考え、議論する道徳授業を創る!問いでわかる道徳授業づくり・実践講座
考え、議論する道徳授業にお悩みの先生必見!授業づくりの要である問い(発問)をもとに、授業展開のポイント・指導のコツをアドバイスします。
道徳授業づくり実践講座(8)
体験的な学習を取り入れた道徳の授業
「銀のしょく台」を用いた道徳の実践
立命館大学大学院教授荒木 寿友
2019/1/25 掲載

 新しい年を迎えしばらく経ちました。研究指定校などは年度まとめの公開研究会が目白押しですし、授業担当になっている先生は指導案づくりに余念がないかと思います。他校の先生がどんな授業をしているのか知るといい刺激になりますので、ぜひこの機会にいろいろな場に参加してみるのもいいかと思います。

体験的な学びを道徳の授業に取り入れる

 最近にわかに、道徳の授業に体験活動を組み入れる授業が増えてきました。これまでも小学校の低学年では、なされることが比較的多かったのですが、徐々にですが小学校高学年や中学校でも体験活動を取り入れることを見聞することが増えてきました。
 たとえば、学習指導要領解説(小学校)では次のような記述が見られます。(強調は筆者)

動作化、役割演技など表現活動の工夫
児童が表現する活動の方法としては、発表したり書いたりすることのほかに、児童に特定の役割を与えて即興的に演技する役割演技の工夫、動きや言葉を模倣して理解を深める動作化の工夫、音楽、所作、その場に応じた身のこなし、表情などで自分の考えを表現する工夫などがよく試みられる。また、実際の場面の追体験や道徳的行為などをしてみることも方法として考えられる。

 また、2016年の「道徳教育に係る評価等の在り方に関する専門家会議」が「質の高い多様な指導方法」の一つに「道徳的行為に関する体験的な学習」が取り上げられたことも大きいでしょう。そこでは次のように体験的な学習の意図を述べています。(強調は筆者)

役割演技などの体験的な学習を通して、実際の問題場面を実感を伴って理解することを通して、様々な問題や課題を主体的に解決するために必要な資質・能力を養うことができる。 問題場面を実際に体験してみること、また、それに対して自分ならどういう行動をとるかという問題解決のための役割演技を通して、道徳的価値を実現するための資質・能力を養うことができる。

 実際にやってみるとわかるのですが、役割演技などで行為をしてみると、それはかなりのリアリティをもってきます。頭の中で考えていることが、実際の行為としてはなかなか表現できないこと、実際にやってみることでその行為のよさや難しさなどが理解しやすくなります。要は、より深く道徳的価値について学ぶことが可能になってくるのです。
 そこで今回は、京都府八幡市立美濃山小学校の藤原由香里先生が実践した演劇的手法を用いた体験的な道徳授業(小学6年生対象)を紹介します。

教材
「銀のしょく台」(内容項目:B-11 相互理解、寛容)
ねらい
ミリエル司教の行いやジャン・バルジャンの心情について話し合う活動を通して、相手を許すことの難しさや素晴らしさに気づき、他者の過ちや失敗を広い心で受け止めようとする道徳的心情を育てる。
あらすじ
罪を犯し投獄されていたジャン・バルジャン(主人公)が釈放された。しかしみすぼらしい彼に食事を与えたり、泊めてくれる場所はない。空腹のジャンはミリエル司教の元を訪れ、そこで食事と寝る場所を提供してもらう。それにもかかわらず、ジャンは夜に銀の食器を盗んで出ていってしまった。翌日憲兵に連れてこられたジャンに対し、司教は「それはあなたにあげたものです。どうして銀のしょく台も持っていかなかったのですか」と語る。

 いわずと知れた定番教材の「銀のしょく台」です。定番といわれるだけあって、書籍にもインターネット上にも多くの学習指導案が掲載されています。今回は文字数の関係で実践すべてを載せることはできませんが、導入部で、状況理解のために教師がジャン・バルジャン役・司教役として場面を演じたり(ティーチャ・イン・ロール)、盗まれたことがわかったときの司教の気持ちを推察するなど、各場面での登場人物の心情を役割演技などを用いながら丁寧に押さえる実践をされています。
 今回、役割演技で取り上げるのは、二つの場面です。一つ目の場面は、最後の場面でミリエル司教が燭台を差し出すところです。教師が司教役になって全ての児童にジャンの心の声を発表してもらいます。その際の問いが、以下のものになります。

発問1 司教に「さあ、あなたに差し上げた燭台をお持ちなさい」と言われた時に、ジャン・バルジャンは心の中でどのようなことを考えていましたか(ジャンの心の声を実際に言ってみる)。

 もう一つの場面が、最後の場面、児童がジャン役と司教役の二人一組になり、燭台を渡した後に司教が何をジャンに伝えたのか演じてもらうところです(ジャン役は黙ったまま)。その際の問いが以下になります。

発問2 燭台を差し出した後、司教はどのような声をかけたのでしょうか。

 実は問い2の役割演技に先立って、藤原先生はミリエル司教が銀の燭台をジャンに手渡した時の想いを付箋に書き出し、それを模造紙に貼り付ける活動をおこなっています。それがこの授業の中心的な問いにあたります。


中心発問 盗んだことを許すだけでもよかったのに、なぜ銀の燭台まで手渡したのだろう。


 つまり、即興的に演技をさせるのではなく、司教の立場になって考えさせた上で、その考えを実際に行為してみるという順番にしています。この問いのみでももちろん道徳の授業は成立しますし、一般的にはそれが通常の展開だと思いますが、この問いを考えた上で、実際に燭台を渡すという行為、ならびにそこでどういう声をかけるのかという行為をやってみることで、司教役の児童から発せられる言葉はより重みを増します。
 ジャン・バルジャンの心情をより深く理解するために、ジャンの役をやってみる。そして、ミリエル司教の心情をより深く理解するために、司教の役をやってみる。このような活動をクラス全体で行うことで、児童は多様な心の声や実際の声かけや振る舞いがあることに気づきます。いわば、「多面的・多角的に物事を考える」ことにつながってきます。
 さて、授業を終えるにあたって、藤原先生はいわゆる「自我関与」と、「人を許す」というこの授業のテーマについて児童に考えさせていることも、とても興味深いです。振り返りは「司教への手紙」という形の書く活動が設定され、便箋風のワークシートが用意されていました。

司教さんへ
あなたのしたことを、私は(         )と感じる。
もし自分なら、(          )。
人の罪を許すことは(       )だ。なぜなら(           )。

 児童は物語中の司教の想いや役割が体験を通じてわかったからこそ、その司教と自分を対比させて深く考えることができるようになります。単にこの物語を読むだけであれば、「立派な司教」という感想で終わるかもしれませんが、司教の振る舞いの素晴らしさ、気高さとともに難しさをリアルに感じ取ったからこそ、単に「立派な司教」という感想に留まらない考えが児童の中に芽生えてきます。
 もちろんこの司教の立ち振る舞いの背後には、キリスト教という宗教的な要素が多分に関わっていますし、内容項目の「寛容」という言葉では簡単に言い表せない深さを持っています。「人間としていかに生きていくのか」という点からこの教材を見ると、「よりよく生きる喜び」(D-22)とも関連していると思います。
 さて、少し話が逸れますが、役割演技をする際には小道具も大きな役目を担ってきます。今回であれば、燭台を準備すると(手作りでもちろん可)、より一層雰囲気が出てきます。余裕があれば、ジャンや司教の衣装を準備してもいいと思います。

体験的な学習の重要ポイント

 何より大切なことは、体験活動(役割演技など)をすることが道徳授業の目的ではないということです。あくまで目的は道徳的価値を深く理解すること、児童生徒が道徳的価値の理解に基づいて自分なりの価値観を形成していくこと、それによって道徳性を育んでいくことにあります。体験的な学習は道徳的価値への理解を実感を伴って深めていくために行われるものなのです。
 そのためには、体験活動だけで終わらないということが大切になります。学校教育の場面では道徳に限らずさまざまな体験的な学習(たとえば職業体験など)がありますが、それが「学び」になるためには、体験したことを意味づける「ふりかえり」(reflection)が必要とされます。やってみたことにはどういう意味があるのだろうか、これまで学んだことと結びつくところはないだろうかなど、結びつけて意味づけることがあってこそ、体験が学びになってきます。先の実践であれば、最後のふりかえりのワークシートが該当します。
 このような、体験が学びになる過程は「体験の経験化」と呼ばれることもありますが、体験を授業に取り入れる際には、体験が意味ある学びとなるように配慮する必要があります。
 それから、体験的な学習を取り入れるにあたっては、こういった活動に児童生徒が慣れていることも大事なポイントになります。普段の授業でやっていないのに、突然道徳の授業で役割演技が出てきても、児童生徒はびっくりしてしまいます。ワークショップ型の授業(たとえば「人間彫刻」)などで人前で演じることに慣れていること、また体験的な学習ができる学級集団づくりも必要になってきますね。

 あと、すでにご存じかと思いますが、「銀のしょく台」は言わずと知れたヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル(ああ無情)』が原作です。前回、絵本を取り上げた際にもおせっかいながら書きましたが、原作から切り取られた一部分ではなく、文学作品そのものを味わうという意味でもぜひ小説全体を読まれることをおすすめします。

荒木 寿友あらき かずとも

1972年宮崎県生まれ,兵庫県育ち。2002年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。専門は道徳教育、教育方法、ワークショップ、カリキュラム開発。現在,立命館大学大学院教職研究科教授。NPO法人EN Lab.代表理事。元セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン,アドバイザー。NPO法人cobon理事。国内外、大人子どもを問わず、さまざまなワークショップを展開する。
単著に『学校における対話とコミュニティの形成』(三省堂、2013年)、共著に『モラルの心理学』(北大路書房、2015年)、『考える道徳を創る「私たちの道徳」教材別ワークシート集』(明治図書、2015年)、『やさしく学ぶ道徳教育』(ミネルヴァ書房、2016年)、『戦後日本教育方法論史 下』(ミネルヴァ書房、2017年)など。

(構成:佐藤)

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