教育オピニオン
日本の教育界にあらゆる角度から斬り込む!様々な立場の執筆者による読み応えのある記事をお届けします。
3.11以降の日本で求められる数学的リテラシー     
京都橘大学人間発達学部教授小寺 隆幸
2012/3/1 掲載

  3.11大震災から1年。あの時、私自身もこの地震列島日本で生きることの重みにうちのめされながら、これを機に国のあり方、そして教育のあり方を問い直さなければならないと痛切に感じた。ここでは、数学教育とのかかわりについて述べたい。
 
 原発事故直後の政府発表や報道の問題点は、すでに様々に指摘されている(※1)。例えば3月15日、福島市では毎時23.9μSvという線量だったが、福島県は即座に「健康に影響を与えるレベルではない」と宣言し、マスコミも「東京―ニューヨークを飛行すると190μSv浴びることと比べてまったく問題ない数値」と報じた。だが、これは単位当たり量(内包量)と総量(積算量)を混同した、小学生でもわかる誤謬である。この日、福島市では多くの大人と子どもが何も知らされずに給水車の前に並んでおり、多量の被曝をしてしまった。この前後数日間だけで、多くの人が1mSv以上被曝したのではないだろうか。
 日本の法令では、一般市民が1年間に浴びる線量の上限が1mSvである。それを数日で超える被曝が、「健康に影響を与えない」と断言することはできない。国際放射線防護委員会ICRPは、これ以下ではガンが発症しないという“しきい値”はなく、被曝線量と発ガン確率は比例するという「しきい値なし直線モデル」を採用している。そしてICRPの評価基準では、1mSv当たりのガン死確率は2万分の1、子どもについてはこの数倍のリスクとされている。放射線がDNAを切断し、さらに修復ミスが起きてガン化することは確率的事象であり、多量の放射線を浴びてもガンにならない人もいれば、少量でも運悪くガンになってしまう人もいる。だから、しきい値はないと考えるのである。このように低い確率では統計的検出はできないが、それはガン死がないということではない。
 現在、国の避難基準は年間20mSv以上だが、それ以下でも「安全」とは言い切れない。ICRPは20mSvの被曝で、1000人に1人(子どもはその数倍)のガン死を予測している。確かに、低線量被曝について科学的には未解明のことが多いが、政府も依拠している国際基準の数学的意味を理解した上で、各自が自分の条件を勘案しながら判断を下さねばならない。そこでは比例、確率、統計、リスク評価などの数学的理解が必須である。
 
 今後の大地震も心配である。1月、政府の地震調査委員会は今後30年以内に東海地震が起こる確率を88%と発表した。この確率は、サイコロの目の出方のように計算で求める、あるいは男女の出生率のように多数回試行の相対度数から求める「客観確率」ではなく、「主観確率」である(※2)。それは過去のデータを基に、仮説や主観を加えた「判断」である。ただ、88%という数値は地震学者の危機感の表れで、社会的対策が緊急に迫られている。
 また「原発安全神話」を支えていた事故確率も、主観確率である。有名な1976年のラスムッセン報告は、1原子炉が大事故を起こす確率を2万年に1回としたが、これは様々な楽観的仮定を積み上げた砂上の楼閣ではなかったか。むしろ考えるべきは、確率よりも期待値である。物理学者の豊田利幸氏は、1999年に「福島第一原発が炉心溶融事故を起こせば、関東全域は放射性物質による壊滅的被害を受けることになり、その被害額は現状復帰の費用を含めるならばほとんど無限大と言って差し支えない。…原発の是非はその事故期待値を考えれば中学生でも容易に判断できる」と指摘し、中学で期待値を教えるべきことを筆者に熱く語られた(※3)。この考えが広く市民に受け入れられていればと今にして思う。
 
 この1年、市民としての数学的リテラシーが問われた場面は他にも多々ある。
 食品汚染にかかわって標本調査の理解は? 除染にかかわって半減期の理解は? 津波からの避難にかかわって速さの理解は?(※4)等々。様々な数値や統計グラフが氾濫する中で、マスコミや行政任せではなく、私たち自身が読み解き、適切な判断をつくることが求められていたのである。
 2000年、2003年のPISA調査・数学的リテラシーに出題された「盗難事件」の問題(PDF、p.42)は、マスコミによる統計グラフの読み取りのまやかしを考えさせるものだった。それは「政治的な文脈でメッセージをデータで支持するためにグラフが使われる」中で「正しいかどうかを判断する力は、責任ある市民であるための重要な側面である」として出題されたのだった(※5)。
 6月12日、日本数学会理事会は声明を発し、原発安全神話に触れながら、数学教育に携わるものとして、国民が数学的な見方を生かしつつ合理的判断ができるよう力を注ぐ数学者としての決意を表明した。学校でも、直面する現実の問題を数理的に考察する力を身に付けさせることで、子どもたちに今を生きる力をはぐくんでほしいと切に願う。

※1 影浦峡『3.11後の放射能「安全」報道を読み解く』(現代企画室、2011年)

※2 竹内啓「確率的リスク評価をどう考えるか」(岩波書店『科学』2012年1月号)

※3 豊田利幸「期待値とその意味の重要性」(汐見利幸・井上正允・小寺隆幸『時代は動く! どうする算数・数学教育』国土社、1999年)

※4 小寺隆幸「今、ぜひ取り上げたい『時事問題』活用ネタ」(明治図書『数学教育』2012年3月号

※5 国立教育政策研究所『生きるための知識と技能2』(ぎょうせい、2004年)

小寺 隆幸こでら たかゆき

1951年神奈川県生まれ。
東京都の公立中学校で31年間教えた後、明星学園中学校、東京学芸大学附属大泉中学校の講師を経て、2007年4月より京都橘大学教授に就任し、算数・数学の教員養成に携わっている。
研究テーマは数学的リテラシー論、環境問題など現実事象の教材化等。数学教育協議会、日本数学教育学会員。また、原爆の図丸木美術館理事長、チェルノブイリ子ども基金副理事長として反核平和の取組やチェルノブイリ救援にかかわっている。
主な著書に、『数学で考える環境問題』『問題解決自由自在!「方程式」に強くなる!!』(以上、明治図書)、『世界をひらく数学的リテラシー』(明石書店)、『時代は動く!どうする算数・数学教育』(国土社)他

コメントの受付は終了しました。