教育オピニオン
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教育エッセイ(第13回)
はじめの一歩
京都女子大学教授・同附属小学校長吉永 幸司
2011/4/22 掲載

 子どもの遊びに「はじめの一歩」がある。オニになった子が目をつむり、10(トオ)数えてタッチをするというオニ遊びのひとつである。この遊びの面白さは、最初の一歩の長さの確保にある。長さを確保すると、遊びの主導権を握る。「はじめの一歩」の意味を知っている子は、弾みをつけて助走し遠くに跳ぼうとする。

 学校の4月も「はじめの一歩」に似ている。これから始まる生活に向かって跳ぶ。その一歩が、結構、その後の生活に響く。
挿絵
 私にとっての「はじめの一歩」は、厳しい先輩の言葉であった。学生気分で廊下を歩き、椅子に座って指導をしていたときであった。
「ポケットに手を入れて歩いてはいけません。子どもがぶつかったら転んで怪我をしますよ。」
「教室にいるとき、椅子に座っていては、何かあったときに、動けないでしょう。いつでも対応できるように立っているのです。」

 これだけではない。チョークの持ち方から、日記に書く赤ペンの入れ方まで細々と指導を受けた。それらの教えが奥の深いものであることに気づくのには時間がかかった。しかし、具体的で納得ができることばかりであった。

 4月は、学級づくりの「はじめの一歩」である。子どもは、宿題を忘れたり、妙に利口ぶったり、嘘をついたり、意地悪をしたりする。それらは、最初の一歩の長さを確保しようとする子どもなりの智恵である。先生や友達に関心を持ってもらおうという気持ちから生まれる行動である。見方を変えれば、教師と子どもの「はじめの一歩」のせめぎ合いということである。子どものわがままも、気持ちを引こうとすることだと分かっていたら、注意をするよりも次のような関わり方をした方が効果的なときもある。
「先生はノートが美しい子が大好きです。ノートの書き方は…。」
と、方向を示す。あるいは、具体的にまとめ方を教える。これだけで「今度の先生はすごい」と子どもは思い、「今度の先生は、丁寧に指導をされる」という尊敬をする。

 「はじめの一歩」は、これから続く1年間のエネルギーづくりである。「この位はできるだろう」と思わないこと、言葉を省かず具体的に教えることが、遠くに跳ぶコツである。

吉永 幸司よしなが こうし

1940年滋賀県生まれ。滋賀大学学芸学部卒業、滋賀大学教育学部附属小学校教諭(26年間)、同副校長、公立小学校校長を経て、現在、京都女子大学教授・同附属小学校長。著書に『読書指導の新しい展開』『国語力は人間力』、『考える子どもを育てる 京女式ノート指導術』(小学館)他多数、実践記録『絆365日』など。第27回「読売教育賞」(読売新聞社)、第13回「博報賞(文部大臣奨励賞)」(博報堂)、「教育研究賞」(日本教育連合会)他受賞。

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