- まえがき
- 第1章 子どもとのかかわりを愉しむ
- 1 素の人間として向き合う
- 2 おもしろがれる
- 3 歴史は繰り返す
- 4 肩の力が抜けるときに
- 5 学級づくりを愉しむ
- 第2章 授業づくりを愉しむ―国語編
- 1 子どもの行く方に行ってみる
- 2 仕事的な授業と実践的な授業
- 3 細部にこだわる
- 4 「実践志向」の姿勢になってみようではないか
- 5 授業づくりを愉しむ―国語編
- 第3章 教材研究を愉しむ―国語編
- 1 学びを自分流にしていく
- 2 こだわりとフィードバック
- 3 平易な言葉による新しい世界観
- 4 スタートラインに立つ
- 5 教材研究を愉しむ―国語編
- 第4章 授業づくりを愉しむ―道徳編
- 1 問題意識をもって見る
- 2 「もっと深く、もっと広く」の主体性
- 3 機能性を高める愉しみ
- 4 そもそも綺麗事の教材文に疑問を抱いているのか
- 5 授業づくりを愉しむ―道徳編
- 第5章 教材開発を愉しむ―道徳編
- 1 教材にどんな問いを見つけるか
- 2 その程度の弱さや醜さ
- 3 「いかがですか?」というスタンス
- 4 教材開発が自己を豊かにし、深い問いを生む
- 5 教材開発を愉しむ―道徳編
- 第6章 教職を愉しむ
- 1 世界観が変わる、世界観を変える
- 2 「死角」を埋める旅
- 3 教職を愉しむ
- あとがき
まえがき
/宇野 弘恵
Twitterで「#教師のバトン」と検索をかければ、教師の働き方に関する膨大な意見や訴えや愚痴が流れてきます。朝早くから夜遅くまで、休日も出勤しなくては仕事が終わらないという声。人手が足りなく、一人で何役もこなしていてもう限界だという声。授業がうまくいかない、子どもとうまくかかわれない、保護者の要望に応えきれないという声。そして、もうやめたい無理だという声。これに対抗するかのように「#小学校教員はいいぞ」「#中学校教員はいいぞ」の投稿も一時流れましたが、短い期間で姿を消しました。それほど、教職に魅力より大変さを感じている人が多いということを感じました。
こうした投稿を注意深く見ていくと、自分から教職という仕事に寄っていくことなく「大変だ」「無理だ」と叫んでいるものがあることに気がつきました。「こんなのは大学で習っていない」「誰も丁寧に教えてくれない」「保護者は無理難題を押し付けてくる、できるはずない」「管理職にきつく言われたから心が折れた」と、知らない、できない、無理!のオンパレード。
もちろん、ほんとうに大変な状況にある人も必死に頑張っても手一杯な人も、先輩教師や管理職が理不尽な場合もあると思います。部活など個人の努力だけでは解決できない問題も山積です。自死に追い込まれるようなひどい環境で頑張っていらっしゃる方もいると思います。そうではなく、自分から歩み寄らず試行錯誤もせず、コストパフォーマンスのよさばかりを追う主張には首を傾げたくなるのです。授業や生徒指導をこなすことしか頭にない主張に疑問を投げかけたくなるのです。
本来、教職は創造的な仕事です。手をかけ時間をかけ、試行錯誤しながらゆっくりゆっくり行っていく仕事です。にもかかわらず、すぐに結果を求められ失敗が許されない昨今、教師が愉しみながら仕事をする余裕がなくなりました。次々に追加される業務、教科に忙殺され、愉しむどころか一息つく暇もないという方も多いと思います。
そうであっても、やはり教師が教職を愉しめない学校に魅力はないと思うのです。子どもの学びに携わる教師が自分の仕事を愉しみ、にこにこワクワクしてこそ学校じゃありませんか。そういう環境の中で子どもは学ぶことの楽しさや喜び、働くことの愉しみを感じ取るものだと思います。そしてそれだけの愉しみがこの仕事にはあると思います。
本著は、そんな愉しみはどこにある? どうやって愉しみを見つけたらいいの?と問うきっかけになればと思い記しました。教職をこなす仕事としてではなく、教職を愉しむ仕事として考える一助となれば幸甚です。
まえがき
/堀 裕嗣
こんにちは。堀裕嗣(ほり・ひろつぐ)です。宇野さんと一緒に「教職を愉しむ」ということについて、授業づくりを中心に考えてみました。
僕も宇野さんも三十年のキャリアを積んでいますから、それなりに楽しいことも苦しいことも経験してきました。その間、「学校教育の危機」が叫ばれたことは何度もありました。しかし、現在ほど僕ら現場の教師が「危機」を実感したことはありませんでした。これまでの危機は、学校が荒れているとか、子どもの学力が低下しているとか、学級崩壊が頻繁に起こっているとか、保護者クレームが増えているとか、指導力不足教師や不適格教師が増えているとか、いずれも教師が努力することによって乗り越えられると感じられるものでした。しかし現在の問題は、教師のなり手がいないという話なのです。これは僕ら現場人がいくら努力しても乗り越えられません。僕らの手の届く範囲外のことです。これには参りました。
そんでもって、僕ら現場教師にできることは「教職の愉しさ」を語ることくらいだろうというわけです。おそらく編集者の依頼の意図もそういうことなのだろうと思います。十年前ならこんな本は成立し得なかっただろうとも思います。
でも、実際に書き始めてみて頭をもたげてきたのは、若者にわかりやすく教職の魅力を伝えるなんてことはできっこないという諦めと開き直りでした。教職ってそんなに単純なものじゃない。一時間の授業をつくるのにさえ、想定しなくてはならないことが無限にある。しかもその想定しなくてはならないことがすべて、こうすればこうなるという因果律に押し込めることができない複雑なものばかりなのです。こりゃ参ったと宇野さんと一緒に頭を抱えました。
もちろん表層的に書いてお茶を濁すことは可能です。でも、そんなものでは現状を打開することはできない。若者自身はシンプルで元気の出るものを求めているのかもしれませんが、そんなものをいくら知っても屁のつっぱりにもならない。ちゃんと語るしかないねという結論に達した次第です。だからもし教職に悩む初任の先生や教員採用試験を受けようかどうかと迷っている学生さんがこの本を読んだら、ここまでやらなくちゃいけないのかとかえって苦しくなるのかもしれません。それでも僕も宇野さんも教職を愉しんでいるという自覚はありますから、その愉しみ方を素直に正直に書くとこうなるのです。
本書が教職の在り方に悩む若手教師に、教職を志望する学生のみなさんに少しでも参考になるとしたら、それは望外の幸甚です。
だからこそ、タイトルが楽しみ方ではなく愉しみ方なのだろう、と読み終えて気づいた。
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