- 特集 「授業力更新」の課題を探る
- 提言1・新教育課程に応える「授業力更新」の課題
- これからの授業では何をどう更新するのか
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- 「教える授業」から「獲得させる授業」へ
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- 「教科書で」教える力量形成への三つの課題!
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- 「授業を分からせる」のが鍵
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- 「追試」で授業力を高める
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- 提言2・自己研修で「授業力更新」に挑む
- 授業向上の三視点―短期・中期・長期―
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- 自らを追い込む
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- 無駄な言葉を削ること、それが教師修業のスタートだった。それは、今も変わっていない
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- 提言3・学校組織として「授業力更新」に挑む
- 「特効薬」はない。「地道」あるのみ
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- 「授業力更新」の場をどうつくるか
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- 教師一人あたり五分の授業力更新に校内で取り組む
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- 思考力・判断力・表現力の育成―国語科の課題
- 「各学校」が新教育基盤を構築する―記述力の育成と反復学習―
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- 「読解表現力」を鍛える授業を!
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- 全教科による小論文指導
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- 思考力・判断力・表現力の育成―社会科の課題
- 資料を読み取る力と表現力が課題
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- 社会形成力を育成する社会科授業づくり
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- 書く活動を取り入れるための手順を示す
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- 思考力・判断力・表現力の育成―算数科の課題
- 問題解決の過程で力を高める
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- 重点は表現力の育成にあり、教科書を活用してその機会を多く設けていく
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- 三つの能力は、毎時間の学習訓練で育てていく
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- 思考力・判断力・表現力の育成―理科の課題
- 教師自身の思考力・判断力・表現力を
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- 「事実の記録」を指導する
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- 表面積の広さを実感させるモデル実験―「肺胞」「じゅう毛」
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- 子どもの「学び」への支援策
- 信頼できる大人からの支援であるか
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- 教えてほめれば伸びる
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- 授業を安定させることで子どもに学び方を教える
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- どの子にも、一年生一学期にひらがなをマスターさせる
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- ノートスキルで学びを支える
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- 科学技術教育立国論 (第12回)
- 世界で活躍できる子どもたちを育てよう
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- 宗教教育における教師の責任 (第12回)
- 生きる意味
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- 新教授学理論に学ぶ (第12回)
- 希望の教授学
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- 不適格教員の問題 (第12回)
- 日本で最も困難と思われる学校での教師の努力
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- 道徳教育のこれからの課題 (第12回)
- 道徳の「教科化」の論議を盛り上げよう
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- 編集後記
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編集後記
○…ご存知の通り二〇〇九年四月から教員免許更新制が導入されました。すべての教員に対して、教職経験一〇年ごとに、主に教職課程認定大学などで行われる三〇時間(以上)の更新講習を受講して試験に合格すれば、更新が認められることになりました。自民党政権下でスタートした更新制の当初の目的は、いわゆる問題教員の排除でした。しかし、「更新制」に対しては教員の負担が重いなど現場からの批判が強く、民主党は二〇〇九年の衆院選マニフェスト(政権公約)で見直しの方針を提示し、ペナルティー廃止の関係法案を二〇一一年一月の通常国会に提出して、年度成立を図り、最初の免許失効者を出るのを防ぐ考えを示した、と時事通信社の『内外教育』(九月二八日号)は報じていました。
○…しかし、参院選での民主党大敗で状況は一変、野党となった自民党は、更新制廃止に強い反発を示しており、文科省幹部も廃止法案の提出は非常に厳しいと考えているようです。このような状況下で、新教育課程の完全実施が控えています。各学校では改訂された学習指導要領に基づく新教育課程の編成とそれを具体化した年間計画や単元の指導計画を作成していることでしょう。しかし、ここで問題になっていることの代表的な「声」に、これらの計画を完全実施するには、それを可能とする「授業力の更新」が欠かせないとする批判です。
(1)質の高い教育を目指す教育計画、(2)質の高い授業を実現する授業力を身につけているか、など問いかけがあり、そのために「授業力をどのように更新すればよいか」との問いかけでもあります。本号はそのための「問いかけ」の第一回特集です。(江部 満)
○…NHKの「ブラタモリ」に刺激され、東京の地形、といってもご近所を検索してみました。小学校の時の通学路が、いもり川暗渠ということや、渋谷の古名「谷盛庄」(やもりのしょう)はそこから来ているのだとか〜初めて知りました。それだけ、ヤモリが多いような、うっそうとしたところ―だったようです。
今は、ユダヤ協会があるところ周辺は、渋谷の文教施設が集まっている―とのことです。
そういえば、家の小さな庭には、以前、ミツマタの木があり、どこかで和紙など作っていたのかも知れません。
近所には、桑の木が、未だにあちこちで健在、蚕を飼っていたであろう、往時を偲ばせています。そういえば、私が住んでいる広尾という地名は江戸時代には広尾ヶ原、土筆ヶ原といわれていて、江戸中の人が七草を摘んだり、蛍を追ったりしていた景勝地だったのだそうです。
そういえば、校歌は「流れも清き渋谷川」でしたが、今は、コンクリにかためられていて、きれいなのか?ではありますが。
(樋口雅子)
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