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巻頭論文
算数授業へのこだわり
本物を多く見た人でなければ技量は向上しない
―「ガラクタ」を見ていると「ガラクタ」がよく見えてしまう―
向山洋一
修業によって技能がみがかれ,技量があがる。
技能とは「与えられた場面」を「知っている上質な技術・方法」を「使いこなし」て,「正
しく対応できる能力」である。
実践の場では,常に新しい問題が生じる。
将棋というゲームは,81のマスの中で,決められた駒を動かして勝負を競う。
これまで,幾多の天才によって勝負がくり広げられ「指し方の法則」とも言うべき「定跡」(ちなみに「定石」は囲碁のとき使う)が作られてきた。
一目で,一万手とも百万手ともいうほどの天才が,何百年にわたって作ってきたのだ。
将棋は,ほぼ百手と少しで勝負がつく。1人が駒を動かすのは50回余だ。
その将棋でさえ,「二十四手」をすぎると,「全く新しい局面」となる。
これまでにない「新しい場面」になるのだ。
その新しい場面に「知っている上質な技術・方法」を「使いこなし」て,「正しく対応し」ていくのが,力量である。
教育も同じだ。
実践の場では,常に「新しい問題」が発生する。
それへの対応力が必要とされる。
その「対応力」は,「我流」からは生まれない。「定跡」「基本」を学んだ中で,身についていくからである。
『何でも鑑定団』が人気番組だ。
本物とにせものを識別する力がすごい。さすがにプロだ。
こうした力は,どうやって身につけるのだろうか。
「にせもの」を見せてもらい,「どこがにせなのか」を聞いて身につけるのだろうか。
違うのだ。
「本物」だけを見せるのである。
「本物」だけにふれさせるのである。
長い長い時間をかけて,本物だけにふれていると「にせもの」を見せられたとき,違和感を覚えるようになる。
「本物」だけをいっぱい見た人だけが「にせもの」を見抜くことができる。
授業も同じだ。
上質の本物の授業をいっぱい見ることだけが「本物」と「にせもの」を見分ける力となる。
例えば,小学校での授業開始の「これから○時間目の授業を始めます」という儀式。
初めて,それを見たとき,私は強い違和感を覚えた。
違和感というより拒否感だ。
いや,拒絶感だ。
私は,日本を代表する実践家なら,そんなことを絶対にしなかっただろうという確信があった。芦田恵之助,斎藤喜博,有田和正,酒井臣吾,野口芳宏氏たちがそんなことをするはずがないのである。
それは,プロの教師なら「授業の入り口」を大切にしてきているからだ。
「最初の15秒のつかみ」「最初の1分間の組立て」そのことを,毎日毎日の授業で考え抜いてきているはずだからだ。
1年間で1000時間の授業,その毎時間を工夫してすごし,3000時間,5000時間,1万時間となったときに,授業の腕は確かなものになるからだ。
1時間で,「わずか1%の努力」としても,1万時間では「1.01の1万乗」になる。無限大の大きさになるのだ。
普通の努力では,「1の1万乗で,1のまま」だ。
「儀式的方法は,明らかにマイナス作用だ」から「マイナス無限大」になる。
力量が地に落ちるのだ。
こんな方法を,日本教育史に残る人がやるはずがない。
現在,「校長として毎時間の儀式を強要する人」がいるという。指導主事にもいるという。
教師の技量を急降下させている犯罪人だ。
授業についての見識がなく,校長という権力を行使するとき,その実践の場は堕落する。
さて,「本物を見る」ことが大切と言った。
さらに,将棋のプロは,一目で一万手も読むことを言った。
「そんなにすごく読む」のか,と驚いてはいけない。
プロは,「読まない」ことができる人なのだ。
勝負のある局面で「どの手」を指すのかと
いうとき,コンピュータは「すべて」を読む。
一手目だけで,何千通りもある。
プロは「次の一手」の何千通りを読まないのだ。
そのほとんどが,「ダメな手」だからである。「ダメな手」が瞬間に分かる。
読むのは,「三手」ぐらいなのだ。
その中の1つが「最善手」,もう1つが「次善手」残りが「次に善手」なのだ。
それが,一瞬で分かる。1秒の何十分の一の短さで分かる。
それがプロだ。
授業も同じだ。TOSS技量検定の高段者になれば,「ダメな方法」は,一瞬で分かる。
何百回も何千回も何万回も,毎日の授業の中で鍛えてきた結果なのである。
修業にとって,「守・破・離」のステップこそは,永遠の法則だ。
剣道から生まれたというが,その後,花・茶・書・踊り・スポーツ・学問,ありとあらゆる場で確かめられてきた。
「守」とは,すぐれた(尊敬できる)師匠や先達のやり方を,忠実にまねをするということだ。
「学ぶ」(まなぶ)とは,「真似る」(まねる)のことである。
このとき大切なのは,上質の手本でなければならないということだ。
授業で使う教科書も教材も教具も上質でなければならない。最悪な教材・教具を使うと,やるだけ子どもが落ちていく。
「守」は「基本」を身につける方法だ。
「本物」と「にせもの」が見分けられる眼力をつけていく。
その上で,「破」が必要になる。
それは「目の前の現実」に「自分で対応していく方法」を学んでいくことだ。
ときには,師の教えを越えていかねばならない。時代の要請にこたえることが求められるのだ。
そのような上に,やがて「自分らしさ」を確立していく。
それが「離」だ。
師匠は師匠であり続けるが,自分の実力は自分らしさとして表現できる境地だ。
将棋の羽生は,師匠の二上九段より強い。
米長は師匠に「大学をやめろ」と言われたとき,「師匠の言う通りしていたら,師匠程度の実力しかつかない」と言って拒否した。師匠になぐり倒された。米長の弟子の先崎は,NHKのテレビで師匠の試合を解説して,「これはひどいブタの手だ」と表現した。米長は怒ってNHKのその場に電話を入れた。
踊りやお茶や書には,こういう激しさはないが,格闘技の世界には,こんなこともある。
本誌の「挑戦」シリーズは,「守」と「破」の両方を求めている。
最近,理屈っぽい論文が多くなって喜んでいる。しかし,深さが不足している。
今月号の中で,よかったものを紹介しよう。
1年生が学ぶ数直線,たかが数直線だが,されど数直線である。
兵庫の楢原先生。じゃんけんすごろくで,グーが勝つと,1進む。チョキで勝つと,2進む。パーで勝つと,3ではなく5進むとしたほうが,子どもにはわかりやすい。だから,双六部分は扱わない。もしも,子どもからウサギさんが跳んでると言ってウサギのことをいうようであれば,0から20までを数えるだけにとどめる。<向山>「パーで勝つと5」。なるほど納得。こういうことが大切なのだ。
福島の正木先生。
【悩んだところ】
1 なぜ,じゃんけんを入れたのか?
『じゃんけんで勝つ』ことに注意が向いてしまう。
<向山>当然ここは悩むところだ。
「数の代数的・順序的性質の両方を扱う」ことであったと思えるが,「子どもの実態」から離れている。
長野の奥原先生。
「かずのならびかた」このページは20までの数を順唱で、逆唱で正しく唱えることができるようになればいいのではと考える。いきなりすごろくでは,大混乱するように思う。そこで,
@いろいろな方法で20まで唱える。
A数のあなうめ問題をやる。
Bじゃんけんすごろく
と考えた。
<向山>「大混乱する」には,大賛成。
ただし,「と考える」は浅い。
「と考えた」は,実践的でよい。実践は「見本的」であるべきだ。間違っていても,子どもが教えてくれる。
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- 明治図書