著者インタビュー
新刊書籍の内容や発刊にまつわる面白エピソード、授業に取り入れるポイントなどを、著者に直撃インタビューします。
特別支援教育の幸福のために
福岡市発達教育センター指導主事森 孝一
2005/2/10 掲載
 今回は、「特別支援教育」について「子どもの問題性だけを取り上げて対応するミクロ的視点だけでは不十分で、周りの人、物、システムの変革をした総合的支援が必要」と主張する森孝一先生に、新刊『図解 特別支援教育を進めるための学校変革マネジメント』について伺いました。

森 孝一もり こういち

 日本福祉大学社会福祉学部卒業ののち、北九州市および福岡市の小学校、養護学校に勤務後、福岡県教育センター研究主事を経て、現在、福岡市発達教育センター指導主事。
ウエブログ名 特別支援アシスト倶楽部『ニーズの森』
主な著書 『LD・ADHD特別支援マニュアル』(2001年)/『ADHDサポートガイド』(2002年)/『LD・ADHD・高機能自閉症 就学&学習支援』(2003年)

―具体的なイメージのつかみにくい特別支援教育への取り組みが、キーワードごとに図示されており大変分かりやすい内容だと思いました。「まえがき」等でも触れられていますが、本書発刊までの経緯を簡単にご紹介ください。

 これまでに、『LD・ADHD特別支援マニュアル』『ADHDサポートガイド』『LD・ADHD・高機能自閉症 就学&学習支援』を出版した。これらの本は、比較的すぐに活用できるハウツー的な内容が中心だ。ハウツー的な本は、答えを出しやすい反面、読者の想像力や工夫といった作業を比較的最小限に抑える傾向が強い。そのために、機械的に当てはめて実践してもすぐに行き詰まってしまう。学校や学級及び児童生徒の実態が異なるために応用と効果に限界が生じてしまいやすい。
 一方、平成16年1月に出された文部科学省のガイドライン(試案)は地域や学校における支援体制整備について触れ、学校変革の指針を示した。しかし、示された指針は、学校関係者にとって遙か遠くにある「理想」のように感じていることが多い。つまり、ガイドラインは「実現したい夢」のようなものであり、ハウツー的な本は「ピンポイントの答え」のようになってしまう。
 したがって、特別支援教育を推進するためには「遠すぎず、近すぎず」の具体的指針が必要と考え、北九州市立養護教育センターの山田氏とともに協議し、この本を執筆するに至った。
 山田氏は、経験豊富なだけでなく、実践から理論を構築するセンスに溢れている。特別支援教育コーディネータ研修の講師として招聘し、そのセンスは確認済みである。通級による指導のノウハウを私たちの実践から学びながら、独自の工夫によって新しい実践を展開しておられた。もし本書がお役に立てるとすれば、山田先生の力量に負うものが大きい。
 本の項立ては私が行い、山田先生より意見をいただき修正を加えた。北九州市と福岡市は新幹線で20分。勤務が終わって小倉駅に向かい、喫茶店で重要な案件についてのみ打合せをした。基本的な理念について共通理解は図られているので、スムースな執筆活動だった。2人とも異なる地域で障害児を対象とした教育センターで忙しい日々を送っているので、執筆活動は深夜に及んだが、明治図書の三橋様や鈴木様の温かい支えがあり、比較的早く刊行することができた。
 図解については、以前から独自で学習を続けていたが、宮城大学の久恒教授の理論から多くを学んだ。引用・参考に関しては教授に直接連絡をとり許可をいただいた。久恒教授の図解理論には遠く及ばないが、本を通して読者に図解の素晴らしさを知ってほしいと願っている。
 また、福岡教育大学の木舩教授は私たちの実践をいつも見守っていただいている。心から感謝したい。

―特別支援教育については現場の先生方から不安がる声も聞かれます。森先生は、特別支援教育の現状をどうとらえていらっしゃいますか?

 これまでの特殊教育は、「特殊学級や通級指導教室、盲・聾・養護学校で行われている教育」というように、「教育の場」で規定されていた。おそらく、特殊学級を設置されていない小・中学校や、設置されていても特殊学級担任ではない「通常の学級」の教師の多く(管理職を含めて)は、日々の教育活動に追われ、直接的な課題として受け止めることが少なかった。特別支援教育への転換は、その意識を変えることを前提とする。
 しかし、現実には学校教育の課題は山積している。その課題の一つとして特別支援教育がある。学校は教育改革の中にあって右往左往しながら多忙な日々を送っている。その中で気になるのが、「もの、かね、ひと」の条件である。学校現場の先生方がその現実を知り、負担感を味わっていないか心配だ。実際に、多くの校長先生からそのような意見や感想を耳にする。管理職ではない教職員の意識も同一である。概要は知っていても、具体的な内容や展開についてはイメージが乏しく、多忙感だけが印象づけられているようだ。本書でも述べたが、財政難の中での変革は痛みを伴う。その痛みは決して「耐えられない痛み」ではないと思う。耐えられないと感じてしまうと特別支援教育は従来の特殊教育より質的なレベル低下を招きかねない。小・中学校において積み重ねてきた「個に応じた指導」をさらに充実させ、弾力的な組織に変革していくことによって、限りなく特別支援教育に近づいていく。
 今後、特別支援教育の推進に当たっては、従来の特殊教育のカテゴリーの中で捉えたままでの変革はあり得ない。行政、学校の組織が従来のトップダウン的な仕事に限定して特別支援教育を展開しようとすると、おそらく教育の光は失われてしまうだろう。特別支援教育の意図から外れ、旧態依然の組織で展開されるとすぐに行き詰まってしまう。モデル事業を展開している地域でも、指定の期間が終わるとともに予算が減じ、特別支援教育の推進のスピードがスローダウンして、他の地域と大差のない状況に陥ることも考えられる。この現象を防ぐために、教育委員会をはじめ、関連部局は特別支援教育の展開をより一層充実させていく基本姿勢を維持させることが必要だ。財政難の中で、関係者は想像以上の努力が求められるだろう。不安を感じるのは、予算減の中で、これまで手厚く教育を受けていた他の障害のある児童生徒への教育サービスの質の低下が懸念されることだ。
 盲・聾・養護学校は、特別支援学校(仮称)として新たなスタートを切ることになる。自校の教育活動を充実させながら、地域のセンター的役割を果たしていかなければならない。これは特別支援教育を推進する上で重要なポイントである。これまで対象としてこなかった軽度発達障害のある児童生徒を正しく理解し、支援の在り方について研修を深めることが必要だ。この変革に本気で取り組まなければ、盲・聾・養護学校の存在意義が問われかねない。
 本書で引用したピーター・F・ドラッカー氏は述べる。「変化への抵抗の底にあるものは無知である。変化を機会としてとらえたとき、不安は消える」と。この言葉に特別支援教育の未来がある。

―世界的な哲学者ピーター・F・ドラッカー氏の言葉もでてきますが、今回、特別支援教育をマネジメントという切り口でまとめられたことには、どのような意図があるのでしょうか?

 分野を問わずマネジメントは流行語のように使われている。
 経営責任者はマネジメント理論に基づいて効率的な経営を行い、変革を推進する。しかし、組織に所属する一人一人がマネジメント理論をどのように自分の仕事に生かすかという点は弱いのではないかと感じている。学校組織も同様である。トップダウンによる変革である特別支援教育を充実させるためにはマネジメント理論を多くの教師に知ってもらい、ボトムアップの変革に質的変換を行うことが不可欠と考えた。
 福岡教育大学の木舩憲幸教授は本書の推薦文の中でこのように述べておられる。
 以下、引用する。
 「マネジメントとは人間に属するものではなく、『仕組みや役割そのもの』である」というドラッカー氏の考え方を紹介しています。この考えの中に、大きな理念的変革期にある特別支援教育の具体化の鍵があると私は考えました。特別支援教育という理念の実現には、第一に、『特別支援教育に関する仕組み・役割としての学校・教育制度の改変』が必要とされます。第二に、『特別支援教育に取り組む個々の教員の専門性の向上と日々の努力』が必要とされます。この2つの条件は、不可欠であると同時に不可分であると私は考えています。個々の教員がどんなに努力しても、仕組み・役割としての取り組みでなければ、成果には限界があるでしょう。仕組み・役割がどんなにすばらしくても、その構成員である教員の豊かな人間性と高い専門性と日々の努力がなければ、成果には限界があるでしょう。では、この2つの条件だけで十分でしょうか。個人と組織を統合させた高次の概念が必要だと思われます。マネジメントとは、まさにその様な概念であり、これからの特別支援教育を展開していく上での、「鍵概念」であると考えます。

 この木舩憲幸教授の言葉の中に、マネジメントの重要性が示されている。
 これまで、学校教育におけるマネジメントは、主に管理職による学校経営マネジメントが中心であった。このマネジメントをより広い概念に捉えなおし、教育実践に結びつけることが必要だ。教育実践は一人一人の教師に委ねられている。その教育実践を学校教育全体の質的向上につなげるために、すべての教師がマネジメント理論を真剣に学び活用することが求められる。
 これから展開される特別支援教育が、障害の有無にかかわらず気になる子どもたちやその保護者にとって、真に幸福を実現する教育活動とするためには、理論と実践を有効につなげる「高次の概念」が不可欠である。それがマネジメントと考えている。

―森先生は、特別支援教育について今後どのようになっていって欲しいと思っていますか?

 財政難の中で、この特別支援教育がどのように展開されるか不安の方が強い。お金をかけないばかりか、お金を減らしつつ変革を実行しようとすると、必ず「しわ寄せ」が生じる。インクルージョンやノーマライゼーションの考え方は世界的潮流であり、避けられない現実であるが、問題はその中身である。
 特別支援教育は、これまで見過ごされていたLD(学習障害)、AD/HD(注意欠陥多動性障害)、高機能自閉症のある子どもたちに「適切な教育」という光をもたらすことになる。その意義は大きい。しかし、知的障害など他の障害のある子どもたちへの配慮はいささか不十分のような気がする。例えば、通常の学級で知的障害のある子どもたちが教育を受けているとする。本当に適切な教育活動が可能であるかどうかをしっかり評価してほしい。知的障害のある子どもたちの実態に応じた教育活動が通常の学級における一斉授業の中でどう展開されるのだろうか。「共に学び、共に生活する」ことは素晴らしい。障害のない児童生徒にとって、思いやりや優しさを学び、障害児者への偏見や差別をなくしていくことになるだろう。しかし、障害児者にとって、その教育の場で生き生きと自分らしさを発揮でき、楽しく活動できているだろうか。まず、このことを基準にして特別支援教育を推進することが求められる。もし、これをクリアーできる条件があれば、積極的に学校におけるノーマライゼーションを推進するべきである。
 (ガイドラインで示された特別支援教育に関する教育支援体制は上記のようなデメリットについて配慮していることは十分承知している。)
 LD(学習障害)の子どもたちの場合を考えてみよう。知的障害はないにもかかわらず、多くの子どもたちが低学力の状態を示し、自信や意欲を低下させている。知的障害がなくても、適切な教育活動を展開することが困難なのである。不登校やいじめといった課題も解決できていない。通常の学級は基本的に1人の教師が40人の子どもたちを指導している。学習形態の多様化を工夫しているが限界がある。教師の指導力にも個人差があり、ストレスも多く、疲れきっている人も少なくない。特殊学級は人数が少なくても障害の程度や種類が様々な子どもたちに対応するために、非常に苦労している。先送りされた特別支援教室構想も曖昧な部分が多い。すべての障害のある子どもたちが通常の学級に籍を置くことに異論はない。しかし、抽出によるパートタイムの指導は「待合教室」のようになり、息抜きをするためだけの教室になりかねない。かなりの専門性を有する教師が担当し、システマティックな指導システムを確立しなければ、効果を上げることは難しいと思う。フルタイムで指導をしても構わないというが、フルタイムとパートタイムの指導を組み合わせるためにはかなりの力量と高次元の教室経営ビジョンが必要と思われる。また、確実な人的配置も必要で、そのことを前提に推進しなければならない。本当に人件費を保証できるのか疑問である。
 変革は量的変化より、質的変化が重要である。その基準は、教育活動の中でいかに幸福の瞬間を味わわせるかである。
 特別支援教育に期待することとして、障害の有無にかかわらず、気になる子どもの適切な支援につながることがある。また、小・中学校を側面から支援する社会資源には地域差が生じるだろう。まず、その地域差の解消を図る必要がある。また、サービスの受け手が必要に応じて特殊学級や通級指導教室のようなオプションを選択できるサービスシステムはお金がかかっても残しておくべきである。

―最後にメルマガ読者に向けて、本書の活用方法についてご紹介ください。

 特別支援教育を正しく理解するために、参考文献として研修会等で活用してほしい。特に、通常の学級の先生方にお読みいただきたいと願っている。学校の協働体制を構築するためにどのような理念で具体的にどう進めてよいかというヒントが示されている。また、特別支援教育コーディネーターの養成研修でも活用できると思われる。
 学校関係者だけでなく、他の関係機関や団体の方にも、学校の取り組みについてこの本を通して知ってほしい。巡回相談に携わる専門家は、学校の実態を把握して、適切な助言を行ってほしい。本書を活用することによって、効果的な巡回相談に貢献すると思われる。
 本書は、図解を基本とした。図解は、鳥瞰的思考と伝達方法を可能にする。他者に何かを伝えようとするとき、専門的な言葉を使用し音声言語だけで伝えても、相手は何も変わらないことが多い。したがって、図解的に相手にメッセージを送る努力が必要だ。その意味でも、本書で示された図解の多くは、その手掛かりを与えてくれると考える。
 また、本書の最後に個別の教育支援計画に関する様式を提示した。個に応じた指導を展開するときにお役立てればと思った。この様式をもとにして使用しやすい内容に工夫して構わない。できれば、明治図書から出版されている『LD・ADHD特別支援マニュアル』を参考にして、イメージしながら指導に生かしていただくことが望ましい。
 本書は、個人レベルであるが福岡市と北九州市の共同プロジェクトだ。両市における多くの先輩や仲間たちの実践とその支えがあって完成したことを付け加えたい。この本のメッセージが全国に届き、子どもたちの幸福に少しでも貢献することを願っている。

(構成:木山)

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