教育オピニオン
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教育エッセイ(第5回)
「いじめ問題」の難しさ
横浜国立大学教授渡部 真
2010/8/27 掲載

 「いじめ問題」は難しい。さまざまな難しさが絡みあっている。小学校や中学校の教育現場だけでなく、研究の分野でも多くの難しさを抱えこんでいる。

 ところで「いじめ」の隣接領域に「少年非行」の問題がある。この2つの問題の扱われ方には、何か違いがあったのだろうか。「少年非行」の領域では、伝統的な非行理論の他に、1970年頃からラベリング論(レッテル貼り論)が大きな力を持つようになってきた。私もこの理論にもとづいて非行問題を考えてきた。

 伝統的な少年非行理論では、非行少年と一般少年の間にはっきりした差異があり、その差異の原因を明らかにすることが研究の目的と考えられてきた。しかし、ラベリング論では、両者の間にそれほど本質的な差異はなく、どんな子どもも(もちろん大人も!)逸脱的な傾向を持っている。従って、ある子どもを「非行少年」と簡単に認定してしまうのは、一方的なレッテル貼りの危険性を持ってしまう、と考える。また、一度「非行少年」と警察や教師に認定された子どもは、「非行少年というレッテル」を自らに引き受け、「非行少年らしさ」を身につけてしまう。ラベリング論を用いることで、「非行少年研究」は大きな転機を迎えた。さまざまなユニークな研究も生まれた。

挿絵
 ところが、それにひきかえ、ラベリング論から「いじめ問題」を考える研究者が、現在でも、ほとんど出てこないのである。研究者の心の中にも「いじめは絶対にあってはいけないこと」「いじめっ子は悪い子ども」という観念が非常に強く付着している。あえて言うと、「『非行少年』は許せても『いじめっ子』は許せない」と考えているかのようにも思われる。

 現在の私は、「いじめ」という言葉を使わずに、個々の問題事例や事件をありのままに見ていった方が良いのではないかと考えている。「いじめ」という言葉の呪縛からのがれて、事件や事実関係自体を虚心にながめた方が、冷静な原因分析や対処法につながると思うからである。「いじめっ子」というレッテルを貼って、「その子を、はじめから悪役としてしまう弊害」からのがれることもできる。他方、もっといじめに積極的に向かい合い、「ラべリング論を使って、いじめ問題を根本から捉えなおす独創的な研究」も生まれて欲しいと願っている。

渡部 真わたべ まこと

1952年東京都生まれ。東京大学教育学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。現在、横浜国立大学、教育人間科学部教授。専門は教育社会学・犯罪社会学・青年期の社会学。近著に『私説・教育社会学』(世界思想社)。この本の中では、「いじめ問題」も詳しく扱っている(第12章子ども集団の現状と「いじめ概念」の終焉)。

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