スペシャリスト直伝! 高学年担任の指導の極意
「最高学年を最高のクラスにしたい!」そんな思いを実現するために必要な様々な指導の極意を伝授します。
スペシャリスト直伝! 高学年担任の指導の極意(11)
1年生との交流をしよう!
主に6年生向け
北海道旭川市立啓明小学校宇野 弘恵
2019/4/10 掲載
  • 高学年担任の指導の極意
  • 学級経営

 

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 異学年交流の教育効果は様々な場面でいわれています。しかし、学校で決まっているから、とりあえず的な雰囲気で行われてはいないでしょうか。「楽しかった」しか残らないものになってはいないでしょうか。普段同じ教室で学ぶことのない学年と交流することで、子どもの中に何らかの学びがなくてはならないと私は思います。
 特に、年長者へのリスペクトや年少者への思いやりは、子どもたちがこれから生きていくうえでとても大事なものだと思います。楽しかったで終わらせない、何らかの学びが生まれる交流について考えてみましょう。

1年生へのお世話を通して互いに「寛容」を学ぶ

 6年生が入学したての1年生のお世話をすることは、かなり多くの学校で行われているようです。教師だけでは手が足りないという理由で6年生の手を借りるというのはあるでしょう。入学当初の1年生は、不安から泣いてしまう子、場所がわからず戸惑う子もたくさんいます。教師が1人の子に対応している間に他の子が援助を求め、すぐに対応できないことにより、より不安や戸惑いを増長させてしまうこともあります。そんなときに6年生がいてくれれば…。一緒にトイレに行ってくれたり、ロッカーの場所を教えてくれたりと、担任の助けになってくれます。
 6年生のこうした対応が物理的に「助かる」ということだけではなく、1年生の精神的安定にも大きな役割を果たします。困っているときに声をかけてくれた、やさしくしてくれた、教えてくれた…、という経験は不安感や戸惑いを緩和します。学校は困っても誰かが助けてくれる場所だという安心感をもたらします。あるいは、人間っていいな、年長者ってやさしいな、かっこいいなといったポジティブな「人間観」をももたらします。1年生の人格形成のごくごく一部によいかかわりをする可能性があるのです。

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 こうしてみると、1年生と6年生の交流は1年生に多大な益があるように感じますが、6年生の側にも大きな効能があります。「6年生に最高学年としての自覚をもたせることができる」という声が聞こえてきそうですが、そんな教師のエゴイスティックな理由ではありません。1年生が安心感やポジティブな人間観を得る可能性があるのと同じように、6年生にも精神的成長に寄与する恩恵があるのです。
 多くの教師は、1年生を見るとかわいいと思うでしょう。子どもが好き、あるいは子どもの成長を喜べる人間が教職についているのでしょうから、当たり前と言えば当たり前です。しかし、大人の中にも小さい子がかわいいと思わない人、特段興味の湧かない人、自分の子はかわいいけど他人の子には興味なしという人が当然います。それは決してダメなことでも非難されるべきことでもありません。同じように、6年生すべてが1年生をかわいいと思い、嬉々としてお世話をするわけではありません。めんどくさい、かわいくない、どうして6年生だからって…と思う子がいるのが自然です。しかし、学校をよく知っているものが新しく来たものに親切にする、自分が1年生の時に受けた恩を贈る(送る)という経験は、大人になって社会に出た時に必要な経験ではないでしょうか。
 私事で恐縮ですが、当時1年間だった育休を終え職場に戻った時のことです。保育園のお迎えで長く働けない、夜の会議を失礼することも多い、子どもはすぐに熱を出し学校を休むことも多い…。私の仕事を肩代わりしてくれている人がいると思うと、申し訳なくて仕方がありませんでした。いつも頭を下げる私に先輩先生方は
「順番だよ、順番。子どもたちが大きくなって手が離れたら、今度はあなたがサポートしてあげて。恩送り(贈り)だよ。私たちもそうやって支えてもらったんだから」
と言ってくださいました。
 昨今、世の中が不寛容な方向へ向かっているように感じます。自分に無関係のことにも正義感を振りかざし意見する(しかも匿名で)、「権利だから」という一言で厚かましいことも浅ましいことも平気でする(言う)、人の失敗は許さずとことん責める…そんなことがあちこちで起きているように思います。私が教員になったころは、若くて右も左もわからないダメな私を先輩方や保護者の皆さんが育ててくださいました。それが甘えや怠慢、怠惰につながってしまってはいけないのですが、その時の安心感、「私もやって行けるかも」という小さな自信(というより見通し)が、今の私の土台になっていると思っています。
 歳をとった私は今、子育てで大変な先生、介護やご自分の病気で大変な先生の仕事を肩代わりできたらと思って働いています。また、様々な保護者の方の背景に目を向けて接したいと考えて働いています。このベースになっているのは、若い時に先輩や保護者の方々からいただいた「恩」だったと思うのです。
 前置きがかなり長くなってしまいましたが、6年生が1年生のお世話をするということを通して、互いに他者への寛容性を学べるのではないかと思うのです。1年生はできなさを許しやさしくしてくれた経験から学び、6年生はかつて自分もしてもらったであろうことを思い出しながら恩を贈る。そして、目の前の1年生はかつての自分の姿であり、こんなにできない自分を6年生は許してくれていたんだなあということに気がつきます。人間、誰しもが自分を基準に考えてしまう面があります。世の中には色々な人がいること、人それぞれにいろいろな事情があることを学ぶ上でも、6年生が1年生と交流することは大きな意義があると考えます。

「1年生のお世話」は取り掛かりが大事

 「うちの学校は、毎年6年生が1年生の面倒見ることになっています」
 「君たちも1年生の頃に6年生にお世話してもらったから、今度は君たちの番です」
 もちろんそうなんだろうけれど、こんなふうに決めつけられ、押し付けられるように言われて「よしやろう」という気持ちはわいてくるのでしょうか。前述したように、お世話がめんどくさい、1年生がかわいくないと思っている6年生だっています。趣意が説明されなければ、「お世話」という活動はただこなすだけの作業になってしまいます。どんな活動についてもいえますが、何のために、なぜ行うのかが共有されることが最初に行われるべきことです。
 アプローチの仕方は様々です。はじめから前向きな6年生はより張り切って、後ろ向きだった6年生は少しだけ前向きになれるような方法を考えます。一例をご紹介します。
 とっかかりとして、1年生の担任団からお手紙が届くようにしておきます。内容は以下の通り。

@毎年行われているので今年もお願いしたい(押しつけがましくならないように注意)。
A1年生がどんなことに困り不安を抱くかを具体的に紹介。
B担任だけでは手が回らない。放置すると、1年生の不安が増長することを紹介。
C1年生が学校になれるまで、少しだけお力を拝借したいとお願いする。
D特別なことはしなくてもいい。自分が1年生の時に6年生にしてもらったことをしてくれれば十分と伝える。
Eもし、1年が我儘を言ったり甘えて無礼、乱暴な態度をとったりした時は、遠慮せずに教えてほしい。1年生には「お世話になっている目上の人に、そういう態度をとってはいけない」ことを教える。

 Aを読み上げた後に、自分たちの1年生の時のことを想起させます。簡単に交流し、知らないことが多い、不安に思ったことがあるなどを押さえます。これで1年生の大変さに心情を寄せることができることをねらいます。
 続けて読み上げ、Dの後、過去の6年生に何をしてもらったかを想起させます。これも同じように交流し、優しかったことや大好きだったことなど押さえます。これには、自分にも1年生時代があり、6年生の手を借りて来たことを実感させるねらいがあります。
 最後のEを読み上げることで、「年長者がお世話するのが当たり前なのではなく、していただく側が礼節をもって尊敬すべき存在であることを伝えます。1年生の担任には、6年生にそのように接してもらうことをお願いしておきます。
 実際の活動内容については学校それぞれのやり方や伝統があると思うので割愛します。大事なことは、1年生担任が常に6年生に感謝と尊敬の気持ちで接し、常に言語化することです。それを聞いた1年生も自然と6年生に敬意と好意をもつようになります。6年生担任にできるだけ6年生の良さを伝えてもらい、本人に6年担任からもフィードバックするようにします。1年担任がどんなに助かり有難く思っているかを、ときどきお手紙でお知らせするのもよいでしょう。

年間通した交流の布石を打つ

 お世話期間に、6年生が1年生に直接1対1で教える機会を設けます。ほうきの使い方でも雑巾の絞り方でもよいのですが、私は便宜上牛乳パックの開き方を教えてもらうことにしました(資源再利用のため、勤務校では空になった牛乳パックを開いて回収しています)。手が小さく力も弱い1年生が硬い牛乳パックをきれいに開くことはとても難しいことです。そこで、6年生が手取り足取り教え、やがて1年生が1人でもできるようになる、あるいは、開き方を覚えるという図式です。
 マンツーマンになるようにペアを組み、自己紹介をし合います。6年生は、自分の名前を1年生の国語のノートに書きながら自己紹介をします。1年生も同様に、6年生のノートに自分の名前を書きます。実はこれが年間通した交流の布石になるのですが、この後ことあるごとにこのペアで活動を行います。よって、第1回目のこの活動が双方にとって意義あるあたたかい時間となるようにします。1年生にやさしくする6年生の表情を写真に撮ったり、丁寧にかかわる様子をメモしたりして振り返る材をつくっておくことも肝要です。1年生に
 「6年生、やさしいね」
 「6年生が教えてくれたの? よかったね」
などと言語化することで、6年生の言動のすばらしさを双方の記憶に刻むことができます。

年間通した活動を継続していく

 お世話期間が終わったら、1年生にお手紙を書いてもらいます。1年生は、牛乳パック開きの時にペアになった6年生に宛てて書きます。まだ上手に字が書けないでしょうが、大事なのは「思い」を伝えること。書き間違いや文意が伝わらない文章でもよいのです。できれば丁寧に、イラストなども添えてもらえるとよいでしょう。
 このお手紙を、1年生が揃って6年生の教室に届けに来てもらいます。一人一人手渡しし、互いにお礼を言い合い終了。1年生が退室後、「せーの」でみんなでお手紙を読みます。未熟ながらも一生懸命書いたであろうお手紙を見て、6年生は心を和ませます。そのかわいらしさに笑い声が溢れます。笑いながら「ああ、きっと自分にもこんな時代があった」と思い出し、1年生への理解や想いを広げることにつながるでしょう。もちろん、お手紙のお返事を書き、今度は6年生が1年生の教室に行ってお手紙を渡します。
 およそこの期間に、1年生と6年生の距離はかなり近づき、互いに愛着がもてるようになっています(もちろん個人差はあります)。紙幅の関係上、この後の活動については例を上げさせていただくにします。
(例)
・運動会応援メッセージ&お礼メッセージ
・プールのルールとマナー、泳ぎ方教室
・一緒にドッジボール
・アサガオのたねたねちゃんプレゼント
・修学旅行晴れるといいねメッセージ
・学習発表会練習を見合って感想発表
・一緒に鬼ごっこ
・好きな絵本を読み聞かせ合い
・似顔絵描き合って交換会
・一緒にカラオケ大会
・卒業おめでとうの歌プレゼント、ありがとうのメッセージ

 ただ学年同士で交流するだけではなく、ペアをつくって1年間交流し続けることで、心の絆は深まります。よって、通常の交流だけでは得られない思いで式を迎えることになります。号泣する1年生を見て、自分たちがいかに頼りにされ好かれていたかを6年生はあらためて実感するのです。

※こうした交流は、学校のカリキュラムに合わせて行います。カリキュラムの変更などは、必ず教務や管理職などに伝え、了解を得ます。

今月のまとめ

  • 6年生を「その気」にさせよ。
  • ペアをつくって、関係性を密にせよ。
  • 楽しい活動を継続して計画せよ。

宇野 弘恵うの ひろえ

1969年、北海道生まれ。旭川市内小学校教諭。2002年より教育研修サークル・北の教育文化フェスティバル会員となり、思想信条にとらわれず、今日的課題や現場に必要なこと、教師人生を豊かにすることを学んできた。現在、理事を務める。

(構成:茅野)
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