教育マグマ日記
明治図書出版教育書編集部の樋口雅子編集長が、日々の雑感を赤裸々に綴ります。
消された“昆虫”
明治図書出版編集長樋口 雅子
2015/2/11 掲載

「国立大を卒業して私学の移籍したある大学人、まるで違う人みたいに書くものが面白くなったのよね。それだけ、国立大って縛りが強いのかしら・・」
「歳もあるかも。還暦を過ぎると、カウントダウンの意識が芽生え、逆ギレ?して、言いたいことを言い、書きたいことを書くような心境になる人が増えるんだって…」
「何もかもにも遠慮して生きてきた先に待っているのが、“すべての人に平等に?訪れるアレ”しかない?なんて、あんまりだってわけじゃないの」

だからでしょうか。
イスラム国に惨殺された後藤健二さんの行動を讃える意見が多いようです。
でも、政府の3度にわたる警告を無視して、“自己責任で”と振り切っての行動は、「自己では済まされない問題」を発生させるのだという教訓を、我々に教えてくれたかと思います。
<それでも出かけていって報道するのがジャーナリストのミッションの基礎基本>
と言う意見もあります。視聴者側も、その使命感にこそ、反応しているのかも知れませんが、いずれにしても、地獄を見る感じの出来事です。
京大からプロ野球を目指したとして注目された選手の父親は、プロを目指すという息子に「地獄をみてこい!」といったのだそうですが、学歴が意味をなさない?プロの世界とは、まさに“地獄”なのでしょうね。
最近読んだ新書に、元衆議院議員で、“料亭にいってみたい“発言で有名になった杉村大蔵氏との対談エピソ−ドにこんな話がありました。
高校ではテニスで国体に出て優勝し、筑波大に進学するも中退。就職にも挫折して、北海道の実家に帰ろうかと、父親に電話したら、
「帰ってくるな。働らけないなら死ね」
と言われたのだとか。
言葉はキツイけど、父親としての愛情が感じられるような気がするのは、深読み過ぎるでしょうか?
それに比べると、
<優しいまなざし、恵まれない子どもの側に立つ勇気ある取材行動>
という後藤さんの人柄解説には、なんか、ちょっと違和感が。。
そうえいえば、シェア率が高い超有名な「○○○○○学習帳」という子どもの用ノートの表紙写真から、昆虫が消え、花だけになっています。
国語・算数・理科・社会、ゼーンブ花・花・花・・・。
花にはチョウがつきものだと思うのですが、昆虫が消えた原因は何だと思いますか?一定数の児童と保護者から、
「昆虫は気持ちが悪い」
「優しい花の写真がいい」
というクレームへの対応なのだーそうです。
昆虫がいなければ、花にも優しくない、いえ、生きていけないのにね。

コメントの一覧
1件あります。
    • 1
    • 天童のどんが男
    • 2015/2/15 9:10:40
    小生が子どもの頃は、自宅で最期をみとる家が常識であり、子どもが遺体を見ることは日常的にあった気がします。本物とか実感とか大切とは言うものの、「はだしのゲン」問題も思い出されますが。「あぶないから」「子どもが気持ち悪いから」という「優しさ基準」でバーチャル世界に慣れ親しんでいる現代の子ども(保護者もか!)に対応していては、いよいよ学校教育も「あぶない」と思うのですが。小学3年生の理科ではモンシロチョウを飼育しないでネットの映像で済ます若い教師もいるとか。教師自身が、何を子どもに与えるかの見極めもできないようでは。つまり、本物(何があぶないかも含めた嗅覚)を見る目を鍛える体験をしなければまずいと思うのですが。原爆・水俣等、その現実を直視しない限り、日本の来歴を「実感」することはできないのではと思うのですが。本記事は、かなり小生の「核心」に触れました。
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