きょういくじん会議
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日本語を大切にするとは―「国語に関する世論調査」から考える
kyoikujin
2009/9/16 掲載
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

 先日、文化庁より平成20年度の「国語に関する世論調査」の結果が発表されました。「破天荒」の意味を尋ねるニュース番組などをご覧になった方も多いのではないでしょうか。16歳以上の男女、1954人を対象に行われたこの世論調査ですが、今年度の傾向として、“日本語回帰”が挙げられそうです。

日本語への意識が高まる?

 というのも、「日本語を大切にしているか」という質問に対して、実に76.7%もの人が大切にしていると答えているという実態があります。
 「どちらとも言えない」、という選択肢があるにも関わらず、「大切にしていると思う」「余り意識したことはないが、考えてみれば大切にしていると思う」という選択肢を選ぶというのは、日本語への意識の高さを伺わせるように思います。
 特に、10代・20代の若者は平成13年度調査と比較して、それぞれ28ポイント・17ポイントもの増加を見せています。

<自分たちの言葉>で―『日本語が亡びるとき』が示唆するもの

 このように、「日本語を大切にしている」と多くの人が考えるようになった日本語に対する昨今の動向については、去る8月27日、第8回小林秀雄賞を受賞した水村美苗氏の『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(筑摩書房、2009年)が興味深いです。
 この本の面白さは、明治期の国語国字問題に立ち返った考察にあるというよりは、書籍前半で展開されるIWPにおける水村氏の言葉への眼差しにあるのではないかと思います。
 IWPとは、水村氏によれば、International Writing Programの略で、アイオワ大学が主催する国際創作プログラムとのこと。「世界各国から小説家や詩人を招待し、アメリカの大学生活を味わいながらそれぞれ自分の仕事を続け」るのだそうです。世界各国から集まった物書きが、<普遍語>となりつつある英語の前に、あえてマイノリティである<自分たちの言葉>で対峙するかのような様子を、そうではなくなりつつある日本語への憂いも含めて、筆者の興奮が伝わる描写となっています。
 一部のエリートのみをバイリンガルにするというような水村氏の主張には、賛否両論ありそうですが、英語教育が着々と低年齢化する中、国語や日本語というものをどのように捉えるのか、という問題提起の書としてはおすすめです。

「ら抜き言葉」は単なる言葉の変化か?

 さて、水村氏が憂うように、また若者の“日本語回帰”に表れるように、果たして日本語は亡びつつあるのでしょうか? そもそも、私たちが大切にしたいと考える日本語は、そう思われるほどにないがしろにされているのでしょうか?
 先にあげた「国語に関する世論調査」では、「ら抜き言葉」を言葉の変化と捉えている人が多く見られました。亡びつつあるのか、変化しているのか、その言葉と同時代にある私たちには分からないというのが実情かもしれません。

あなたはどちら派?

 さて、今回の「国語に関する世論調査」では、「言葉で表して伝えるか、察し合って心を通わせるか」という質問に対して、「言葉で表して伝える」派が大きく落ち込み、「察し合って心を通わせる」派は、「言葉で表して伝える」派に拮抗するまでになっています。産経新聞の9月4日の記事によると、空気が読める・読めない(KY)ということを気にする風潮の表れではと文化庁は分析している、とのことです。
 日本人はPISA型読解力が弱いとしばしば言われますが、こうした言葉に対する国民性も、もしかしたら影響しているのかもしれませんね。

この記事は、『きょういくじん会議』の記事を移転して掲載しているため、文中に『きょういくじん会議』への掲載を前提とした表現が含まれている場合があります。あらかじめご了承ください。
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