著者インタビュー
新刊書籍の内容や発刊にまつわる面白エピソード、授業に取り入れるポイントなどを、著者に直撃インタビューします。
小話を道徳に活用しませんか
國學院大學人間開発学部教授田沼 茂紀
2019/12/10 掲載

田沼 茂紀たぬま しげき

新潟県生まれ。上越教育大学大学院学校教育研究科修了。國學院大學人間開発学部初等教育学科教授。専攻は道徳教育学,教育カリキュラム論。川崎市公立学校教諭を経て高知大学教育学部助教授,同学部教授,同学部附属教育実践総合センター長。2009年より國學院大學人間開発学部教授。同学部長を経て現職。日本道徳教育学会理事,日本道徳教育方法学会理事,日本道徳教育学会神奈川支部長。

―このたび『子どもの心にジーンと響く道徳小話集』の小学校編と中学校編が、刊行となりました。まずは、どのような内容の書籍か教えていただけますでしょうか。

 この道徳小話集は、授業の主題にまつわる教師の子どもたちに対する思いや願いを託した話材、つまり「挿話」を紹介しています。その小話の素材となっているのは教師や第三者の体験談、新聞記事やTVで取り上げられていた話題、掲示されていた1枚のポスターのキャッチコピー、音楽、ことわざ、話題の書籍に所収されていた心打つ言葉やエピソード等々、身近なところに数限りなく見つけられるような内容です。そんなインパクトある素材を上手に活用することで主題のねらいと関連づけて子どもの道徳学びを促す手立てや、効果的な提示方法等を満載した実践活用書です。

―道徳は、教科化されて教科書ができました。そのような中で、小話をどう授業に活用すればよいのでしょうか。

 道徳小話の活用法については、特にこれといったルールはありません。例えば、授業導入でその時間で取り上げる主題へと子どもの興味・関心を向けさせたり、授業展開部分で子どもの多面的・多角的な思考を促すために揺さぶりかけとして用いたり、さらには実践意欲喚起を意図して教師の思いをエピソードに託して語ったりと、実に多様な活用場面・活用方法があります。いわば、道徳科授業を鮮やかに印象深く彩り、子どもたちを深い学びへと誘い、自己省察を促す役割を期待するのが本書で意図している小話活用なのです。

―子どもに響く小話とは、どのようなものだとお考えですか。先生の中で、印象的なお話などがあれば教えてください。

 小学校編低学年D−(19)「生命の尊さ」の授業終末での挿話として、佐藤幸司先生(山形県村山市立袖崎小学校)が紹介されていた「家族の幸せとは」と題する一休禅師のエピソードです。何かめでたい言葉をと所望された禅師は、「親が死に、子が死に、孫が死ぬ」と書きます。命には順番があります。親が亡くなり、次に子が亡くなり、孫が亡くなる。親より先に子や孫が死ぬことが、家族にとって一番の悲しみであり、不幸なことなのです。こんな言葉を、むしろ多感な時代にさしかかりつつある小学校高学年児童や中学生に語りかけると、きっと子どもたちの琴線に触れることと思います。

―小話を授業に取り入れる際の注意点や工夫は、どのように考えればよいでしょうか。

 道徳小話と聞くと、補助教材というイメージをもたれるかもしれません。ですが、柔軟で多様な視点から道徳的諸価値を俯瞰させようとするなら、このような小話集が極めて有効な手立てであることはご理解いただけると思います。さらに、道徳学びを進める子どもの立場に立つなら、教科書が常にその時間の主教材と限りません。時には副教材として提示した道徳小話が子どもの琴線に触れ、そこから道徳的価値についての再吟味・検討のための学び合いが展開される場合も当然予測されることです。裏返せば、主教材とか副教材といった線引きは教師の捉え方であって、学ぶ子どもの側では区別すること自体意味がないということです。大切なのは、道徳小話を子どもの道徳的追体験としてどこで活かすのか、どのタイミングでどう取り上げるのか、その工夫次第で教育的効果が計り知れないものになるということです。

―最後に、本書を手に取った読者にメッセージをお願いします。

 道徳小話が子どもたちの心の中でしっかりと楔になって作用し、心揺さぶり、道徳的価値に対する強い覚醒と自覚化を促すのであれば、それはそれで素晴らしいことであると考えています。そんな教科書教材超えのインパクトも期待できるでしょうし、子どもたちの道徳学びを多様にすると信じています。そして何よりも大切に願っているのは、日々の道徳科授業に活力を与え、子どもたちに柔軟で多様な深まりある道徳的思考を実現させようと願ってやまない教師の思いを伝える情熱ツールになってほしいということです。

(構成:茅野)
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