- 特集 平均90点達成は「できない子」のためにある
- できない子を救う向山型算数
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- 教科書を持たず教科書通り授業する
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- 「できない子」は旧教育文化が造った
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- 2年生,新年度の1ヶ月
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- 妥協しないから,できるようになる
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- あかねこ&ノートスキルで90点突破
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- 「確認」が救っていく事実
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- ミニ特集 TT教師の奮戦記 TT授業こそ向山型算数を!
- 向山型算数なら2倍のチェックができる
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- 向山型算数を広めるならTT授業で
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- 実践は,さまざまなつまずきをのりこえて…
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- 向山型算数実力急増講座 (第24回)
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- 向山型算数の原理原則と応用 (第24回)
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巻頭論文
算数授業へのこだわり
実践は,さまざまなつまずきをのりこえて…
向山洋一
TOSSランドの向山型算数MLには,さまざまな情報が流れる。ランダムにとりあげ,私の意見を述べる。
U先生の実践で良いところは,「反省」をしていることだ。
それだけが,唯一ともいえる長所であり,未来への光明である。
算数の授業は,「まるでなっていない」と推定する。
割り算の「基本の流れ」を「ていねいに」「きちん」と教えてないのだと思う。
「たてる」「かける」「うつす」「ひく」という流れが,きちんと教えられていれば,割り算はできるようになる。
かつての同僚の筧田先生が証言しているように,3年生まで算数テストはほとんど0点,しかも軽度の知的障害があった子でも,向山に習って「割り算で100点」をとっているのである。
北海道のUです。
昨日,あまりのあるわり算をしました。
結果はぼろぼろでした。
ノートではしっかりできていた子も40点でした。○をつけていて,悔しかったです。なにを教えてきたのか,と思いました。
なにがまずかったのか。
@筆算の計算で。
計算をしてあまりがでますが,それが,商だと思っていた子がいた。(36人中7名)
A繰り下がりのあるひき算が,正確にできていない。(36人中10人)
Bかけ算の九九が正確に言えない。(36人中10名)
最大の問題は,九九が正確に言えないこととひき算が正確にできないことだと思います。
かけ算については,100マスかけ算をしてきましたが,最近は,早くできるということが重点になってしまっていました。
ひき算については,10−9=1という計算ができない子の数が,そのままあらわれました。
これからどうするか。
@授業の始まりの時に,「あまりのないわり算」のフラッシュカードをする。
A10−9などのひき算のフラッシュカードをする。(@とAは日替わりで。)
B筆算の計算で,商は筆算の上の方に書いた数字であることを確認する。(これは,昨日,確認しました。)
一番つらいのは,あかねこ計算スキルを使えないことです。国語も算数も,ドリル類は買わないことになっています。スキルの代わりに,「先生問題」と称して,教科書に載っている計算を出していました。
学習は終わり,来週からは「円と球」にはいります。
そのような状態で,これからどのようにわり算の学習を入れて続けていけばいいのか,私なりに考えてみました。ご指導よろしくお願いします。
「100マス計算」は,体力派の方法であり,「勉強のできない子」には,ほとんど意味がない――ことを,私は何度も主張してきた。「かけ算ができない子」には,「かけ算九九の表」を持たせればいい。
「商」が分からないのは,教科書で「商」という言葉が出てきたとき,「向山」がやる通りに教えてないからだ。
商とは,何ですか。
「わり算の答えです。」
では,わり算の答えはなんといいますか。
「商です。」
8÷2=4の商は何ですか。
「4です。」
このような「詰め」は,当然すべきなのである。
U先生は「向山型算数」も,よく勉強してないようだが,問題はそこにあるのではない。「授業について,全くの不勉強だ」ということが根本問題なのである。
とりあえずは「先行実践の追試を忠実にする」こと。すべては,そこから始まる。向山型算数では「いいこと」ばかりではない。極めて,数は少ないが,不協音が入ることがある。
間違いなく,良い実践をしているのだ。
そうでなければ,好意的な反応が多くでるはずがない。
ところが「算数が嫌いになった」という子が一人いる。
これは,大切な反応だ。
こうした反応を無視しては駄目だ。
こうした反応を分析し,理解し,原因をつきとめ,解決してこそ,教師の技量は一段とみがかれるのである。
否定的意見,否定的状況が生まれるのは,恥ずかしいことではない。
むしろ,あって,当然のことなのだ。
それを「かくす」ことこそ,恥ずべきことであり,教師がやっては,いけないことなのである。
検定してみるべきことである。
しかし,「一人の意見」を,過大にとりあげてはならない。
あまりにも重視すると,バランスを欠き,群馬の日野です。
今日家庭訪問が終わりました。
「2年になってノートがきれいになりました」「丁寧に書くことが多くなりました」「百人一首を家でもやっています」など,ノートの使い方や五色百人一首についての好意的な反応が多くあり,嬉しく思いました。
ところが,今日(家庭訪問最終日),最後に伺ったお宅で,「1年のときは算数大好きだったのに,2年になったら算数が嫌いになったっていってるんです」と,ある女の子のお母さんに言われました。本人に聞いても,はっきりした理由はわからないとのこと。きっと私の授業の進め方に違和感があるのだと思います。
向山型算数を知って3年,意識して授業をしてきたつもりでした。概ね好意的な反応をいただいてきたので嬉しくて,調子に乗っていました。
そのお母さんからお話を聞いている間,「ああ,神様が子どもを通して,授業の未熟さを教えてくれているんだ」と,一生懸命に考えていました。
「私の授業の進め方をもう一度良く考えて接していきたいと思います」とお答えしてきました。
その子の事実を作らなくては,そして,その子の事実で語らなくては,と思いました。
真実が見えなくなる。
日野先生には,「嫌いになった子が一人いた」のは,事実であるが,「多くの子が好意的であった」のも事実だからである。
そこで,考えられる第一は,「嫌いになった子」は,1年生の時は,「算数の時に活躍することができていたが,2年になったら,みんなが活躍するようになったので,かすんでしまった」ということである。
こうしたことが原因になるのは,よくある。特に女の子である。
第二は,「嫌いになった子」が,能力が低く,「本当に分からないようになった」ということである。
これまで,教具を操作していればよかったのに,抽象化へのステップが始まったことに対する拒否感である。
第三は,「ノートをきちんと書く」ことは,実は,それまでの6年間の,乳・幼児期の生活の上に築かれるのだが,乳・幼児期の生活に不十分さがあり,「ていねい」にすることが苦手だということである。
これも,けっこうある事実である。
「ミニ定規で線が引ける」のは,それに先立つ乳・幼児期の生活があったからこそ,可能なのである。
兄弟・親戚が東大,京大に入っているような家系では,このような技量は長い年月をかけて蓄積されてきている。
外国でも同じことだ。
「ミニ定規を使いこなせる」というのは,大げさにいえば,百年,二百年かけて,その一族が身につけてきた生きる術の一つの形として生まれるのである。
そのことに理解できない人があっても,それはしかたないことだ。
文化の根本が異なっているからである。
但し,教師は,教え子に,一つでも二つでも,すぐれたところを身につけさせるように努力すべきである。
おどろくべき知性欠如の教務主任がいるものだ。
長野は「教育県」ということで,全国に有名だった。そういう風評だった。
共通一次が導入されて,驚くべき事実が明らかにされた。
長野県の平均点は,何と全国最下位に近かったのである。
「教育県」どころか,「学力落ちこぼれ県」であったのだ。それは,今も変わっていないという。
このような「不勉強,未熟,最低」の教務主任が,巾を利かせているようでは,長野の子どもたちは,かわいそうだと同情する。
子どもに責任はない。長野の子どもたちの低学力は,あげて長野の教師達に責任がある。
長野のKです。
「わり算の筆算」研究授業をする研究グループに入っています。
みんなで,普段の授業をしよう,明日に生きる授業をしようということで,教科書通りの授業をしようと言うことになりました。ちなみに,向山型算数を知っているのはグループでは私だけですが。
今日,授業者が教務の先生から次のように言われました。「教科書通りにやるなんで,馬鹿なことするなよ。それじゃー誰にも役に立たない研究になっちゃうからな。教科書通りなんて誰でも分かっていることなんだから。」
教科書通りが難しいのに,よく言うなと思いました。そして,授業研究会どうなるかなと,今から不安であります。
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- 明治図書