教育オピニオン
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教師力とは、生得的なものなのだろうか
大阪教育大学教授園田 雅春
2011/8/1 掲載
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  • 指導方法・授業研究

 きょうは、どんなことを話そうか。
 そう思いながら、事前に送られてきた学習指導案に目を通す。そして、気づいたことを即座に赤ペンでメモ。
 ところが、実際に授業を見せていただくと、まったく違った発見があり、感動がある。これは当然と言えば当然ではあるが、授業というナマモノはやはり学ぶところがあまりにも多い。
 先日、ある小学校に招かれて、いくつか授業を見せてもらった。その一つ、五年生の道徳の授業では、教師がよくしゃべった。読み物資料の一方的な解説型授業であったが、子どもたちは立派だった。一生懸命に聴こうとする態度を示して、教師の話に顔を上げ、ときどきうなずいてもいた。
 この学校は、かつては、落ち着いて人の話を聴くことができない子どもが多く、授業の成立がきわめて困難な時期もあった。
ところが、学校と地域の着実な努力が実り、どの学年も子どもたちは学びのテーブルに着いて、聴く姿勢も立派に維持していた。
 感心しながら解説型授業をながめていると、一人の子どもが教師に向かってひと言。
 「先生、根拠ってなに?」
 配られたワークシートに、その文字を見つけた子どもがたずねたのだ。
《あなたはどう思いますか。根拠を示して答えましょう。》
 ワークシートにはこのようなことが書かれていた。
 この授業で、子どもから初めて発せられた問いである。これは、授業の流れが教師解説型から子ども発信型に変わるチャンス。さて、教師はどうするだろう。興味深く見ていると、その教師はひと言。
 「はい。それはあとで先生が説明します。」
 子どもの問いは、あっけなく切り捨てられた。あー、もったいない……。
 踏み固められた土の中から、やっと芽が出始めたぞと思いきや、一瞬にして踏みにじられた感じだった。
 決して、この教師に悪意は感じられなかった。本人はきっと、子どもの質問には教師がていねいに答えなければならない、と思っていたにちがいない。だが、この善意に近い思い込みが、結果的に子どもの口を封じ、授業を単調で退屈なものにしてしまうのだ。おそらく、そのことに気づいてはいないだろう。
 しばらくして、教師はこう言った。
 「根拠というのはね。まあ、理由みたいなもの。」
 いかにも、おとな語による返答である。きっと子どもは納得していないはずだ。
 子どもが問いを発したなら、これはチャンス。
 「おー、いい質問。だれか答えてよ。」
 このように子どもに問い返すことから、子どもが参加する授業への進化がはじまる。その点に教師はもっと繊細になるべきだろう。そうすれば、子ども語で子どもたちは核心にせまる返答を必ず生みだしてくれるものだ。
 彼は三〇歳前後の教師だったが、今のうちに子どもに問い返すことの大切さ。そして、子どもと子どもの応答が授業の深まりと高まりをつくり出すという事実。それを実体験しなければ、この先もずっと単調な教師解説型の授業に満足してしまうのではないかと危惧される。
 せっかく子どもが学びのテーブルに行儀よく着いてくれている今こそ、教師は子どもが手を伸ばしたくなるような「授業という名のごちそう」をふんだんに用意すべきなのだ。
 もちろん、このことは授業後の講演会で申し述べたが、それに納得し、実践化されていくかどうか。そこが重要な問題である。
 きょうはまた、ある中学校に招かれて、三年生の音楽の授業を観せてもらった。
 授業の後、必ず授業者に近づいていき「ご苦労様でした。」と声をかけるようにしている。だが、きょうはちがった。思わず「ありがとう」と軽く頭を下げる自分がいた。
 生徒の生活実態がきわめて厳しい校区で、通常の授業がなかなか成立しにくい状況にある学校なのだ。学習指導略案には「一人でも多くの生徒が 笑顔≠ナ歌えるようにさせたい。」と、授業者の願いが書かれていた。教職五年目の女性である。
 授業のはじめはまったく集中できない生徒が五名以上いた。ところが、教師のピアノ伴奏が授業にメリハリをつけ、少しずつ生徒が歌いはじめた。生徒が歌うと、教師は「うまいっ!」「いいよー」と相づちを打ち、歌い終わると立ちあがって、自分から拍手を送る。しかも、その時の笑顔がじつに美しかった。
 彼女はピアノ伴奏の最中でも、生徒たちに目を配り、ナチュラルな笑顔を絶やさなかった。すると、生徒たちの声はますます出だして、自分たちのお気に入りの曲になると、男女の声がそろい始めた。「じゃあ、ハモってみよう。」と、教師が見本を見せた。その声がまた聴きほれるほどの粒立ちのよさで、ある男子が思わず「ウマッ!」と、声を上げた。
 ピアノという飛び道具。粒立ちのよい声。そして、ナチュラルな笑顔。教師のこの三拍子が、一筋縄ではいかない生徒たちを見事に惹きつけていた。
 ほんとうにこの教師は笑顔を絶やさなかった。否定的な言葉もいっさい発しなかった。生徒たちは白板に貼りつけられた楽譜を見るより、教師の笑顔を見て歌っていた。きっと生徒たちは歌が好きというより、この笑顔の先生が大好きなのだろう。
 「歌う楽しさ。ハモる楽しさを味わってほしいです。」
 後の討議会で、この若い教師はそう語った。生徒の「やりたい。」「歌いたい。」という気分を引き出すことに優れた教師だった。
 教師力とは、多分に生得的なものなのだろうか――。

道徳教育2011年8月号より転載

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