<日本学級経営学会発>学級経営ガイドブック
日本学級経営学会のメンバーによる、読み切り学級経営ガイド。明日の学級づくりに役立つ実践的な内容が満載です。
学級経営ガイドブック(4)
むずかしい学級のむずかしさ、そのわけと対処
北海道公立小学校山田 洋一
2019/9/25 掲載

1 はじめに

 現在、学校という場において子供を育てることのむずかしさを否定する現場教師は、まずいないでしょう。教師の多忙や日本独特の同僚性も相まって、学校は「むずかしい職場」になってしまいました。様々な支援を必要とする子供たち、その背後には様々な価値観で子育てをしている保護者がいます。そんな中で、今日も汗と涙を流して働いているのが、現場の担任やそれをサポートする教師たちです。教員の年齢構成はご存じの通り理想とはほど遠く、学級担任は経験が少なく、若い場合も少なくありません。そんな経験の浅い教師が、むずかしい学級を任せられることになります。はじめから、かなり苦労することが予想できます。
 いえ、若いから苦労するというわけではありません。そもそも、1990年代後半から始まった「学級崩壊」という現象は、ベテランの、しかもそれまで有能だと評価されてきた教師たちの学級でも起きることが特徴でした。また、いわゆる「強い指導」をする教師が担任しても、やはり学級が機能しない状態は変わらないといいます。
 そうであるならば、やはり「むずかしい学級」のむずかしさをとらえ直すこと、今の時代に合った対処法をとることが必要だと言えるでしょう。

2 「むずかしさ」は、学習されたもの

 ある「むずかしい学級」での出来事です。体育の授業で準備体操が終わった後、教師は子供たちを再度整列させて、キックベースボールをするにあたって、そのルール、学級を2チームに分けること、その分け方、またチーム分けした後の整列位置までを説明しました。20秒を超えたあたりから、列の後方の子供たちはざわつき始めました。声が聞こえない上に、説明が長くて、なにを指示されているのかが分からなかったのです。説明が終わったのを見計らって、後方にいた女子が声を上げました。
 「先生、なにすればいいの?」
 「なに言ってるんだ? 今頃!」と教師。
 「だってなに言ってるか分からないんだもん!」と女子。
 「お前が、ちゃんと聞いていないからだろう!」と声を荒げる教師。
 子供は、地面に目を落として、暴言を吐きました。しかし、この子を責めることができるでしょうか。この子も、はじめは聞こうとしていました。ところが、説明が長く、その上まどろっこしくて、なにを言っているか分からない。そこで、率直に質問したわけです。しかし、教師はそれを聞き届けてはくれませんでした。子供は、ひどい暴言を吐くしか手がなかったのです。こんな理不尽な状況が、子供たちに積み重ねられていけば、子供はもちろん真っ直ぐには育ちにくいでしょう。
 まず、教師の話を聞かなくなります。聞いていても分からないのですから聞く意味がありません。さらに、教師の話が分からなくても、黙っているのが当たり前になります。問い返したり、聞き返したりすれば怒鳴られるのですから、これも当然のことです。そして、ついには教師の指導には、すべて暴言で返すようになるでしょう。
 このようにして、荒んだ子供、荒れた学級はできあがります。個人が荒む理由は、もちろん家庭環境や生育歴によることもあるでしょう。しかし、学級の「荒れ」は明らかに学級における負の学習効果によって起きています。つまり、学級の「荒れ」は後天的に獲得されたものなのです。子供たちが、はじめから悪かったわけではないはずです。どこかで、教師が間違った対応をしてしまい、それが積み重なった結果なのです。
 そうした学級を担任することになったら、最も頭に浮かびやすい想念を打ち払うことから始めましょう。それは、「この子たちは良くならない」という考えです。たしかに、そうした学級の子供たちの成長は小さくて、実に頼りなく思えるかもしれません。その上、昨日良くなったと思えた点が、今日にはできなくなるというような逆行もしばしば見られるのが、「むずかしい学級」の特徴です。しかし、私たちは、「学習で獲得されてしまったことであるならば、必ず学習によって改善される」ということを信じるべきです。子供たちははじめから悪かったわけではないのですから、負の学習効果の原因を取り除きさえすれば、本来の自分を取り戻せるはずです。

3 対処法の一つは「翻訳機」を心に持つこと

 ある「むずかしい学級」の書写の時間にピンチヒッターで指導に入ったことがありました。
 「むずかしい学級」の書写指導は、はじめから困難が予想されました。そこで、やることを明確にし、しかも子供たちの多くが「納得できる字」を書けるようにと、手立てを用意して教室に向かったのです。
 手本の字を16分割した「手本」を子供たちに渡し、書く前の半紙をはじめは16分割、その次は8分割……としていきます。段々と線のない状態の半紙に書いていくようにステップを刻みました。
 さらに、一画一画、書き出しと書き終わりの位置を確認してから書かせました。一画書くたびに、子供たちの吐息が漏れました。教室全体がぴんと張りつめた感じがしています。子供たち一人ひとりが、「なんとか良い字を書きたい」と筆を進めているのが手にとるように分かりました。
 ところが、2枚目を書かせている途中、後ろの方の席から、私に不意に言葉が投げかけられました。
 「こんな一画ずつ書いていたら、うまく書けないよ! いつもみたいに、速く書かせてよ!」
 言ったその子の手元を見ると、書きかけの作品がありました。途中まで書いた文字の上にぐちゃぐちゃの線が書かれているのが見えました。書いている途中でうまくいかず、私に向かって、先の言葉を投げつけたようでした。
 教室の空気が凍りついた気がしました。そして誰も顔を上げず、自分の字に集中して書いているふりをしているようでした。
 しかし、全身を耳にして、教師が何と応えるのかじっと待っているような気配です。また、「さあて、先生は何と言うかな」と、若干試しているような意地悪な空気も感じました。
 若い頃の私なら、「もう一回言ってみろ」と静かに凄んだかもしれません。子供に負けてはならないと考えたでしょう。いやなによりも、「周囲の子供たちへの示しがつかない」と考えたに違いありません。
 ここで「負けて」しまっては、他の子供まで私の言うことを聞かなくなってしまう。教師の威厳を保たなければ。そう考えたに違いありません。
 教師は、常に絶対的な存在として、子供の前に立たなければならない。若い頃の私は、いえ、今でもそうした思いは繰り返し首をもたげてきます。
 しかし、私はこのとき、そんな思いがわき起こってくるのを感じながら、もう一方で「この子はどうしたいのか」と考えていました。
 すると、「うまく書きたかった。でも、うまく書けなかった。だから、もっとうまく書きたい」という、その子の思いが浮かび上がってきました。私は、瞬時に「その思いは、良いことか悪いことか」と頭で判断しました。もちろん、「うまく書きたい!」と願うことは、良いことです。
 そして、私の口から出てきた言葉は、「そうかぁ、もっとうまく書きたかったんだな」というものでした。
 それも、実に穏やかに言えたのです。その子は、私の言葉には応えず、筆を持ち直して続きを書き始めました。
 ぴんと張った周囲の空気は、一瞬で緩んだように思えました。
 数分後、彼は、私の前ににこにこしながら立っていました。両手には一枚ずつ作品が持たれていたのです。
 「先生、どっちがいいですかねぇ。こっちがやっぱりいいですかねぇ」と悪びれず、私に尋ねてくるのです。
 「ええと、さっきの言い方を謝ってからだな」と言うと、その子はにやりと笑いました。
 「むずかしい学級」の「むずかしい子」の言動は、そのまま受け取れば教師としての私たちを苛立たせるものが多いです。
 しかし、その言動を解釈、意訳することで教師は必要以上に子供と闘わなくて済むことも多くあります。そのためには、「言葉」そのものにはいったん目をつぶり、言動の底にある「思い」を汲むという翻訳機を持つことです。
 むずかしい学級の子供たちがもつ負の学習効果とは、端的に言えば「この先生は、まったく私の思いを分かってくれない」という教師への不信感なのです。そうした負の学習効果を和らげたり、払拭したりするには、この翻訳機を心に持って指導にあたることが効果的であるはずです。

山田 洋一やまだ よういち

1969年北海道札幌市生まれ。北海道教育大学旭川校卒業。北海道教育大学教職大学院修了(教職修士)。2年間私立幼稚園に勤務した後、公立小学校の教員になる。自ら教育研修サークル北の教育文化フェスティバルを主宰し、柔軟な発想と多彩な企画力による活発な活動が注目を集めている。主な著書・共著書に、『子どもの笑顔を取り戻す!「むずかしい学級」リカバリーガイド』『小学校初任者研修プログラム 教師力を育てるトレーニング講座30』『教師力トレーニング・若手編 毎日の仕事を劇的に変える31の力』(以上明治図書)などがある。

(構成:及川)

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