教育オピニオン
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費用対効果で物事を考える
“災害”を学習する社会科のポリシーを考える
兵庫教育大学名誉教授岩田 一彦
2011/7/28 掲載

 社会科で災害≠学習する際の中核は「費用対効果で物事を考えることができる」といった能力を育成することである。

一 防災学習と社会科

 防災学習は、災害の状況、災害の歴史、避難場所、避難方法、避難用品等の学習に陥りがちである。これらの学習内容は、重要な事柄ばかりである。しかし、社会科で行う学習だろうか。否である。これらの学習は防災学習センターで行われる総合的な学習である。
 社会科では、社会科学的な分析を踏まえた「費用対効果の視点」の育成が欠かせない。大災害が起こると専門家と称する人々が、テレビや新聞に登場して、政府や自治体の対応が不十分であったことを、口を揃えて述べ、批判をする。
・災害に強い都市基盤の整備が遅れていた。
・過去の災害の教訓を生かした防災対策が不十分であった。
・災害に対する迅速かつ適切な初動体制ができていない。
 これらの教訓を社会科で学習しても、人々の行動にはつながっていかない。社会科で災害学習を展開する際に重要な視点は「費用対効果」である。これまでの経験から防災に必要な事柄はほぼ出尽くしている。分かっているのにできないのが現実なのである。このことを理解できない学習は、社会科の災害学習としては成立しない。
 東日本大震災に際しては「想定外」という言葉が度々出てきている。災害に対する備えは、全て、どのような確率で災害を想定するかにかかっている。一〇〇%の安全が確保できるのが理想である。しかし、そうはいかないのが社会である。何故できないのかを、科学的に考えることができる子どもの教育が必要なのである。それは費用対効果の視点である。

二 費用対効果

 阪神淡路大震災は、千年に一度の活断層の活動で引き起こされた。今回の東日本大震災も八六九年の貞観地震以来の大地震で、こちらも千年に一度の事象であると言われている。
(一)想定すべき災害
 千年に一度の事象にも、人間社会は対応しておかなければならないのだろうか。
 産経ニュースは次の報道をしている。
 西岡武夫参院議長は、四月二六日の共同通信社主催の講演で、「政府はよく『想定外』との言葉を使うが、想定外ということで政治が逃げることは断じて許されない」と菅政権の対応を批判した。
 この西岡発言からは、千年に一度の事象にも適切に対応できるように準備することを求めているのだろう。
 また、防災対策の専門家の一人は、高さ二〇メートル以上の津波を前提に備えるべきだと主張し、コストがかかるからといって被害想定を限定するべきではないと主張している。
 一方では、二〇〇年に一度の大洪水に備えたスーパー堤防の建設は、完成まで四〇〇年以上かかるとの理由で、事業仕分けで廃止と判定された。ここでの論議では、一〇年に一回、二〇年に一回の災害への対処もできていないところがあるので、そちらの方が優先順位が高いとの批判にさらされた。
 このように、あるところでは千年に一度の事象にも備えよと言われ、別の事象では二〇〇年に一度の想定も、コストと時間との関係から廃止と判定されている。
(二)コストと時間
 災害の学習に際しては、こういった具体的事例を拾い上げ、どのように考えていくべきかを、十分議論できる場を設定したい。コストと実現までの時間を考慮に入れない主張は、幻想である。
 東北地方は明治以来の津波対策で、日本で最も津波対策ができていたところである。その結果、数十年間隔でやってくる津波に対する死者数は激減している。数メートルの津波で千人単位の死者が出ていたのが、一〇〇人以下にまで減少するほどの進歩である。社会の豊かさがこれを実現してきた。
 歴史学習の中でも、費用対効果を巡って、大論争が起こった事例は無数にある。こういった事例を災害学習として組み込んでいくことは有効性が高い。
どれだけの備えができるかは、社会の豊かさの表れであり、その社会の中で費用対効果を見極めながら、判断できる子どもの教育が、災害教育の中核である。

社会科教育2011年8月号より転載

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