- 特集 「説明しない・教えない」授業こうしてつくる
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- ミニ特集 「学級崩壊」への向山型算数からのアドバイス
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- 第17回向山型算数研究会セミナーIN愛知 2002.4.14
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- 巻頭論文 算数授業へのこだわり
- 向山型算数は数十のパーツを組み合わせたシステムである。だから、向山型と問題解決型の両方をとり入れるという考えは、100%失敗する
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- 向山型算数実力急増講座 (第34回)
- 優れた教材を選び、広めるのは教師の大切な仕事
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- 向山型算数の原理原則と応用 (第34回)
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- 教科書の重要事項を、50分間に3回変化させながら繰り返し学習させるシステム
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巻頭論文
算数授業へのこだわり
向山型算数の数十のパーツを組み合わせたシステムである。だから、向山型と問題解決学習方の両方をとり入れるという考えは、100%失敗する
向山洋一
向山型算数は,効果のはっきり出る極めて優れた指導方法ではあるが,だからといって誰にでもすぐに受け入れられるわけではない。
教師を十年,二十年とやっていれば自分の身についた方法がある。多くの場合は我流のどうしようもない方法だが,その人にとっては,そのやり方で十年,二十年とメシを喰ってきたのである。
「これでいいんだ」と思ったり,「自分のやり方が一番」と思っているのである。
誰だって「自分はすぐれている」と心の底では思っているのである。
そこへ,今まで考えたこともないとんでもない方法が持ち込まれたら,ましてや「教科書通りに教える」という一見「素人の言うこと」を持ち込まれたら,反発するに決まっている。「反対」と思い込めば,理屈は山のように出てくる。貨物列車に満載できるくらい理屈はつみ込めるのだ。
今までの自分を変えることなど,凡人にはできない。
だから,ヴェテランになって「向山型算数」のことを知って,興味,関心を示す人は,それだけで非凡人なのだ。知性的な人であり,向上心のある人であり,柔軟な精神の持ち主なのである。
自分でやってみれば,そういう人なら効果は必ず分るはずである。
但し,やってもらう時に,素直にその通りやってもらうことが大切だ。
例えば,「あかねこ計算スキル」を使うとしよう。
あかねこスキルのすぐれている点は,「本の中」だけにあるのではない。「本の中」にあるのはせいぜい二割程度である。
その良さは,「使い方」の中にある。「使い方」(ユース・ウェア)は,「向山の授業」そのものなのである。
わずか六,七分の使い方だが,そこには,向山の考えた,あるいは整理した知恵が十も二十もつまっているのである。
その使い方は,ライブで学ぶのが一番いい。但し,一度のライブで身につけられるのは,せいぜい50%である。
その場では,「分った」と思うのだが,二度目のライブに出ると,「こんな大切なことを見のがしていた」とショックを受けるのである。
自動車の「縦列駐車」だって,一度に身につけられる人はいないだろう。
何度か練習し,何度も指導教官に指導をうけてできるようになるのである。
教師の技術だって同じこと。運転技術の「一部分」よりむずかしくて当たり前なのである。
それなのに,教師はなぜ,一度見ただけで分ったつもりになるのだろう。
何十万人,何百万人という教師の先達が作ってきた技術の最高峰は「一度見たらできる」というものではないのである。
少なくても,「縦列駐車」を身につけるときの真剣さと熱心さとくり返しは必要である。
真剣に素直に学べば,誰でも身につけていけるのである。
しかし,世の中には,「素直」になれない不幸な人もいるのである。
十人十色というごとく,人はそれぞれに違っている。国民的な人気の長島でさえ,「好き」という人は六割である。「長島は嫌い」という人も世の中にはけっこういる。
サントリーのウィスキーの「ダルマ」が超人気で全国シェアの六割をとっていた頃のことである。
サントリーでは,あの手この手を考えて実施したが,どうにも動かない。六割がピークのままだ。
買わない人は,「品質がいい」「高級である」ということでは,テコでも動かない人である。「ウィスキーならどれでもいい」「安いなら買う」という人々だった。
そこで,サントリーは「おまけ」をつけた。
とたんに,これまで買わなかった人々が買い出した。
ところが,考えてもみなかったことが起こった。
それまで,サントリー「ダルマ」の熱心なファンが,離れていってしまったのだ。
「高級感」のなくなった,「おまけ商売」のウィスキーなど,ほしくないというわけだ。
サントリーは,おまけを中止した。
このように,「考え方」が全くちがう人々が世の中にはいるのである。
TOSSの影響を広げたいと思うが,「全部」など,全く考えていない。
いや,「全部」をめざすと,堕落してしまう。
せいぜい,半分の人をめざせばいいのである。
問題解決学習とは妥協のしようがない。
これは,勉強のできない子をスポイルする極めて悪質な指導法である。
ADHD,LDなどをきちんと学んだ人なら,問題解決学習は,子どもをふみつけにする悪魔の指導法だと思うだろう。
少々程度が悪いというものではない。
悪魔の指導法である。
私は,問題解決学習をすすめる研究者と,障害児を専門とする医師を含めて,ぜひ論争をしたいと思っている。
近く,TOSSはツーウェイ臨刊として,「障害児とグレーゾーンの子どもたちの教育」をテーマとする教育雑誌を明治図書より創刊する。
障害児及びそれに近いグレーゾーンの子どもたちは,日本の児童の一割はいると医学的に推定されている。
問題解決学習は,これらの子どもを更にひどい状況に追いやっている。
証拠・事実は山ほどある。
ある県庁所在地のA小学校は,いわゆる「公立の名門小学校」である。
算数は,問題解決学習一色である。
ここに,三人の子どもを預けている医師がいた。
子どもたちは,口々に「算数は大嫌い」という。「勉強はつまらない」という。
算数の授業は,プリントのみ。一年間たってもノートは一ページしか使わない。教科書も,ほとんど開かない。
そのうち何とかなるだろうと考えていた医師は,「算数が全く分らない」という我が子の訴えに,向山の著書を見よう見まねで,算数の教科書を教え出した。
子ども達は「よく分る」という。「算数は楽しいんだ」というようにもなった。
たちまち,一年分を終了した。
その頃,子どもは,「学校へ行きたくない」と言い出した。
「学校の勉強は,つまらない。分らない。お父さんの教え方はよく分る」と言ったのである。父親は悩み,友人の県会議員や教育長によほど訴えようと思ったが,思いとどまったという。
「こんな最低の指導法があり,最低の教師が
いるんだ」と医師はあきれていた。「教育委員会は何をやっているんだ」とおこっていた。
こうした便りや訴えが,私のもとに山のように届く。
私がパーソナリティーをやっているラジオ番組にも届く。
問題解決学習は,医師の言う通り,最低の指導法なのである。
そんな最低の指導法を推進しているひどい学校がある。
若い教師で悩む人もいる。
研究授業をするとき,「向山型を止めろ。教科書を使うな」と言われるからだ。
そこで,両方をまぜこぜにしてやることになる。
これは失敗する。100%失敗する。
いいところは,全くない。
ロケットを組み立てるときに,荷馬車の部品も使おうというようなものだ。
全部ダメになる。
そもそも,向山型算数は,システムだ。
何十というパーツから組み立てられている。その中の一つでも「問題解決学習の部品」にすれば,動かなくなる。
システムは,最低レベルのパーツに支配されるのである。
そのような時は,研究授業を止めればいい。「それ以外の方法では,私はできません。
どなたかに代わってください」と言えばよい。
T・Tの時でも同じである。自分がT1でやるなら,「向山型しかできません」といえばいいのだ。「教科書を使った方法しかできません」という言い方のほうが,通りやすいだろう。この点をあいまいにすると駄目だ。
「向山型と問題解決学習の両方からとり入れる」という考え方自体が,システムを全く分っていない人間の言うことだ。
システムを分ってないということは,向山型を全く分っていないということなのである。
一年や二年,向山型ができなくても,いいではないか。その方がすっきりとするし,その後もよくなっていくものである。
お知らせ。日本教育界がかつて作った革命的教具「百玉そろばん」児童用を,TOSSとトモエソロバンで共同開発。学校用,従来の半値以下の1個1500円。
申込,問い合わせは東京教育技術研究所へ。
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