年から選抜する棒倒しで、4年生の指揮官が下級生を訓練・指導します。
    具体的にどのように「威張れる」かといいますと、例えば、2年生が校内で上級生とすれ違った際に敬礼を忘れたとします。一般社会では考えられないでしょうが、防大では「欠礼(けつれい=敬礼を忘れる)するな!」と呼び止められ、その2年生は殴られるかしばかれ(体罰を受け)ます。しかしその4年生が機嫌よくて、その2年生に「カッターは何番漕いだ?」と聞き、その2年生が「8番です」等と答えたら、その2年生は解放されます。仮に「漕いでなかった(選手に選ばれていない)」ならば、しばきは延々と続きます。
    小職の話は昭和の内容で、最近は緩やかになったようですが、体に苦痛を与えることを良いとして取り入れる雰囲気のなかでは、政治思想などは皆無だったと思います。
    ちなみに小職はカッター10番だったけどビリ、断郊8分隊で優勝、4年時の棒倒しは遊撃班(敵の防御をやっつける)で励んでましたが昭和天皇がご入院なさって大会自粛(中止)でした。この経歴は、卒業時の成績や校友会(部活)に匹敵し、何十年たっても言われます。
    軍隊や士官学校は、肉体を使う競技や見せ物は、何でも取り入れる習性があります。
    ジュリアナ東京の「お立ち台で踊る」のは、防大を任官拒否した折口氏が始めて有名になりましたが、元々、防大の隠し芸大会で若い男が何人も高い所で裸踊り(当時はアンルイスの六本木心中や荻野目洋子のダンシングヒーロー等をかけて)するイベントを、民間(日商岩井)に行った折口氏がヤケクソで始めたのが実情です。
    • 3
    • 名無しさん
    • 2007/9/28 14:23:49
    最近は騎馬戦なんかも安全面を配慮してやらない学校も多いですよね。
    盛り上がるんだけどなぁ。
    • 4
    • 名無しさん
    • 2007/9/28 17:34:07
    最近は怪我させると保護者がうるさいから・・・。
    • 5
    • 白夜行
    • 2007/9/28 19:45:23
    小職には子供がいないから分かりませんが、同世代の友人には大体中学生位の子供がいます。
    「麻疹と同じで、子供の時に怪我する・させられる経験しないと、大人になって加減が分からない人間になる」「死にはしない」と親に怒るイキのいい先生は居ないのですか?
    確かにクレームは考えられますが、「怪我くらい・・・」と理解してくれる親もいると思いますが。
    先生って、そんな(子供が得るものあるならば、やらせればいいのに世間体を気にして決める)事で気を使うのですか?
    小職の知人で教師はいますが、女子高なので想像できません。
    • 6
    • 名無しさん
    • 2007/10/2 13:00:58
    >4
    それで子どもの学校は、保護者競技で綱引きをさせるのかも…。
    • 7
    • 白夜行
    • 2007/10/2 15:03:42
    綱引きとか作戦もあまり無いし美しくないから、小職はつまらないです。
    リレーや騎馬戦が好きでした。
    ノートやシャーペンをもらえたし、よかった…でも今の時代はそういうのは「運動が苦手な子供への差別」とか言うのかな?年に1回なんだし、純粋に称え合う素直な感情ならいいのに…。
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