教育オピニオン
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電卓と、教科書離れで、Myコース
東京学芸大学名誉教授伊藤 説朗
2011/5/31 掲載

 ある授業で220654÷21.53のような筆算を3題黙々と計算して商を5桁まで求めていた。3都市の人口密度を比較するためであった。もちろんこの計算が電卓を使ってならば、驚くこともあるまい。子どもたちの必死の形相を見るにつけ、「もう止めよう」と叫びたくなった。筆算の技能訓練はほどほどでよいし、算数の学習がつまらなく感じられてしまう。これに多くの時間をかけるよりも、その時間に考えさせたいことが沢山ある。高学年の算数の授業では、いつも電卓を使用することにしよう。
 ところで、人口密度の問題は5年「単位量当たりの大きさ」の発展的な学習として取り上げられた。この単元のねらいは何か。それは「異種の2量の割合」として表されるような量、つまり、加法性のない量(内包量)の測定の仕方を考えることである。このような量の代表は「速さ」であるが、それは6年の指導内容になった。では、5年では、どのような量の測定を考えさせるのが望ましいか。身近な量としては、ジュースの果汁濃度や車の燃費(燃料消費率)などがある。この学習で必要になる計算は電卓で処理しよう。混み具合(人口密度など)は学ぶべき量の測定としてそれほど重要ではない。教科書を解説する授業から、もう一歩進めて算数の指導を工夫しよう。教科書を解説しているだけの授業では、もはや子どもも親も教師の専門職性を疑うことになろう。1つの単元の中で少なくとも1〜2時間以上、教科書解説から離れて問題解決にふさわしい授業を実践しよう。
 いざ問題解決型の授業を展開しようとすると、乗り越えなければならない壁にぶつかる。その壁とは子どもの個人差の激しさである。子どもの学習ニーズに応じるために、授業で取り上げる「問題」をそれに合わせて何種類か設定することが必要である。そして、単元の指導計画そのものもコース別に作成することが欠かせない(3つのコース設定で対応できる)。これを登山にたとえるならば、子どもの学習ニーズに合わせて登頂を目指す山が異なるか、あるいは同一の山の場合には、登山道が異なる。しかし、登頂した喜びと満足感を味わうことにおいては、皆、同じである。ただ、ニーズに合わせてコースが別々に設定されているのである。これに反して、個人差を無視して全員で画一・一律の登山を強行すれば、クラスはちりぢりになりバテたり遭難したりすること明々白々である。皆でそれぞれに楽しむはずの登山が惨めな結果に終わる。

楽しい算数の授業2011年6月号より転載

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