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巻頭論文
算数授業へのこだわり
教師の技量には,歴然とした差がある
正しい方向で「教師修業」をした人だけがすぐれた技量を身につけられる
向山洋一
教師の指導技量には,明確な差がある。
すぐれた技量の教師が担任になれば,「できない子ができるようになる」し,「学級の平均点が急上昇する」。
劣弱な技量の教師が担任になれば,「できない子は,できないまま」だし,「普通の子ができない子になってしまう」のだ。
日本中,どこの学校でも見られる現象である。
教師の技量の差は,学歴に関係はない。
そして,経験年数にも,まったく関係ない。
ベテラン教師になれば,教師の技量が向上するということはない。
その証拠に,「授業が著しく混乱し,どの学校へ行っても使いものにならない」と判定される「不適格教員のほとんどは,ベテラン教師である」。
教師の技量の差は,「読書量にも,あまり関係がない」。「あまり」というのは,少しは関係するからだ。しかし,「読書量の多い教師が授業が下手」という人は,いっぱいいる。「読んでいる本は何か」が問題なのだ。役に立たない本,実証性の薄い本をいくら読んでも技量は上がらない。
教師の技量の差は,「教師としての勉強」とかなり関係する。
「かなり」というのは,見当違いの勉強もいっぱいあるからだ。
例えば,管理職になるための勉強会があるが,これは「教師の指導技量向上」には,ほとんど関係ない。そこでは,「法秩序」「管理」「運営」方法を学ぶのである。
従って,「校長であるから,授業の指導技量が分かる」ということはない。すぐれた校長がたくさんいるのは事実だが,それ以上に「デタラメ指導」で,学校を混乱させている校長もいっぱいいる。
とりわけ,「指導行政の中で,エリートだった校長」に,その傾向は強い。「子ども」や「授業」を見る目が,劣弱な傾向がある。
有名小学校の校長で,教職員からソッポを向かれる校長は,このタイプである。
各地の研究会で,熱心に勉強する教師の中には,指導技量が高い人もいるが,ダメな人もいっぱいいる。それは,その人の学び方に差があるからだ。「論より証拠」で判断できる。「論」が達者な人は,指導技量が低い。この手
の教師は,やたら建前にこだわる。「考える力をどうつけるのか」「子どもを混乱させた方がいい」というような,「論」が次々と出てくる。
しかし,「子どもの事実」が出てこない。「考える力をつける授業を見せてください」「考える力をつけたかどうかどう判断するのですか」「できない子が,どのようになったのですか」「クラスの平均点では,どう変わったのですか」という「子どもの事実」を尋ねると,口を閉ざしてしまう。「子どもの事実」を何も作り出せていないのだ。
さらに,口が達者なわりには,「研究授業」を嫌がる。自分の教室の事実を見られるのが,嫌なのだ。
口だけ達者な研究熱心教師の技量は低い。
教師の技量の高い教師に共通するのは,学歴でもなく,読書歴でもなく,研究歴でもない。
教師の技量が高くなる方法は,たった1つしかない。それは,教師になってから自分の技量を向上させようとしてきた「修業」だけなのである。「クラスのできない子をできるようにさせようとしてきた教師自身の修業」(それは「クラスの平均点を向上させようとしてきた教師自身の修業」と同じである)のみが,教師の技量向上を保障してくれる。
評価の基準は,自分が教える子どもたちである。それのみが,基準だ。
第一は,クラスで5点,10点を取っていた子が,著しく向上した事実があるか。
第二は,「先生,算数は嫌いだ」「勉強は嫌だ」と言っていた子が,「算数が好きになったよ」と次々に言ってくれた事実があるか。そして,保護者から感謝の便りをもらったか。
第三は,クラスの平均点が70点を突破したという事実が生まれたか。
以上のことを,毎日毎日の普通の授業で達成することなのである。
教師の中には,テスト問題だけを集中指導して,高い点数を取らせる品性下劣な教師がいる。そんなことでは,技量は向上しない。
何よりも,品性下劣な方法をやっていることを,自分自身が知っている。だから,そこには,教師自身の心の底からの感動が生まれない。
教師自身が「ズシーン」と感じる腹の底まで響く感動と手ごたえ……」これも評価の基準と言える。
教師の指導技量には,明確な差がある。
その差は,教師になって以来,教師が正しい方向での修業をしてきたかどうかという差である。
評価の基準は,「目の前の子ども」である。そして,自分自身の実感である。
「5点10点を取った子が,見違えるように向上したかどうか」「教師自身が,腹の底までズシーンとくる感動を味わったかどうか」で判断できるのである。
算数の問題解決学習を捨てて,たくさんの教師が向山型算数に入ってくる。
その数は,すでに数千名を超え,影響を受けた教師は数万名に達する。
『あかねこスキル』で学ぶ子は,数百万人に達している。
「問題解決学習では,子どもを救えない。それのみかダメにしてしまう」これが,算数の問題解決学習をしてきた数千人,数万人の教師の声である。「子どもの事実」に目を向けている誠実な教師は,算数の問題解決学習から別れることを選んだのである。
しかし,日本には「算数は問題解決学習しかない」と思い込んでいる善意の教師も多い。
疑問に思いつつ,それをやっているのだ。
このような現状を放置しておくのは,私たちの責任だ。私たちの勇気や力量が,まだまだ低いためだ。
事実は,いつかは必ず勝つ。
しかし,その間,子どもたちが苦しめられている現状を思えば,その速度を早めてやる責任が,日本の教師にはある。
善意で問題解決学習をしている教師に,もっともっと呼びかけよう。おだやかにあたたかに関わろう。
しかし,「向山型算数の存在を知りながら,それを学問的,研究的に論争しようというのではなく,権力づくで抑圧しようとする教師」は,別である。権力的弾圧への対応は「闘い」しかない。したたかに闘うのである。
一部附属小教官,一部算数指導主事,一部研究主任,彼らは,日本の教育に害をなす存在だ。断固として闘うべき相手である。
教科書を使って,立派な授業をしている教師を校長室に呼び出し,「教科書を使うな」と指導する校長,指導主事を許すことはできない。彼等こそ,法律に違反しているのだ。
筑波大附属小学校は,全国の現場の研究の雄として,意見の異なる人々も招いて研究する伝統があった。私も,体育の林先生に招かれたことがある。
ところが,最近「筑波大附属小の研究会から,向山型算数の本を置くな」と出版社が言われたという。
長い筑波大附属小の伝統を裏切るものであり,本当の研究から筑波大附属小が離れてしまった証明である。
今から数年も昔,文部省の寺脇氏とラジオで対談のとき,寺脇氏は「筑波大附属のような現場に役に立たない学校をつぶした方がいい」と強調していたことがあった。
私は,しかし,頑張っている面もありますと「筑波大附属」をかばったのだが,寺脇氏の言っていたことの方が正しかったのだ。
私も,また「筑波大附属小は存在価値がなくなっている。異なる実践を力づくでしめ出すような研究は,1世紀も昔の体質だ」と主張していこうと思う。
サヨウナラ,筑波大附属小である。
いや,筑波大附属小〈算数科〉サヨウナラとするのが正しいのだろう。
他の教科の先生方には,「なるほど」と思える立派な主張をされる先生方も見られるからだ。
「算数の問題解決学習なんて,ひどいところばかりです」と意見を言っている筑波大附属小の先生方も結構いるからだ。さらに言えば,「問題解決学習」がすべて悪いわけではなく「算数の問題解決学習」のみが悪いのである。
「算数の問題解決学習」は,日本中に「算数嫌い」を大量発生させた。
「勉強のできない子」に,とことん冷たい指導法だった。特別支援を必要とされる子どもたちには,「地獄の指導法」だった。算数の問題解決学習こそ,「算数の学力低下」をもたらした根本原因であった。
日本教育技術学会の「中学入学時,全国学力調査」によっても明らかである。
このようなひどい指導法,「算数の問題解決学習」を消滅させることは,私の決意である。
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- 明治図書