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白熱!! 日本言語技術教育学会(京都大会)
教育zine編集部
2011/3/11 掲載

 去る3月5日(土)、京都女子大学附属小学校にて「日本言語技術教育学会 第20回大会」が開催されました。300名近い参加者を迎えた今年のテーマは、ズバリ「『この言語技術』で思考力・表現力が高まる」。新学習指導要領において重視されている思考力・表現力について、言語技術という切り口から迫った大会の模様をレポートします!

 午前の部では、3人の先生方による研究授業が行われました。昨年は、参加者が“子ども役”として登壇したのですが、今年の“子ども役”は実際の附属小の子どもたち。子どものリアルな反応が見られたため、去年とはまた違ったよさがありました。
 午後の部の検討と討議での各学級担任の先生のコメントや、会場からの反応も含めながら、以下それぞれの先生方の授業の様子を簡単にご紹介します。

◎逸話教材による思考力・表現力へのアプローチ―師尾喜代子先生

 「できごと」と「言いたいこと(主題)」のかかわりから追究する力を育てる、として、さくらの木を切ったワシントンの逸話と屏風を破った松平信綱の逸話をテキストとし、2年生に授業をされました。
 導入では、声だしスキルとして、いろいろな場面での「あっ」という一言を、子どもたちが実にのびのびと、楽しそうに声をだしているのがとても印象的でした。今回授業をするにあたって、自身の学校で複数の学年において模擬授業をされてきたとのことでしたが、その際にはなかった子どもの反応が出たと討議の際に教えてくださいました。予期せぬ反応に対して、こうすれば・ああすればよかったかもしれない、とお話されていて、大ベテランの先生のそうした振り返りを見ることができるのも、研究会の醍醐味の一つですね。

◎音読・段落・キーワードによる論理的文章指導―篠原京子先生

 「理科で学習したこと」のまとめを書くための指導として、論理的文章の構成について3年生へ授業をされました。
 特色は、指導案をすべてせりふ化したこと。無駄な説明や指示を省いたことにより、発問がブラッシュアップされており、子どもたちの反応もすばやかったと担任の先生もコメントされていました。すべてせりふ化ってどうなんだろう?と実際に見るまではちょっぴり懐疑的でしたが、教師・子ども双方に迷い・まぎれがなく、「この言語技術」というねらいが絞れていれば、子どもにとってもすっきりと思考できるというよさがあると感じました。

◎「言葉」を楽しみ、「書く」を楽しむ―森川正樹先生

 助詞の違いによる「言葉」の違いの意味を楽しみ、それを説明する文章が書ける、ということを目標とした5年生の授業。「となりのトトロ」の「の」の字を変えて、意味の違う題にしよう、という発問には、子どもたちから難なく10例が出されました。“型を用いて全員が書ける”という全員保障の活動で、子どもたちからは型を用いた上で、助詞の違いを的確に捉えた表現がなされていました。
 今回の授業はあくまでも型を使って書くということで、書かれている中身は問わないというスタイルだったのですが、討議では、もっと中身を問うような場面があったら、さらに思考力・活用力が高まったのではないか、という指摘もなされました。

誉める技術と目には見えない思考力

 討議では、授業内に子どもの発言を否定する言葉がなかったことが気になった、という意見も出されました。否定・指導があるから言語技術が鍛えられるのでは、という発言には、なるほどと思いつつ、実際の授業では、誉め言葉が非常に有効に働いていたと感じる部分も大きかったです。若手の先生にとっては、誉めるということもとても難しい言語技術。タイミングや声の調子、どんな観点で誉めるのかなど、非常にわかりやすくて、ためになったのではと思いました。
 また、なにを思考力と捉えるか・どの場面で思考力が伸びたのか、ということに関して、登壇者・会場双方から熱い意見が飛び交いました。予定調和の発言ではなく、忌憚のない意見がどんどん出てくるという、先生方の真剣さが感じられるよい会だったように思います。

日々の積み重ねのその先に

 また、授業そのものもとても面白かったですが、一番ハッとしたのは子どもたちの姿でした。授業後に参加者の座っている通路の間を軽く会釈をしながら帰っていく3年生、授業者の指示がなくても板書が始まったら全員が一斉にノートをひらく音、発言の際に、当たり前のように自分の前に発言した仲間の意見を踏まえる様子―いずれも、一朝一夕の指導で身につくものではありません。今回の研究授業でねらいとした「言語技術」が達成されたとしたら、それは子どもたちが持っていたこれらの素地の影響も大きかったのではと感じました。
 そもそも、言語技術とは日々の積み重ねの中で育まれていくもの。だからこそ教師自身が言語技術に敏感になるべきであるし、意識的に使っていくべきである 、という主張が、今回の子どもたちの姿を見て、初めて腑に落ちた気がしました。

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