教育オピニオン
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道徳の「教科化」を提案する
武蔵野大学教授貝塚 茂樹
2011/5/26 掲載

一 道徳の「教科化」は歴史的な課題である

 一九五〇(昭和二五)年一一月に天野貞祐文部大臣による「修身科」復活発言に対して、「ほとんどの新聞は、修身科復活に反対の立場」をとり、「四面楚歌」の中で挫折した(船山謙次『戦後道徳教育論史 上』)。これが戦後教育史の典型的な評価である。
 周知のように、「わたしはもとの修身といったような教科は不要だと考えていたが、最近各学校の実情をみると、これが必要ではないかと考えるようになった」という天野の発言は、その後、約一年間にわたって、「全教育界の関心の的となり、話題の中心」(平野武夫『道徳教育の指導計画』)となる大きな論議へと進展した。
 しかし、この論議の実態は、冒頭の通説的な評価とはだいぶ違うものであった。たとえば、新聞においても、天野発言に反対したのは、全国紙レベルでは『読売新聞』のみであり、他の新聞はむしろ天野発言に好意的であった。
 たとえば、『毎日新聞』は、天野発言の翌日の一一月八日に「青少年のしつけ」と題する社説を掲載した。ここでは、「文相が社会生活の基準となるような道徳教育の必要を痛感し、これを要望しているならば、われわれも全く同感である」とした上で、「新しい修身はもちろん過去の単なる復活であってはならないだろう。(中略)そういうものではなくて、道徳の基礎的な考え方と実践とを教える修身については、われわれも大いに賛成であるのみならず、是非とも必要だと思う」と述べて、積極的な賛成論を展開した。
 また、『東京新聞』は、社説「『修身』復活の声に和す」の中で、「新聞、ラジオなどに寄せられる民衆の声の中にも修身あるいはそれに類した人格教育、純潔教育を熱望するものが決して少なくない」と述べ、『日本経済新聞』の社説「修身徳目の権威の問題」は、天野発言を「内外上下共通の希望の結果であるとみて差支えない」と評価していたのである。
 戦後教育史の評価とこれら新聞論調との乖離は、新聞各紙が行った世論調査の結果にも認められる。同年、一二月八日の『読売新聞』が行った調査では、修身科設置への賛成は、六四%に及んだ。また、教師を対象に行った同年一二月一五日の『朝日新聞』の調査では、「独立教科を設けるのが良い」の項目に、小学校では三九%、中学校では三六%が賛成をしている。「教科化」には最も否定的とされていた教師層においても、約四割近い賛成を得ていたのである。
 結果として、文部省は、翌一九五一(昭和二六)年二月八日に「道徳教育振興方策」を発表し、「道徳教育を主体とする教科や科目を設けない」ことを確認してしまう。しかし、これに対しても『朝日新聞』の社説は、「正直者が馬鹿をみるという程混乱しているこの社会の現実の中から、どんな人間を作り育てるかに思い悩んでいる教育者たちが、教育の拠り所を待ち望んでいた気持は之では満たされないというより他はない」と激しく批判していたのである。
 平野武夫は、当時の論議を振り返り、「進歩的な教育学者及び教師たちはこの修身科の復活に真正面から反対したことは事実であるが、かなり年配の教師たちは多くこれを要望し、一般父兄たちのこれに対する要望は圧倒的であった」(平野前掲書)と総括している。おそらく、この指摘は従来の通史的評価よりは客観的で信憑性が高い。
 道徳の「教科化」は、修身科の廃止から続く歴史的な課題であり、二〇〇〇(平成一二)年の教育改革国民会議の提言はこの延長線上にあるのである。

二 修身科が清算されていないことが全ての元凶である

 カリキュラムにおける「道徳性への配慮の欠如」(末吉悌次)や「人倫の喪失」(海後宗臣)が当時はすでに大きな問題となっていた。それにもかかわらず、道徳の「教科化」はどうして実現しなかったのか。
 平野武夫は、戦後教育における「人倫の喪失」の背景として、@一般に道徳を軽視する風潮が蔓延したこと、A道徳とか人倫とかいえば、直ちに封建的・反動的なもの、軍国主義的・超国家主義的なものと誤解したこと、Bたとえ道徳の重要性を正しく認識したとしても、無条件降伏直後の事情がこれを強調することを躊躇せしめた、と分析した(平野前掲書)。とりわけ、Aに関しては、道徳の「教科化」の提案を「直ちに以前の『修身科の復活』と速断」(平野武夫)し、「過去の修身科に対する非難に根拠をおく」(池岡直孝「道徳に関する教科を新設する必要」)批判論が繰り返された。しかもそれは、一九五〇年代からの政治的なイデオロギー対立の中で激しさを増していった。
 たしかに戦前の修身科が多くの欠点を持っていたことは否定できない。池岡が指摘するように、特殊な国体観念に基づいた道徳体系の中で、教育勅語に掲げられた普遍的な徳目までもが忠孝によって焦点化されていた。特に、昭和前期の修身教科書はその傾向が強かった。
 また、修身科の授業は、無味乾燥な徳目の解説に終始し、児童・生徒の興味を喚起させることはできなかった。敗戦直後の「公民教育刷新委員会答申」が、修身科の教育方法を「徳目ノ教授ヲ通シテノ道義心ノ昂揚ト、社会的知識技能ノ修得並ビソノ実践トヲ抽象的ニ分離シテ取扱フ」としたのは、こうした修身科の欠点を指摘したものであった。
 しかし、そもそも天野の主張は、「従来の修身というものに深い反省を加えて、それに新しい道徳教育を主張する」ことを意図したものであり、従来の修身科の単純な「復活」ではなかった。政治的なイデオロギー対立の中では、その意図が十分に理解されることはなく、議論それ自体も「道徳教育そのものの観点をいかに考えるかという根本の問題は、むしろ等閑に附された」(上田薫「社会科と道徳教育」)ままで終焉することを余儀なくされた。しかもここでは、修身科に対する十分な学問的検討を欠いていたために、政治的なイデオロギーに彩られた感情的で感覚的な修身科評価のみを戦後教育の中に蔓延させることを許してしまった。これが、筆者がしばしば指摘する「修身科=悪玉論」である。

三 道徳を「教える」ことは道徳教育の前提である

 「修身科=悪玉論」は、修身科に対する固定的な負のイメージを形成し、その反作用として、「道徳は教えてはいけない」という強固な観念(信仰)を生み出していった。
 ところが、道徳教育には、大きく分けて道徳的な知識を教える直接的な方法と日常の行為と事実を通じて態度と習慣とを形成する間接的な方法しかない。もっとも両者は相対立するものではない。それどころか、両者が有機的に関連することによって道徳教育が成立する。なぜなら、道徳的な態度と習慣を育成するためには、道徳的な知識を前提としなければならないからである。その意味では、戦前までの道徳教育は、道徳的知識及び判断の涵養を修身科が担い、道徳的情操の涵養は訓練の領域として位置付けられていた。とかく「価値の押し付け」といった固定的なイメージとは異なり、日本の近代教育は道徳教育の機能を少なくとも理念としては備えていたのである。
 しかし、戦後教育は、道徳的な知識を「教える」という直接的な方法を否定してしまい、いわば間接的な方法のみにエネルギーを注いできた。これは、土台のないところに建物を建てることに等しい。しかも日本の場合、このことが徳目(道徳的価値)それ自体に対する否定と結びついてしまっている。一般的に徳目とは、正義、勇気、親切、正直などの道徳的な価値を分類した細目であるが、基本的にこれらは普遍性を有している。言い換えれば、徳目(道徳的価値)とは、「善く」生きようとする人間が、「他者」との関係性を切り結ぶために長い歴史的な時間をかけて醸成し、歴史の中から導き出した明快で簡明な指針である。同時にそれは、歴史的な試練を経ることで抽出された叡智と言い換えてもよい。
 徳目(道徳的価値)を「教えない」ということは、長い歴史の中で築き上げられてきた人間としての生き方の「型」と方法とを否定することを意味している。長い歴史的な試練を経たより「善い」徳目(道徳的価値)を次の世代へと確実に継承することが道徳教育の重要な使命と役割である。したがって、徳目(道徳的価値)を「教えない」ということは、歴史を否定し、教育という営みそれ自体を否定することと同じことである。徳目(道徳的価値)を「教える」という直接的な方法を抜きにした道徳教育はそもそもありえないのである。

四 「教科化」論議は道徳教育活性化の起爆剤となる

 一九五八(昭和三三)年に設置された「道徳の時間」はすでに半世紀以上を経過した。しかし、これが形骸化し「思考停止」に陥っていることは火を見るより明らかである。そうでないという人は、よほど「お目出度い」、幸せな人である。道徳教育は確実に機能していない。なぜ、道徳教育は形骸化するのか。どうして、教育現場の荒廃は日を追って深刻さの度合いを増していくのか。
 答えは、至極簡単である。戦後教育が道徳教育と正面から向き合わず、道徳教育の本質から目を叛けてきたからである。感情的かつ感覚的な「修身科=悪玉論」の中にどっぷりと浸かって、道徳教育の問題を考えて来なかったからである。現在の教育現場の深刻な状況は、世代を経た「人倫の喪失」の結果であり、それが再生産された毒が社会全体に回り始めている。道徳教育と向き合ってこなかったツケを私たちは払わされているのである。
 こうしたカリキュラムにおける「人倫の喪失」はなぜ許されてきたのか。具体的にいえば、半世紀以上にわたる「道徳の時間」の「未履修問題」がなぜ放置されてきたのか。その一つの大きな要因は、道徳の「教科化」が実現されていないからである。日本の歴史を紐解けばわかるように、近代の学校教育の歴史は教科の体系化と構造化を図ることに費やされてきた。それによって、教育学としての学問研究も進み発展してきたのである。
 ところが、戦後教育は教科としての修身科を放棄し、それまで積み上げられてきた学問的な蓄積さえも完全に葬り去ってしまった。しかも修身科を「悪玉」に仕立て上げてしまうことで、過去との歴史を断絶させてしまったのである。それは、今日の私たちが修身科の実態さえ知らず、それをイメージでしか語れないのを見れば明らかである。
 道徳の「教科化」によって、教師は必然的にこれまで以上に子どもたちの道徳性に目を向けざるを得なくなる。そしてそれは、教師が自らの人格や生き方を直視することでもある。それで良いではないか。また、道徳の「教科化」は、道徳教育の内容と方法に止まらず、教育制度、カリキュラム、教育方法と教員養成へと議論を拡げることになり、道徳教育の活性化のための起爆剤になりうる。
 たしかに課題は多い。たとえば評価の問題。しかし、評価の簡単な教科はなく、このことが「教科化」を否定する根拠にはならない。また、かつて澤柳政太郎が、修身科の教授は小学校の四年までは馴染まないと述べたことも重要である。ただし、こうした議論はすでに修身科の教授論の中で活発に議論されており、そこから学ぶことは少なくない。タブー視することなく、歴史の所産として謙虚に学べばよいのである。
 ともかくも、今までの政治的なイデオロギー先行の議論に足を掬われることなく、真剣に道徳教育に向き合おうではないか。「修身科=悪玉論」から脱却した冷静で本質的な議論をしようではないか。将来の新たな道徳教育の展望と地平を拓くために道徳の「教科化」を強く提案したい。

現代教育科学2011年6月号より転載

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