教育オピニオン
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日常的な数学としての統計
教育測定研究所主席研究員/東京工業大学連携教授吉川 厚
2011/3/4 掲載

 世の中でだれもが使う数学といえば、お金の計算などをする四則演算と、意志決定のための材料を提供する統計だといっても、そんなに異論はないだろう。ただ、この2つの世間的な評価は異なる。四則演算ができない場合には本人の能力が問われるが、統計ができない場合には仕方ないと思われているフシがある。世の中で使われる頻度を考えると、この差はなんだと思ってしまう。

 ついでに周囲にも聞いてみると、「統計は会社とかで戦略を練ったり、報告書をつくったりするときに必要なもので、そんな仕事に携わっている人は少ないんじゃないの」という意見が多かった。
 実は、そんなことはない。「最近、野菜が高い」というのも、期間は不明ながら、ある程度の期間の野菜の価格情報を覚えていて、“統計的判断”をした結果の発言なのだ。ただ、それを統計として意識していないだけなのである。
 そんな事例はたくさんある。職場で、「A課長は昇格するらしい」という噂があったとしよう。実はこれも、周囲の情報からサンプリングを行って、そこから統計的な判断が下されたものなのだ。ただ、そのときに正しい統計の知識をもっていないがゆえに、サンプリングの方法に気付かず、アドホック・サンプリング(その場しのぎで周囲の情報だけを使うなど、統計的なサンプリングに則っていないやり方)になっていることは意識されていない。

 四則演算は意識的に使うが、統計は日常会話に埋め込まれるぐらい当たり前のものになっており、日ごろ使っている意識がない。ただ、意識せず、正しい知識なしに使っているからこそ、判断を誤ったときに考え方を改めるのが難しいというやっかいな事態になる。
 だから、平均などの要約統計量を計算で求めることも大切ではあるが、例えば、最小値ならどうしてそういうものを考えるのか、平均ではだめなのか、などを議論して納得することの方が、後々の判断材料として有用なものになる。
 統計は社会との結び付きが強いので、うまく使えるようになると、物事の理解が早くなるし、使い方が誤っていた場合でも、現実と照らし合わせて修正がきくようになる。この感覚は少し他の数学とは違うかもしれないが、社会をとらえる目としての統計は、現実に対処する方法として役に立つ。

吉川 厚よしかわ あつし

1963年栃木県生まれ。慶應義塾大学理工学部卒業、同大学院博士課程修了。工学博士。現在、(株)教育測定研究所主席研究員、東京工業大学総合理工学研究科連携教授。専門は学習科学で、特に大人の学びと組織診断などの評価方法。

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