考え、議論する道徳授業を創る!問いでわかる道徳授業づくり・実践講座
考え、議論する道徳授業にお悩みの先生必見!授業づくりの要である問い(発問)をもとに、授業展開のポイント・指導のコツをアドバイスします。
道徳授業づくり実践講座(7)
絵本を用いた道徳の授業づくり
立命館大学大学院教授荒木 寿友
2018/12/25 掲載

 読者のみなさんは、絵本は好きでしょうか? 私は大好きです。長新太さん、長谷川義史さん、ヨシタケシンスケさん、かさいまりさんなどなど、あげていけばきりがありません。最近では道徳の教科書に絵本が取り入れられることも多くなり、教材として用いる機会も増えてきたのではないでしょうか。そこで今回は、絵本を用いた道徳の授業づくりを具体的にどう進めていけばいいのか、考えてみましょう。

絵本と道徳教育

 絵本の魅力は、なんといっても絵と文章がメッセージとなって読み手に訴えてくるところにあります。多賀一郎先生が『絵本を使った道徳授業の進め方』(黎明書房)の中でも指摘していますが、「絵の持つ力と言葉の力の融合が絵本の力となる」ところに最大の魅力があります。ですので、同じ文章であっても挿絵が異なると、その絵本に対するイメージは異なったものになるのはよくあることです。
 教科書に採用された絵本は、教科書のページ数の関係から、どうしてもすべてを掲載することができません。挿絵は当然のことながら大幅にカットされていますし、絵本ならページをめくるという「間」があるところが、すべての文章が連続的に掲載されていたり、あるいは同じ絵本であっても、A社とB社では絵本の採用している箇所が違ったりしている場合があります。いずれにせよ、オリジナルの絵本とはかなり異なった掲載のされ方がなされているのが現状です。
 先日、絵本作家のかさいまりさん(『あのね』とか『あんなになかよしだったのに…』など(いずれもひさかたチャイルド)の作家さんです)とお話しする機会に恵まれました。その時に、かさいさんの作品を用いた道徳の授業をかさいさんご自身が参観されたときのことをお話ししてくださいました。なんと、「私の身体が切り刻まれている感覚に陥った」とおっしゃったのです。作品は作家と一心同体であるということ、その作品を場面に分けて解釈し、作品の全体性が失われてしまったこと、それを「切り刻まれている感覚」と喩えたのだと思います。
 実際、作家さんはものすごいこだわりを持って絵本を作っています。言葉の微妙なニュアンス、改行する位置、発色(色使いも)、タイトルなど、細部にわたって検討を重ねています。
 私自身、肝を冷やす思いでした。かつて道徳の研修などで絵本道徳を扱った際に、授業者(私)の都合で必要な場面だけを用いて、絵本全体としてのメッセージを伝えない(絵本をまるごと味わっていない)ことがあったからです。猛省です。
 また、絵本は、もともとは子どもを対象に描かれたもので、子どもがそれをどう解釈するかということを大前提に創作されています。絵本は子どものものなのです。大人が解釈し子どもへの啓蒙活動に用いるという目的のために、そもそも絵本が存在するわけではありません(全てではないでしょうが)。どうやらかつての私は、教育目的が先に立ってしまい、絵本や作家へのリスペクトを失ったまま、授業でいかに用いるかに焦点を当てていたと思います。
 とはいえ、やはり道徳の授業で絵本を使いたいですよね。その場合は、できるだけ原作を用いるということ、そして、授業中に時間の関係から原作を通し読みすることができないのであれば、あるいは、教科書教材になっていて内容に編集が加えられているのであれば、授業外の時間を使って原作をまるごと読み聞かせするということ、この2点を守っていくことが絵本と作家に対するリスペクトに繋がります。

絵本を用いた道徳授業における問いのつくり方

 子どものために描かれた絵本、子どもが好きで読んでいる絵本、その絵本に大人としての教育的価値を見出して、考えさせる問いかけを加えてみる、それが「絵本の教材化」を意味します。ではその教材化への一手間をどのように行っていけばいいのでしょうか? 『みえるとかみえないとか』(ヨシタケシンスケさく・伊藤亜紗そうだん アリス館)を例に考えてみましょう。

・対象:小学校中学年〜中学生
・内容項目:相互理解、寛容
・ねらい:「ふつうであること」と「ちがうこと」について、絵本における捉え方
 や児童生徒自身が実体験においてどう捉えているのかを知ることを通じて、多様
 な他者との違いを積極的に認めお互いの個性を尊重しながら関係性を築き、望ま
 しい生き方を探求していく道徳的実践意欲と態度を養う。

 この絵本は、宇宙飛行士である主人公が違う星に行った経験から、「ふつうであること」と「ちがうこと」について考えを巡らせるお話です。人間には目が二つあるのが「ふつう」ですが、ある星ではそれが「ふつうではない」という設定から物語が始まります。作者のヨシタケシンスケさんに言わせれば、「この本は最初の2ページで終わってる」らしいのですが、自分が普通だと思っているのに違う星では相手から気を使われる存在になっているというところから話が進んでいきます。
 詳細についてはぜひとも絵本を手にとっていただきたいのですが、絵本を教材化するにあたってまず必要なのは、絵本を貫くメッセージと内容項目との一致です。今回の場合は先にも示したとおり、「相互理解、寛容」が該当します。
 続いての作業は、そのメッセージを踏まえた上で大人としてどの部分を眼の前の子どもたちに考えさせたいのか、その焦点化です。私自身は、最大のメッセージは絵本の最後の方に描かれている「おなじところを さがしながら ちがうところを おたがいに おもしろがれば いい」、それを「ちょっとずつ れんしゅう」というところに現れていると思いました(もちろんこれ以外のページも該当する可能性があります)。
 私たちはどうしても自分と他者の同じところに安心して、違いに対しては除外しがちです。皆と違うという理由から「いじめ」も簡単に生じます。自分が所属するコミュニティにおいて自分が多数派であれば、同質性を求め、差異を排他的に見ることは多々あります。ところが自分が違うコミュニティにいけば、自分がマイノリティになることには案外気づいていません。授業を通じて、私たちがお互いに違いに対して関心を抱き関係性を築けるようになることが、この授業の焦点化であり、それが現れているのが先の引用の箇所であるといえます。
 さて、授業における焦点化ができれば、次は導入からの流れと問いづくりになります。授業の導入部の「自分を見つめる活動」において、子どもたち自身が「おなじ」と「ちがう」をどう捉えているのか確認していく必要があるでしょう。制服や髪型、肌の色、食の好みなどから「おなじ」と「ちがう」を連想させてもいいかもしれません。そこから、絵本の読み聞かせに入っていきます。絵本の感想などを共有した後に、次のような問いを考えました(ただし、絵本のタイプによってはいわゆる「読み物教材」と同様に、中心的なテーマに迫っていくために場面発問が必要とされることもあるかと思います)。

問い「おたがいにおもしろがる」ってどういう意味だろう?

 もちろんここでの「おもしろがる」は、「笑う」といった行動的なことではなく、純粋な興味関心に基づくものです(英語のinterestのような意味ですね)。つまり、違うことを排他的に捉えるのではなく、違うからこその積極的な側面に意識を向け、その意義を理解するためにこの問いはあります。絵本の中にも随所にそのヒントが隠されています。できるだけ子どもたちが「おもしろがる」の解釈を多面的・多角的に捉えることができるように工夫してみましょう。
 しかし、頭ではその意義を理解したとしても、なかなか行動に移すのは難しいかもしれません。絵本でも「ちょっとずつれんしゅう」と書いてあります。そこで、次のような問い(「これからの生き方について考える活動」を準備して、子どもたちなりの練習方法を考えてもらいたいと思います。

問い「ちょっとずつれんしゅう」と書いてありますが、あなたならどんな練習をしますか?

 この問いからもおそらく多様な練習方法が出てくることが予想されます。簡単なものであればその場で子どもに実演してもらうのもいいかもしれません。
 授業全体の流れとしては、「おなじ」と「ちがう」って一体何なのか、そして「ちがい」を乗り越えていくためにはどうすればいいのかを考えていくように授業を進めていきます。これからの多文化共生社会を現実のものにしていくためには、多様な個性の存在に関心を寄せ、それを積極的に認めた上で、どのようにすればお互いがよりよく生きていくことができるのか考えていく必要があります(「言うは易し」で、実際はとても難しいことなのですが)。

まとめ

 今回は絵本を用いた道徳授業のつくり方を考えました。絵本の教材化において大切なポイントは、まず絵本そのものが持っているメッセージと内容項目との一致を図ること、絵本において焦点化するところを決めること、その焦点化に応じた問いを作成すること、です。それと同時に、授業の実践にあたっては絵本と作家さんへのリスペクトは忘れないということです。
 今回は「問い」という形では取り上げませんでしたが、この作品で貫かれているもう一つのテーマは「対話」だと思います。「違う人」と話をすることで共有できるものが発見できるということが、いたるところに盛り込まれています。そこに焦点を当てて授業をつくってみるのも一案でしょう。

【参考文献】
・多賀一郎編著(2018)『絵本を使った道徳授業の進め方 指導項目を踏まえたすぐに役立つ19実践』
 黎明書房
・ヨシタケシンスケさく・伊藤亜紗そうだん(2018)『みえるとかみえないとか』アリス館
・ヨシタケシンスケ・伊藤亜紗『みえるとかみえないとか』発売記念対談@〜Cアリス館ホームページ

荒木 寿友あらき かずとも

1972年宮崎県生まれ,兵庫県育ち。2002年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。専門は道徳教育、教育方法、ワークショップ、カリキュラム開発。現在,立命館大学大学院教職研究科教授。NPO法人EN Lab.代表理事。元セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン,アドバイザー。NPO法人cobon理事。国内外、大人子どもを問わず、さまざまなワークショップを展開する。
単著に『学校における対話とコミュニティの形成』(三省堂、2013年)、共著に『モラルの心理学』(北大路書房、2015年)、『考える道徳を創る「私たちの道徳」教材別ワークシート集』(明治図書、2015年)、『やさしく学ぶ道徳教育』(ミネルヴァ書房、2016年)、『戦後日本教育方法論史 下』(ミネルヴァ書房、2017年)など。

(構成:佐藤)

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