教育オピニオン
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受け入れ合う関係があるから話せる
東京学芸大学教職大学院特任教授福田 富美雄
2011/6/7 掲載

 昨年12月に都内で行われた小学校三年生の「しあわせの王子」(敬けん)を活用した授業研究会でのことである。授業が始まる少し前に教室に入ると、38人の在籍児童はすでに着席していて担任教師と数え歌に続くじゃんけんゲームに興じていた。歌声も元気、グー・チョキ・パーを出す手には力がこもっている。勝って破顔、負けてちょっぴり悔しそうではあるがやっぱり笑顔。学級の雰囲気のよさはこれだけで伝わってきた。
 授業が始まった。電子黒板に温かい色彩の天使の絵を映す。「天使は神様から美しいものを探してくるように言われて、地上に降りてきました。天使が見つけたのは何でしょう。」の導入。導入段階から児童の心をどんどん引きつけて資料提示につないでいた。
 教師の投げかけへの反応もすこぶるよい。他校の先生方がたくさん見ている中で、児童のだれもが伸び伸びと自分の考えを表現している。児童は何事にも興味関心が旺盛で闊達な年ごろであること、担任教師が子どもたちの心をつかんでいることが相関し合ってこの授業をつくっていると感じながら参観しているうちに、一人の女児のあることに気付いた。
 この児童は授業の中で5回発言した。そのすべてが数人の発言後で、その都度、よく考えた上での発言であったことが内容や話しぶりからうかがえた。この児童にちょっと違和感を感じたのは話すテンポが違うことだった。考えながら話しているようにも見えるが、話し始めなどに少し間が空く。
 児童は吃音だったのである。発言がいつも数人後なのは、自分の発言を心中で練習した後に挙手をしていたからのようである。多くの吃音児は話しているときに感じるストレスから次第に話したがらなくなる。乗り越えられるのは、当人の学ぶ意欲と聴き手の態度である。37人の同級生も教師もこの児童の、時に話が途切れ、ゆっくりとした話に誠実に耳を傾けていた。ここに、安心感が生まれる。
 道徳はかかわりの中で学び合うことが欠かせない。とりわけ、よい道徳授業であるためには、他者を尊重し、受け入れ、互いに高め合う人間関係が学級にあることが重要である。IK先生の人柄が表れた心温まる学級と授業との出合いに、感激した次第である。

道徳教育2011年6月号より転載

特集 「特別の教科 道徳」
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