著者インタビュー
新刊書籍の内容や発刊にまつわる面白エピソード、授業に取り入れるポイントなどを、著者に直撃インタビューします。
“できない自分”にOKを出そう
栃木県小山市立大谷東小学校山中 伸之
2019/7/30 掲載
 今回は山中伸之先生に、新刊『がんばり過ぎない。でも、あきらめない。学級リカバリー術』について伺いました。

山中 伸之やまなか のぶゆき

1958年栃木県生まれ。宇都宮大学教育学部卒業。栃木県公立小中学校に勤務。
●研究分野
国語教育、道徳教育、学級経営、語りの教育
日本教育技術学会会員、日本言語技術教育学会会員

―本書の第1章では「教師としてのスタンスを見直す」ことについて述べられていますが、自分のスタンスを見直す際には、どのような考え方をすればよいのでしょうか。

 考え方というのとは少し異なりますが、こんなことをしてみるとよいと思います。
 その1つは、「自分自身を洗脳する」ということです。洗脳というとよいイメージがありませんが、それくらいの気持ちで臨むことが大事です。
 具体的には、何度も何度もキーとなるフレーズを頭の中で繰り返したり、声に出したりします。反復によって意識に刷り込むようなイメージです。
 例えば、「がんばっても、結果が出るとは限らない。がんばるけれども、立て直せなくても仕方がない」というフレーズを、目でも見、声にも出し、耳でも聞き、頭の中でも思うことです。
 もう1つは、悩んでいる友人、困っている同僚に、教師としてのスタンスを見直してみてはどうかとアドバイスすることです。
 例えば、アルバイト料が目当てで選挙の応援をしているうちに、いつの間にかその候補者を本気で応援するようになることがあります。応援するという行動によって、自分の意識が変化していくわけです。
 これと同じように、だれかを説得することで、自分自身が説得されます。アドバイスでなくても、考えを話すだけでも効果があります。

―崩壊学級の子どもたちは、先生に対してマイナスのイメージをもってしまっていることが多いと思いますが、そういった子どもたちと先生との間で信頼を築くために、大切にしなければいけないことはどんなことでしょうか。

 人は集団に所属したいという欲求を本来的にもっていると言われます。
 集団の中に居場所を得るという目的のために、子どももいろいろな行動をとります。
 例えば、先生や友人に好かれようとして行動する、先生や友人の役に立とうとして行動する、先生や友人に嫌われまいとして行動する、などです。このような行動は、だいたいが受け入れやすいものです。
 ところが、このような行動がとれない子は、これとは反対の行動をとって、集団の中に居場所を得ようとすることがあります。
 先生や友人にわざと嫌われようとして行動する、先生や友人の活動の邪魔をしようとして行動する、先生や友人に意地悪をしようとして行動する、などです。このような行動は受け入れがたいものが多くなるでしょう。
 しかし、どちらの行動であっても、その目的は集団に所属すること、集団の中に居場所を得ることにあります。つまり、表れる行動には賛否、適否があっても、その目的は常に「善」だということです。
 このことをいつも念頭に置いて対処することで、子どもたちとの関係を切らずに保ち続けることができます。そのことが最も大切ではないかと考えています。

―山中先生は、本書を通して「子どもの叱り方」を学級リカバリーのための1つのポイントとしてあげられています。子どもを叱るときのポイントを教えてください。

 子どもを叱るときには、次の2つのことが大事だと考えています。
 1つは、叱るうえでの技術やテクニックです。
 そしてもう1つは、技術やテクニックを超えた、教師の本音、実感、です。
 子どもたちを叱るうえで、技術やテクニックを知っていること、それを効果的に使って叱ることはとても大事です。
 例えば、「信頼関係が築けていない段階では、強く叱らない」「叱る前に、子どもたちが不適切な行動をとる目的や原因を考えてみる」「叱る前に、アイメッセージで願いや希望を伝える」「行動は否定しても、人格は否定しない」「大声で叱るなど、感情的にならないようにする」などは、いつも念頭に置いておきたい技術です。
 しかし、技術やテクニックをいつも念頭に置いて、セオリー通りに叱るというのは、やや機械的で、ともすると人間味のない叱り方になってしまうのではないでしょうか。
 子どもとの信頼関係ができてきたら、ここぞというときには本気になって叱ってもよいと私は思っています。また、そうすることで子どもたちに伝わることもあるでしょう。
 ただし、感情的に叱ることはあっても、感情のままに叱ることがないよう、十分に気をつけておくことも大切です。

―最後に、読者の先生方に向けてメッセージをお願いいたします。

 とかく教師は「…過ぎる」ことが多いように思います。
 働き過ぎる、真面目過ぎる、がんばり過ぎる…などです。
 古来より「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言います。それどころか「過ぎたるは及ばざるに劣れり」とまで言う人もいるそうです。
 「…過ぎる」ことはよくありません。中庸がいいのです。足りないくらいでもいいのです。
 中庸には2つの意味があると私は考えています。
 1つは、「どちらにも偏らないで常に変わらない」ことです。しかし、これも常に変わらないというところに、「…過ぎる」ことの芽があるような気がします。頑固一徹にまで至ってしまうということです。
 そこでもう1つの意味です。それは、「その場そのときに応じて最適な考え方や行動をとる」ことです。悪く言えば因循姑息、よく言えば臨機応変です。
 教師は子どもの前ではいつも笑顔でなければならない。疲れますよね? 時には仏頂面になることもあるでしょう。そうしたら、「今日は先生疲れていて、こんな顔だけど、ごめんね」と言いましょう。無理に笑顔をつくることが最適な行動ではありません。
 できない自分にOKを出して、認めてあげましょう。
 できない自分にOKが出せるようになると、子どものできない部分にもOKが出せるようになります。それが自尊感情を高めることにつながります。

(構成:矢口)
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